落合博満、中日以降、貫けなかった"オレ流"!

ロッテまでの落合博満、とにかくキャンプから、いや年柄年中"オレ流"だった。それは、中学高校でも社会人でもキチンと鍛練した選手ではない自覚があり、若手時代でもキャンプ序盤からバリバリにやると故障するコトをわかっていたからだ。とにかく、自分なりの打撃術形成に全力を注ぐやり方だった。

キャンプ序盤は、まずカラダ作り。足腰を主体に、ハイペースではなくじっくり作った。1軍でマイペース調整させてくれないなら、2軍のキャンプ地で全然OKだった。その時期はバットも素振りのみ。こんなカラダのデキてない時期に打撃練習や守備練習など、故障の素だからだ。しっかりカラダを作り、眼を作った。その上でオープン戦中盤から試合に出て、プロのタマに眼を慣らす。序盤だと、どうせ2軍のヘンな投手のタマを見て眼が狂う恐れも、ブツけられるリスクもあるからだ。カラダのデキを確認して、その上で打ち込みに入る。そして、オープン戦終盤は仕上がり具合を確認しつつ、見て来たタマと補正し打ち込む。リーが引退して一塁が空いたから、二塁手守備練習もしなくて良くなった。稲尾監督にはムリが通せた。

ロッテでは、2度目の三冠王でもコミッショナー調停で1億に届かなかった。2年連続3度目の三冠王で、王手をかけた。

ソコでのトレード話、毎年の交渉で揉め、落合に1億出したくないロッテフロント、稲尾監督を反落合の有藤にスゲ替え、下地を作った。案の定、有藤は落合放出を唱えた。ちょうど、中日には星野が監督になり、宇野を放出したく、毎年交渉で揉める牛島も出したくて、交渉が纏まった。

落合は中日へのトレードで、初めて1億超した。しかし、その条件に星野は若手の見本となるコトを要求された。キャンプインから1軍にいて、最初から全メニューやるコトを要求された。まあ、セ・リーグは1軍と2軍でキャンプ地も使用設備も段チ過ぎて、落合自身も2軍行きはイヤだった。カラダもデキてない内から、打撃練習や守備練習、紅白戦もフル参加、技術確認できないまま、オープン戦も序盤からフル参加、デキてないカラダ、デキてない技術のまま、星野の相手をしなくてはならなかった。

開幕戦に、巨人西本を相手にしなくてはならなかった。仕上がりきってないトコにあのシュート攻め、それも全球シュート!落合の方が大混乱した。江川だったら、違う結果を出せたのに。

以後、落合のカラダと技術は落ちて行った。打撃も守備も落ちて行った。

それが、あの中日戦、何の変哲もない一塁ゴロのマタ裂き肉離れになった。

*********************************

落合博満氏 「野球に関して考え方が甘かったね」巨人に移籍して感じた中日との違い
7/20(水) 17:10 Yahoo!ニュース
  14
落合博満
 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が20日、自身のYouTube落合博満のオレ流チャンネル」を更新。1993年オフに導入されたばかりのフリーエージェント(FA)制度を行使してFA宣言し巨人に移籍した落合氏。実際に移籍して感じた中日との違いについて語った。

【動画】落合博満の「オレ流チャンネル」第30回

 落合氏は巨人と中日の違いについて「あぁ、野球に関して考え方が甘かったね」とバッサリ。その真意について巨人は「1敗が1敗じゃなくて5敗くらいしたような雰囲気。それが10月8日になった要因だね」と巨人移籍1年目の伝説の「10・8決戦」は、巨人が1敗を重く捉えすぎて「だんだん追い詰められて、勝手に負けていった」結果だったとした。

 落合氏はシーズン中に「一回選手を集めてミーティングをしたことがあるけど」と当時を振り返り「1敗を5敗くらいしたような感じで野球をやるなって言って。よそのチームはジャイアンツに勝つためにどれだけ一生懸命になっているかっていう…だって新聞の1面に載るわけだから。それだけ全力できてんだから“1敗は1敗なんだよ”っつって。何も追いつめられるなって言った」と当時のチームの裏側を語った。そのミーティングは「10・8」直前ではなく「8月くらいだったかな」とシーズン中盤から落合氏は危機感を持っていたことを明かし「それでも体質的に弱い体質だったのかな」と笑った。

 最後に「だからジャイアンツの強さっていうことを忘れていたんだろうね…う~ん、伝統ある球団だから」と“盟主”であり優勝が義務付けられた巨人だからこその、選手たちの苦しみを移籍1年目から感じ取っていたことを明かしていた。

*********************************