ミドシップ、キーは構造!転換できなかった。

ミドシップを作るには、オープン2座同様、この車両だけではコスト低減が困難になる。単なるオープン2座でもFRやFFなら、2+2のクーペやセダンを共用するコトで、計算的にコスト負担を請け負わせられる。しかし、ミドシップではFFやFRからのユニット共有以外にはできない。

今の市販車、ペラペラ鋼板モノコックが主体だ。FRの場合、縦置エンジンと縦置ミッションとデフを、プロペラシャフト結合で配置分散、制震される。RRでは、縦置ユニットが後端まであり、車軸を中心にバランスするようだ。しかし、エンジンとミッションを横置でデフと一体に結合されるFFやミドシップでは、制震のためペラペラ鋼板モノコックを補強する必要があり、FRのプロペラシャフト抜き重量を超してしまう。FFでハンドリングの名車は少ない。モータージャーナリストでも時期が過ぎると、FF車のユニット振動をハンドリングの問題として挙げる。ハンドリング良いFF、ホンダの極一部だし、意外に車重がある。FFよりシート2つないミドシップでも、MR2のAW11はAE86より重いし、AW11はカローラとSW20はセリカと比べて重い。

縦置ミドシップなら、回転方向が変わり、ある程度緩和されるが、日本の市販車に縦置ミドシップはない。また、大馬力になるとやはり制震構造は必要になる。

ミニがFFを出し、ホンダがFFを改良したが、エンジンのパワーやトルク少ない時代にペラペラ鋼板モノコックを前提にしていた。FFが、一体化ユニットをフレームマウントする設計になっていたら、いくらかマシだったろうし、そのフレームごと回転させてミドシップ化していたら、ある程度の出力向上には対応できていたろう。

横置ミドシップフェラーリディノ246GTや308GTBなど名車がある。フレームマウントされている。もし、フェラーリが横置V12をやっていたら、横置V12の歴史は変わっていたろう。また、ランボルギーニダラーラがもう少しとどまってウォレスと共にミウラを改善していたら、ランボルギーニの歴史も変わっていたろう。セミモノコック+前後サブフレーム構造は、ランチアストラトスらにも引き継がれた。

トヨタのMR2やMRSはカローラセリカのFFユニット共用したクルマ、マツダAZ1はスズキカプチーノユニットの共用横置、ホンダの初代NSXはレジェンドユニットのシリンダーヘッド改装、ビートやS660もペラペラ鋼板モノコックに横置ユニットだったハズ。

ホンダは2輪も持ち、トヨタヤマハを持っている。フレーム構造を使う下地がないワケでもなかった。ペラペラ鋼板モノコックの次はアルミモノコック、量産性やコストやサービス性が低下する方向にしか、技術導入が進まなかった。

 

 

 

 

 

 

******************************

存在自体が激レア! 国産MRスポーツカーがドイツもコイツも名車揃いだった
2022/07/20 08:02 WEB CARTOP7

1/10
Next
 すべてみる
全10枚
この記事をまとめると

■エンジンを乗員後方に置いて後輪を駆動するのがリヤミッドシップ(MR)という駆動方式

「買う人がいない」んじゃなく「売り方」に問題あり! 「売れない」国産スポーツカー3台の抱える問題点

■かつて日本車にもMRレイアウトを採用したクルマが複数台あった

■居住空間は狭いが楽しさは別格だ

トヨタから始まった日本のミッドシップスポーツの歴史

クルマを構成する部品のなかでも、もっとも重量があるエンジンをシートの後方にレイアウトしたミッドシップは、クルマの運動性能を高めてくれるという大きなメリットを持つ。

その一方でエンジンが車両の中心部に存在するために居住性が犠牲になることが多いため、市販車での採用例が少ないというのもまたミッドシップ車の特徴も言えるだろう。

そんな孤高のレイアウトであるミッドシップだが、日本の自動車メーカーの市販普通車として初めて採用したのが1984年に登場したMR2だった。

初代MR2ミッドシップという特異なレイアウトを採用しながらもコストを抑えて量産性を高めるため、前輪駆動レイアウトとなった5代目カローラのエンジンやトランスミッション、足まわりなどが流用されており、カローラのフロントセクションがそのままMR2のリヤに搭載されているといっても過言ではないものだったのだ。

MR2は1989年に2代目へとフルモデルチェンジを果たすが、翌年に登場したのが日本初のスーパーカーとも言われるホンダNSXである。

バブル景気が絶頂期であったタイミングで発表されたNSXは、ミッドシップレイアウトだけでなくオールアルミモノコックボディを採用したことでも話題を集め、バブルが弾けたあとも改良を繰り返しながら2005年まで生産が続けられた名車となった。

その一方で、安価で購入できるミッドシップマシンとして1991年にはホンダ ビートが、翌92年にはオートザムAZ-1とそのOEMモデルであるスズキ・キャラが登場。ビートはオープン2シーター、AZ-1ガルウィングと軽自動車らしからぬ特徴を備えていたことも記憶に新しいところだろう。

2000年代にはホンダがミッドシップの本流に

その後、ミッドシップレイアウトのスポーツモデルはMR2とその後を受け継いだMR-Sが2007年夏を持って終売となると、しばらく冬の時代を迎えることとなる。一応2006年にはミツオカが独自のプラットフォームにトヨタ製のV6エンジンをミッドマウントしたオロチを発表しているが、こちらはメーカー自ら“ファッションスーパーカー”と呼ぶなど、スポーツモデルとは一線を画したものとなっていた。

そしてミッドシップレイアウトのスポーツカーが復活したのは2015年のことで、そのモデルこそ今年3月に惜しまれつつも販売を終了したS660だった。

このモデルは軽のオープン2シーターミッドシップというパッケージこそビートと共通であるものの、ホンダのエスの称号を冠していることからもわかるように、ビートよりもスポーツ度を増したものとなっており、軽自動車とは思えない運動性能が話題を集めた。

そして翌年には2代目となるNSXを発表(日本での発売は2017年2月)。こちらはエンジンをミッドシップにレイアウトしながらも3モーターのハイブリッドシステムを組み合わせる次世代のスーパースポーツとなっており、生産は日本ではなくアメリオハイオ州に設立された専用工場で行われていた。

しかしその2代目NSXも2022年末を持って生産終了が決まっており、現時点ではその後を継ぐモデルもアナウンスされていないことから、一旦国産スポーツのミッドシップ車が消滅するということになる。

今後は電動化が進むことでエンジンが搭載される位置という概念自体がなくなってしまうかもしれないが、2代目NSXのようにエンジン+モーターというクルマも電動車であるから、今後も新たなミッドシップ車が登場することを期待したいところだ。

******************************