自分は好みでなくとも、お勧めできるクルマ

RWD好きのワタシは好みでなくとも、他人からアドバイスを求められればお勧めできるクルマ、それがニッサンP10型プリメーラだった。グレードとしては、U12型ブルーバードに近い。当時はラリーユースもあった、SSSもあるブルーバードは割と低く広めなボリューム、欧州的ファミリーカーオペル的なバランスを目指したプリメーラと差別化されたように思えた。トヨタ車同級グレードと比較しても、低さ横広さ演出のカリーナEDやコロナエクシブと違って、実用的に感じた。

走りも、割とカッチリしていた。

個人的には、コンセプトカーのプリメラXが"FFでもこんなにフロント低くできるの?"とインパクトあって好きだったが、生産型プリメーラは割とフツ~でしかなかった。

P11型は全日本ツーリングカー選手権で、星野一義ニッサン系ドライバーが自チームのスポンサーカラーのプリメーラで走った。実際、星野はカルソニックカラーのプリメーラでインホイールリフトやってた。

当時は、鈴木亜久里トヨタでエクシブを走らせていた。R31GTS-Rなどニッサンイメージもあったし、F3000のフットワークムーンクラフトヤマハのイメージも、あるにはあったが。

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なぜ日産初代「プリメーラ」は「欧州車に追いついた」と言われたのか? 当時の「ゴルフ」オーナーが乗って驚いた実力の高さとは
8/7(日) 12:10 Yahoo!ニュース
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ルックスから走りまで徹底的に欧州風味だった
 
1990年に登場した初代P10プリメーラ
 もはや時効成立のこととして書かせていただくと、初代P10型日産「プリメーラ」の量産型を最初に見たときの筆者の第一印象は、「オペルベクトラにそっくりじゃないか!」だった。ヤナセが扱う直前の東邦モータース時代のベクトラのカタログ写真も画像ギャラリーのなかでお見せしておくが、プリメーラの訴求色だったダークグレーパール(ガンメタ)やダークレッドパールは、確か奇しくもベクトラにも用意があり、なので同じボディ色同士だとなおさら「似かよっている感」が強くあった。

【画像】走りもパッケージングも本物志向! 初代「プリメーラ」の写真を見る(全19枚)

やわらかなデザインで英国でも生産していた
 空力を意識した、コーナーを丁寧に丸めて作られたデザインも、同じ時代のクルマの証拠のように相通じるもの(?)があったし、第一同じミドルクラスセダンという、まさに真っ向ライバル車でもある車種同士でもあったのだ。後年、このプリメーラのデザインを日産在籍時代に担当された前澤義雄さん(がご存命だった頃)に、恐る恐る「ベクトラのデザインをどう思われますか?」とお訊きしたことがあったが、「どうとは?」とだけ返され、おののいてそれ以上はお聞きすることができなかったのは、今となってはとても残念なことのひとつだけれど……。
 誤解のないよう追記しておけば、初代プリメーラベクトラは雰囲気が何となく似ていただけであり、実際には工業製品然としてやや冷たいベクトラに対し、プリメーラはシンプルかつクリーンでありながらもボディの面質にやわらかなニュアンスがあり上品な仕上がりだった。ちなみにプリメーラアメリカ市場向けのインフィニティブランドに「G20」として投入され、同系列のデザインをもつセダンにマキシマ(J30)があった。
 なおP10プリメーラの最初のモデルは1990年2月に登場、1991年10月になると正真正銘のUK製の5ドアが輸入された。筆者は音楽を聴くのは大好きであるが自分では何も演(や)れないので楽器の種類にはトンと疎いのだが、5ドアのカタログ写真には後席を倒し、そこにチェロだかコントラバスだかのケースを寝かせて載せた写真が載っていたりするが、4ドアセダン+αの実用性とスマートさ、GTの赤いエンブレムを付けスポーティさをさり気なくアピールしていたのが5ドアだった。

工学的にこだわり抜いた「プリメーラパッケージ」
プリメーラパッケージ」。もともとスペイン語で「第一級」の意味を持つ車名だけに、なんとなくパッケージングまでも上質感があるように思えた……というか、まさにパッケージングと走りにこだわったヨーロッパ車風味のセダンが、このプリメーラだった。
 とくにカタログには、まるでNTC(神奈川県・厚木にある日産の開発拠点)のスタジオの壁に貼ってありそうな車両レイアウト図が大きく見開きで載せられていた。そこに低空気抵抗のためのロング&フォワードキャビン、ダブルリンクヒンジを用いたハイデッキのトランクルーム、低全高のラジエターを採用した低いノーズなどの説明が添えられ、見るからにそれまでの日本のセダンとは考え方が違う「本物感」を漂わすコンセプトが表現されていた。
 さらにページをめくると、クルマ好きならプリメーラの背景にブレて写っているのがB3型アウディ80、メルセデス・ベンツ190E、E30型BMW3シリーズ、その後ろにボルボ940セダンとわかる、当時の欧州人気車種をからめたカットも。いかに欧州車を意識していたかがわかる。

「硬い」と言われた足も欧州車なら当たり前のレベルだった
 もちろん走りも、くだけた表現をすると「まんま欧州車」だった。筆者の場合、強く印象に残っているのは、とある高速道路のとあるインターチェンジで、本線からオフランプのループに降りて行った際の安定しきった姿勢、ライントレース性、4輪の接地感がなんて素晴らしいのだろう! と思った記憶がある。
 当時の筆者は自分でVWゴルフIIのCi・2ドア・5速MTというスノッブなクルマに、当時のGTIと同じ純正アルミホイールに60タイヤを奢って乗っていた。日々、天候を問わない高速走行時のスタビリティの高さを肌で実感していたのだが、P10プリメーラに試乗し、ふたたびくだけていうと「VWと同じじゃん!」と実感したのだった。初期のP10は、足まわりのセッティングがやや硬めとも言われたが、欧州車オーナーから言わせれば、それが欧州車の標準で、だからこその高速スタビリティとワインディングの安定感なのだ……と思ったものだ。
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 当時の日産は「901活動」なる運動性能を磨き上げる活動に取り組んでいたり、実際にVWサンタナノックダウン生産も経験済みだった。そうした背景から生まれた初代P10プリメーラは、だからパッケージも走りも本場の欧州車にヒケをとらない実力を身につけたクルマだったのである。なおP10プリメーラではフロントにマルチリンク式、リヤにパラレルリンク式のサスペンションを採用し、2段絞りバルブのショックアブソーバーなどを使いながら、サラッと前述のような欧州風味の走りの味を出していたのだった。
島崎七生人

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