落合下降の決定打!94年10・8の股裂き肉離れ。

巨人での落合、もはや、力の衰えは隠せなかった。中日以降、オフの過ごし方やキャンプやオープン戦の取組方が、変わったせいだった。

ロッテ時代の落合は、オフにカラダを休め、キャンプからはカラダ作り第1、2軍キャンプにいるコトも屡々で、早くからの紅白戦など、見向きもしなかった。カラダをゆっくり作るのは、中高や社会人でもあまり鍛えて来なかったカレに不可避なやり方だった。カラダがデキたトコで、打ち込み開始!2軍にいるコトも多かったから、ほぼ専属で打ち込めた。当時のロッテは、1軍キャンプも2軍キャンプもヒトも施設もお寒かったから、堂々と2軍を選べた。オープン戦序盤は、他球団も色んなレベルの投手を使うから、あまり打て合わない。マイペースの打ち込みしながら、中盤以降に仕上げていた。稲尾監督は、任せていた。

中日以降、初の1億突破選手となったせいか、お手本になるコトを要求された。パ・リーグとは注目段チのセ・リーグチーム、オフをゆっくり休むコトも、じっくりカラダを作るコトもデキなくなった。キャンプ序盤から紅白戦、オープン戦序盤から結果を追われ、マイペース調整やオレ流(オレ竜)は影を潜めた。中日1年目の開幕戦、巨人西本のシュート攻めを打てなかったのが、下降の始まりだった。ロッテ放出もカネ問題だったが、中日放出もカネ問題だった。だから、巨人に行かれても、中日フロントに痛手はなかった。

巨人でもマイペース調整やオレ流はなく、ヌクヌク1軍キャンプ施設や報道陣に囲まれ、面倒見オヤジと化していた。

中日と巨人での年月で、足腰に来ていた落合、あのボテボテ一塁ゴロをキチンと腰を落とさず、前にも出ず、腰高な姿勢からグラブだけで捕りに行こうとした。まして、前年までホームだった、ナゴヤの一塁だったのに。

足腰は1度やると厳しい。ロッテまでに三冠王3度の選手が、タイトルなど夢の股夢になってしまった。

 

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落合博満氏 巨人在籍3年間で思い出に残っているのは「ケガしたこと」
7/29(金) 17:05 Yahoo!ニュース
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落合博満
 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が29日、自身のYouTube落合博満のオレ流チャンネル」を更新し、94年から96年の3年間在籍した巨人時代で思い出に残っているシーンについて振り返った。

【動画】落合博満の「オレ流チャンネル」第33回

 巨人時代に思い出に残っているシーンについて問われると「あぁぁぁ…」と少し考えてから「ケガしたことじゃないか」と、94年の中日との「10・8決戦」で3回の守備で立浪のゴロを捕球の際に足を滑らせ、この回終了後に負傷退場した。

 「それと、2年後。野口(茂樹=中日)にデッドボール受けて骨折した。その程度じゃないかな」と振り返った。いい思い出よりもケガをした際の出来事を挙げたことに「ゲームに出られなくなったっていうことの方が重大だよな」と語った。

 また、巨人に移籍して良かったこと、悪かったことを聞かれると、良かったことに「3年間野球をやらせてもらえたこと」とした。悪かったことについては「ないよ。周りは辞め方がどうのこうのって言うだろうけども、それはその時の事情によって変わってくること。悪い思い出ってそうはないよ」と振り返った。

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