バカの一本調子!馬力アップしか引き出しない?

平成チューニングって、やってるコトは、昭和の延長じゃん!制御が良くなって、過渡特性が良くなったくらいだ。

馬力&トルク?いつまでやってるの?エンジンは、70年代終わり頃には1,000馬力も見えていた。

むしろ、80年以降、チューニングの方向が偏り、おかしな方向に行ったのじゃない?馬力&トルクに関わるチューニングばかり。

例えば、

ファイナルギヤ比を下げるとトルクアップに近い効果あるし、上げるとパワーアップに近い効果がある。最高速チューンなら後者に思えても、車重あると前者の方が良かったりする。

また、

アンダーフロアに三分割くらいでFRPパネルを敷き、フラットボトム&エア抜き孔設けてアンダーフローを改善する。高速時の車体下面流が改善したら、無意味なデカいリヤウイングも不要になる。

その上で、フロント取入空気を

ラジエーター&インタークーラー冷却後の気流とブレーキ冷却後の気流やタービン冷却後の気流をボンネット上とフロントタイヤ後部から抜き切れるようにする。

クルマやオートバイや自転車、見も蓋もなくギヤ比な部分はある。エンジンパワー&トルクアップなんかにカネ遣うなら、ファイナル変更や内部空気抵抗低減に遣う方が、遥かに安くつくハズ。

 

 

 

 

 

 

 

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時速300キロ超え! 1000馬力オーバーは当たり前!「GT-R」と共に進化した「平成チューニング」を振り返る
2022/08/06 01:14 Auto Messe Web3

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チューニングの進歩は第2世代GT-Rと共に

平成6(1994)年、「チューニング」に革命を起こしたR32スカイラインGT-Rが生産終了になった。ここから「チューニング」はさらに加速度を増していったように思う。GT-Rの深化とチューニングの進化は密接な関係なのである。現在に至るまでの25年以上の間にGT-Rチューニングはどのように変化したのか。あらためて思い返してみるとさまざまなトレンドがあった。時代とともに移り変わり進化していった調律の移ろいを『Kansaiサービス』の向井敏之代表と共に振り返る。

谷口信輝の愛車「R35GT-R」は「リバティウォーク」仕様! 理由は子供たちに夢を与えたいから

(初出:GT-R Magazine150号)

R32はチューニングを一気に進化させる存在だった

平成6(1994)年に生産終了したBNR32の功績は途方もなく大きく、それまでのチューニングのレベルを飛躍的に向上させた。『Kansaiサービス』の向井敏之代表も例外ではなくR32GT-Rに魅せられた一人だ。データ取り用と実践用の2台のデモカーを駆使して夢中で開発に勤しんだ。

それまでもRB20DETのチューニングは積極的に行っていたが、新開発のRB26DETTは、もはや別物。今までのフルチューンレベルをいとも簡単に上回ってしまった。手を入れれば予想以上の効果を発揮できてしまう。R32GT-Rの最終モデルが出るころにはツイン、シングル、シーケンシャルとあらゆるターボの仕様を試みて、普段使いにも耐えられるクオリティを実現させている。

翌1995年にはR33GT-Rがデビューした。エンジンに関してR32との違いを徹底的に確認するのが最初の仕事だ。プラグはもちろんインテークのレイアウトなど抜かりなくチェックしていく。今でこそ当たり前になっているエンジンのエキゾーストポートからタービンブレードまでの一次排圧とタービンブレード以降の二次排圧は、当時からその重要性に気付いていて、見逃さずに計測していた。

こうした繊細なデータがブーストアップといったライトチューンはもちろん、ハードなチューニングを行った場合に必ず役に立つ。データは決して嘘をつかない。それをどう生かすかが、チューナーの腕の見せどころとなってくるのだ。

GT-R史上、最も過激にパワーを求めたR33時代

ホイールベースが延びて、ボディが長く葉巻型のような造形になったR33GT-R。走行安定性も空力もR32に比べて向上した。これはチューニングに有利に働く。R33がデビューした1995年頃は、GT-Rで300km/hを出すのはもはや当たり前だった。各チューナーはR32で十分なノウハウを得ていたからだ。こうした背景もあって、最高速よりもゼロヨンあるいは300km/hまでの到達時間を競うカテゴリーにシフトしていった。

同時にセットアップの機材も進化。R32の時代は空燃比計が威力を発揮していたが、R33の時代ではデータロガーを活用するようになった。これでアクセル開度やインジェクターの噴射時間など細かいデータまで取れるようになり、チューニングがより深みを増していった。

