内海哲也、もっと投げられなかったのか?

内海哲也、ワタシ個人として、好きな投手ではない。あの立派なガタイ、カラダを目一杯使ったバッタン投げ、でも140キロ出ないストレート!巨人左投手、立派な速いタマ投げそうなフォームなのに、ちっとも速くない投手はワンサカいる。新浦やデビュー時の角や橋本や宮本や岡島など。まあ、星野伸之には負けるが。チェンジアップと言いながら、実際はパームボール投げてるのは、杉内俊哉ダルビッシュ有らにも引き継がれている。

阪急やオリックスに高卒時指名受けたのに、拒否して大学や社会人で他球団でプロ入りすると、ロクでもない人生が待っているのか?巨人の江川や内海、阪神中西や西武川村ソフトバンク新垣は三輪スカウトを自殺にさえ追いやった。みんな、期待より活躍できずにプロ生活を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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西武・内海、今季限りで引退 40歳元巨人エース左腕、移籍後は兼任コーチとして若手育成尽力
8/16(火) 2:00 Yahoo!ニュース
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西武・内海
 西武・内海哲也投手(40)が今季限りで現役を引退することが15日、分かった。すでに球団側にも伝え、了承された。16日にも正式発表される。古巣の巨人ではエースを務め11、12年に最多勝を獲得するなど、通算135勝を挙げている左腕。西武では移籍4年目の今季から兼任コーチを務めるなど、若手の見本となっていたベテランが、19年の現役生活にピリオドを打つ。

【写真】巨人時代の内海

 現役投手5位の通算135勝を誇る左腕が、ユニホームを脱ぐ。まだできる、という周囲の声もある中、決断の背景には2つの「節目」がある。一つは今季達成した史上92人目の通算2000投球回。もう一つは年齢的な区切りだ。

 記録を達成した5月7日の日本ハム戦後には「肩の荷が下りた。このまま終わっちゃうんじゃないかなっていう時期もあった」と喜び、4月29日に迎えた40歳には「精神的にズシッときた。今までにない感情。体の変化も日々感じることがある」と語っていた。

 意志の強い男だった。敦賀気比3年の00年ドラフト。オリックス1位指名を受けたが拒んだ。祖父の五十雄さんが巨人の元外野手。幼少時から母・広子さんに聞かされていた祖父と同じ、巨人入団を夢見た。「僕が決めたことには何も言わないと言っている」と家族に頼らず決断した18歳は、社会人の東京ガスに進んだ。

 03年自由獲得枠で念願の巨人入り。3年目の06年に初の2桁12勝を挙げ、11、12年に2年連続最多勝を獲得するなど左腕エースの地位を築いた。選手会長だった12年は日本シリーズ第1、5戦で2勝しMVPを獲得。09年WBCでは原監督の下で世界一に貢献した。

 18年オフ、西武にFAの人的補償で移籍後は、懸命にもがく姿があった。19年はプロ16年目で初めて登板なし。10月に左前腕も手術した。プロ初の単独自主トレで臨んだ20年。9月2日のロッテ戦で743日ぶり、移籍後初白星を挙げたが「引退」の2文字と何度も向き合った。

 12日、故障者に代わり本格的には経験がない中継ぎで1軍昇格。「背伸びしても仕方ない。泥くさくてもいい。ゼロで帰ってこられるようしっかり投げこみたい」という言葉は、地道に実績を積み上げてきた内海の野球人生そのものだった。40歳が、時には日の出前に2軍施設に到着し、誰よりも早くトレーニング。巨人時代から変わらない、ひた向きに野球に向かう姿勢が、19年間で4年連続を含む計7度の2桁勝利の礎だった。

 その姿勢で若手の手本となり、今季からコーチも兼任。引退後は指導者の道を歩むとみられる。巨人でも西武でも、精神的支柱だった左腕。「緊張はするがやみつきになる。最高の舞台」と語るマウンドに別れを告げる。

 ◆内海 哲也(うつみ・てつや)1982年(昭57)4月29日生まれ、京都府出身の40歳。敦賀気比から東京ガスを経て、03年ドラフト自由枠で巨人入団。11、12年に2年連続最多勝。18年に炭谷(現楽天)のFA移籍に伴う人的補償で西武に移籍。19年10月には左前腕の筋腱修復手術を受けた。20年9月2日のロッテ戦で移籍後初勝利。今季から兼任コーチを務めた。通算成績は332試合で135勝104敗、防御率3.24。1メートル86、92キロ。左投げ左打ち。

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