ゴジラ松井の星稜、5打席連続敬遠で勝てなかったチーム!

野球とは、互いに27のアウトを取られるまでに、何点取れるかを競うゲームだ。打ち取った当たりを確実にアウトにできるかが肝心になる。

その中で、1試合に特定打者に5四球とは、勝つべき試合に対して、かなりの黄信号になる。必ずしも、他の打者に四死球出さないとも限らないし、9回あれば、打てない試合でも5安打は出る。10人くらい走者を出すコトになる。そう考えれば、かなりリスキーな作戦とも言えるし、星稜のチームや打順編成を考えたら、4番頼みの打線と判断したのかも知れない。もちろん、確実にその前後を切るコトは絶対条件だ。勇気ある作戦とも思うし、一方で「ゴジラって、それほどのモノか?」とも思った。実際、もっと素晴らしい打者は甲子園にいっぱいいた。星稜はそんなゴジラ1人しかいないチームだった。だから、それだけ走者を出す要素あっても勝てなかった。石川県は、そんな偏ったチームでも甲子園に出れるくらいのレベルなのだ。実際、奥川の年も優勝できなかった。逆に、明徳はこの監督で優勝もした。

投手で4番のワンマンチームなら勝ち抜ける可能性もあるが、単なる4番打者だけのワンマンチームは、所詮打線の中の1/9の影響力しかない。仮に勝負していても、1・2点取られるかどうか程度の見積に過ぎない。

こんなコトで明徳をずっと目の敵にした、高野連やマスコミや観客らの野球を見る眼がダメなだけだ。

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球界を代表するトップスターの「最後の夏」(2)最後の試合でバットを振れず
8/16(火) 11:51 Yahoo!ニュース

トップスターたちの最後の夏を振り返る。【産経新聞社】
高校時代に活躍した選手でも、プロ野球界で活躍することは並大抵ではない。一方で、トッププレーヤーが必ずしも甲子園制覇を果たしているとも限らない。高校野球を経験した選手たちには、それぞれに「夏の終わり方」がある。今回は、球界を代表するトップスターたちの「最後の夏」を紹介する。

【表】夏の甲子園2022 勝ち上がりトーナメント表

 
当時の松井秀喜。【産経新聞社提供】
松井秀喜(星稜)
出身:石川県
投打:右投左打
身長/体重:186cm/95kg
生年月日:1974年6月12日
ドラフト:1992年ドラフト1位

 星稜高校の4番として、読売ジャイアンツの4番として、数々のアーチを描いた松井秀喜ジャイアンツに在籍した10年間で332本塁打メジャーリーグでは175本塁打を記録した天性のスラッガーだった。星稜ではなく小松明峰に進学する可能性もあったというが、山下智茂監督(現在は名誉監督)の惚れ込みで星稜への入学を決めた。

 高校1年生から4番に座った松井は、高校通算で60本塁打を記録。現在はソフトバンクホークスで活躍する松田宣浩中村晃と同じ本数だ。しかし、松井が1年生の夏(1990年)の甲子園大会では、日大鶴ヶ丘との試合でヒットを打てずに敗退。その後、人知れず努力を重ねて、松井は高校球界を代表するバッターとなったのだ。

 松井の最後の夏は、高校野球ファンであればご存知の方も多いはず。1992年、明徳義塾との試合で5打席連続敬遠となり、松井は一度もバットを振ることができなかった。明徳の先発ピッチャーの河野和洋(現:帝京平成大学監督)は、ベンチ前での投球練習中に観客から脅迫めいた言葉をかけられたという。

 社会問題にまで発展した5打席連続敬遠だが、松井は後にTV番組のインタビューで河野と再会した。そして、河野が松井に「日本のスターですから」と発した後、松井は「君のおかげだよ」と返していた。この騒動が、松井がスターになるきっかけだったと言えるだろう。
ベースボールチャンネル編集部

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