そのころに向井代表は、加速力の向上を図るアイテムとしてアクティブE-TSコントローラーを登場させた。リヤが滑ったときに移行するフロントへの駆動力の量が調整でき、FRにもできる。パワーの追求と同時に、それを無駄なく路面に伝えることも考えていた。

さらにフロントデフのLSDにも注目して、積極的に取り入れていた。リヤデフのLSDばかりでなくフロント側にも導入することで独特な走行フィーリングが味わえる。効かせ具合いがポイントだ。向井代表がデモカーのR33をベースにした最初のエンジンチューニングはGT2540Rのツインターボ仕様。650psをマークした。その後、エキゾースト側のハウジングだけ大きくするとともにインジェクターを680ccから890ccに換えて700ps超を叩き出した。ブースト圧は同じ1.6kg/cm2だから、ハウジングのサイズアップ効果がよくわかる。

ビッグシングルで750psオーバーでも満足せず

下から使いやすいツインターボではあるが、弱点も存在する。二つのターボによる吸気干渉、それとハーフスロットルでのサージングだ。そこで1996年にはT51Sを使ったビッグシングル化を行った。インジェクターはそのままながら、燃料ポンプをツインにして対応し、ブースト圧1.8kg/cm2で約760psを発生した。R32時代に行ったビッグシングルはTO4S仕様でパワーは650ps。100ps以上もパワフルになっているが、シングルならではのシンプルな取り回しからくるセッティングのしやすさは変わらない。

さらにパワーを追求するためにはシングルターボでは無理なので、大きめのターボを2基使ったツインターボ化を決行。風量が大きいからブーストの制御はアクチュエータでなくウエストゲートを使った。選んだターボはGT3037Sだった。パワーは841.2ps。トルクはなんと82kg–m。燃焼室の形状や圧縮比、さらにはバルタイなどに拘わり、街中でも使える特性に仕立てている。ちなみに、ビッグターボでのツイン化はR32ではやっていない初の試みだった。1997年のことだ。

800ps超は想像以上にエンジン本体を痛めつける。当時は材質の問題もあり、ヘッドガスケットがよく抜けた。それを見越してストリートではパワーは抑え気味に。さらにヘッドボルトを伸びにくいスタッドボルトに換える対応もしていた。

ハイパワーから乗りやすさ重視へ円熟したR34時代

R34GT-Rが発表された1999年頃は、R33で行われていた熾烈なパワー戦争もひと段落。ユーザーはより上質なフィーリングを求めるようになる。

R34の純正ターボをバラしてみるとR32、R33のものと比較して、コンプレッサー側の羽根の数は同じながら、3~4mm小さくしてピックアップを向上している。エキゾースト側はサイズは同じでも枚数を11枚から9枚に減らして排気の抜けをよくしたハイフロー化を行った。材質は以前と同様にセラミックだが、枚数が減っているので壊れにくい。懸念したコンプレッサーの容量不足は感じずに、レスポンスのよさが際立つ扱いやすいターボだ。

これに1.2kg/cm2掛けると430psがマークできる。それ以上を求めるにはニスモタービンを流用するのが主流だったが、低速域のレスポンスが今一つ。そこで向井代表は純正とニスモのいいとこ取りをしたリニアチャージターボを、1年間の開発期間を経て2000年に発売している。その後に登場するHKS GT-SSタービンの前身モデルだ。

2000年には『HKS』のフルコンピュータ「F-CON V プロ」もデビューした。それまではエアフロの容量を鑑みながらパワーを追い求めていた。しかしエアフロセンサーがターボの吹き返しの影響も受けてしまい、吸気抵抗にもなる。エアフロレスが行えるVプロならばこうした心配がなくなる。結果としてセッティングの幅を広げてくれると評判になった。

トリプルシンクロになったゲトラグの6速MTもR34の魅力の一つ。レスポンス重視のエンジンチューンとの組み合わせでサーキットを楽しむユーザーが増えていった。そんな中、とくにR34の前期モデルにおいて、エンジンメタルの焼き付きが目立った。それ以降のモデルではあまりないので、対策されたのだろう。

排気量アップや可変バルタイがメジャーな存在に

KansaiサービスのデモカーR34は2001年にリニアチャージターボからTO4Rのシングルターボ仕様に変更している。当時、じわじわと広まっていたHKSの2.8Lキットと組み合わせて、とても扱いやすい600ps仕様を完成させた。その2年後にはHKSからインテークのバルブタイミングが可変できるVカムもデビューを果たした。これらの登場によって、RB26DETTはますます柔軟な味付けがしやすくなっていった。

また向井代表を含め、チューニング業界はR34の登場以降もR32用のパーツ開発を継続していた。KansaiサービスではR34のフラットなフロア下面に影響を受けて、フロントまわりのフラット化パーツを生み出した。えぐりを入れて通過する空気の流速を速めて、より大きなダウンフォースを稼いでいる。

さらにボディの剛性アップアイテムも充実させた。リヤシートを生かせるロールケージは効果がある上に便利だ。シャシーの強度を上げるパーツなどは、今では当たり前となっているが、当時はまだ斬新だった。

Kansaiサービスではひと工夫したVプロの使い方も行っていた。一般的にはエアフロレスで使うのだが、あえてエアフロを生かしたセッティングだ。LジェトロのLを取って「Lプロ」と名付けられたこの手法は、アクセルハーフ付近での安定感が抜群。吸入空気量を予測するDジェトロよりも、実際の空気量を測定するLジェトロはセッティングの時間も短縮できる。ブーストアップ程度のセッティングなら約2時間で終了する。専用の圧力センサーがいらないので、セッティング時間も短縮される。それにより、必然的に費用が安く抑えられる。さらに発展性もあるので無駄がないのだ。

2002年にR34の生産が終わっても、RB26DETTのチューニングは一向に衰えなかった。すでにR32はデビューから10年を軽く超えていた。R32に限らずオーバーホールの必要性が出てくる車体も多くなり、エンジンを開けると同時に排気量アップを行うケースが増えていった。さらにVカムも導入して、下からトルクフルな特性に人気が集まった。

ノーマルでも怖いくらいの速さを誇るR35の可能性

そうこうしているうちに、R35がデビューした。2007年の12月のことである。すべてが新しくなったクルマということで、向井代表はR32のときのようにデータ取り用と実践用の2台を購入。Kansaiサービスらしく、ノーマル状態でのデータを徹底的に取っていった。

馬力はカタログ表示で480ps。シャシーダイナモによる実測では、すでに490psをマークした。しかも測定中にスピードリミッターが作動してしまい、本来のノーマル馬力は測定できない。進化したノーマルコンピュータは、簡単にはデータを変更できなかった。HKSではいち早くリミッターが解除できるVACを発売。ノーマルコンピュータに割り込ませることで対応した。こうして計測した数値が520ps。それまでの日本車の概念を覆す実力だ。

HKSはデビュー翌年の2008年にはGT570パッケージを登場させている。ブーストアップのための内容で、専用のEVCや強化アクチュエータ、それにインテークまわりのパイピングなどをパッケージング。0.9kg/cm2のノーマルブーストを1.2kg/cm2まで引き上げて約570psがマークできるものだった。

パワーと乗りやすさの両立が令和時代の仕立て方

R35がデビューしてからちょうど一年後の2008年12月、苫小牧にあるワーカム北海道に5台のR35が集結した。どれもがノーマルタービンのブーストアップ仕様で吸・排気系やコンピュータのセッティングで最高速を競うといった内容だ。まだまだ発展途上の状態だったので、どこもメニューには大差ない。

そんな中、向井代表は570ccのノーマルインジェクターの容量不足を懸念した。そこで650ccの他車種用を加工して装着。問題は燃料の調整だ。やっとスピードリミッターのアドレスがわかったぐらいで、その先には進んでいなかった。単純にインジェクターを付け換えただけでは濃くなり過ぎてしまう。テスト前までになんとか燃料の減量用のアドレスを見つけて対応した。

当日は2台がインジェクターを換えていた。ノーマルインジェクターの3台はどれもが310km/h台。Kansaiサービスが持ち込んだR35はキャタライザーを生かした完全合法仕様で326.2km/hをマーク。扱いやすさと同時に車検対応に拘わった。もちろんエアコンやオーディオを生かして自走で帰れるように仕立てている。たった一瞬結果が出ても壊れてはストリートカーとして意味がないからだ。

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時代は平成から令和になり、向井代表は「もう最高速はやらない」と言う。危険過ぎるというのも理由の一つ。絶対的なスピードの追求よりも街乗りでの扱いやすさなど、日常的に価値のあるチューニングを確立する。まずは素材をじっくり研究し、パワーを追求。その後扱いやすさを重視する円熟期へ。これはKansaiサービスに限ったことではなく、GT-Rメイクの辿った30年間であり、平成を駆け抜けたチューニングの歴史なのである。

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