東大進学率と言うより、国公立大進学率だと思うが。

ワタシ個人、進学はバランスだと思っていたし、今も思っている。生活のバランスとして、妹3人いる状況なら、私大や他県国公立大など考えるのは、家族の生活だけでなく、自分のためにも適切な選択ではないと考えていた。

高校は学区内トップ校がタモリの筑紫丘高だったので、他意なくソコへ、また単に、歩いて行けるトコに九州大学教養部があり、オートバイやクルマを乗り入れデキた箱崎本学があったから、九州大学を志望選択した。別に部活や趣味などやりつつ、当時は国公立大は1回しか受験できなかったが、1年目も希望持てる点数は取っていたが不合格、筑紫丘補修課で授業の合間にテニスしながら、2回目は合格デキた。

小中高の延長で、家から大学に通った。1時限~8時限までフルに講義に出て、勉強は程々、アルバイトしたり、妹に教えたり、趣味もやってた。自転車やオートバイやクルマで、家族の用事をこなしたり、行きたいトコへ行った。

それは、自分の置かれた環境に同化する如く、ドコかに偏重するコトなくやって行く選択をして来たからだと思う。

奈良から東大?頑張るネ!それだけだ。京大なら通えない?大阪朝日アナウンサーにも、奈良から京大のヒトいるネ!別に、高校の進路指導も、個人的には国公立大に行けるなら大阪市大府大や大教大でも良いと思う。

"より悔いの少ない人生"という観点で、バランス取れた選択をすれば良いと思う。

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「東大&京大」合格者数全国トップ10入り!“西大和学園”が躍進した理由
8/24(水) 6:01 Yahoo!ニュース
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大阪南部との府県境にも近い「王寺」が最寄り駅となる学園を一望する。二つの男子寮に在校生の1割強が暮らしている 写真提供:西大和学園中学校・高等学校 
 2022年の東京大学合格者数で、開成、灘、筑波大学附属駒場聖光学院に次ぎ、西大和学園は5位にランクインした。共学校ではトップとなる。京都大学の合格者数もランキング10位であり、日本中を見回しても、両方に名を連ねているのは奈良の西大和と神戸の灘の2校しかない。首都圏では知られざる存在だが、1986年の高校開校以来、トップ進学校への道を歩んできた。その躍進のきっかけは何だったのか。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

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 飯田光政(いいだ・みつまさ)
西大和学園中学校・高等学校校長

 1974年神奈川生まれ。大阪教育大学卒業後、理科教員(生物)として西大和学園に。理科主任、学年部長を歴任し、2020年度には渉外室で生徒募集部長、21年度教頭、22年4月から現職。

● 東大・京大合格者数で全国ベスト10に

 10年前、2012年の西大和学園の東大合格者数は16人で、奈良県内では男子校の東大寺学園と比肩するものの、全国区で話題となる超進学校ではなかった。ところが5年前から、文字通りうなぎ上りで合格者数を増している。いったい何があったのだろうか。

 ――関西圏の学校がこのコーナーに登場するのは初めてです。2022年も、東京大合格者数ランキングで大進撃されましたね。

 飯田 21年よりもさらに子どもたちの夢をかなえることができて、過去最高の79人(全国ランキング5位)となりました(図1)。

 ――西大和さんといえば、京都大のランキング上位校という感じでした。

 飯田 21年には、京都の洛南さんにつぐ63人(全国ランキング2位)の合格者を出しました。今年も多くの子どもたちが受験しましたが、こちらは40人(同10位)しか合格させてあげられませんでした。東大の志望者が増えると、どうしても京大の志望者が減ってしまいます。

 ――両方とも毎年伸ばすというのは難しいものですね。ところで、東大の合格者を増やそうとカジを切ったきっかけは何だったのでしょう。

 飯田 本校は変革し続ける学校です。創立当初は関西私大を目指す学校でしたが、子どもたちの志望や成長に合わせ、目標もどんどん上げていきました。

 また、大阪の府立高校が学区制を止めて、2011年度から進学指導特色校(グローバルリーダーズハイスクール)を導入して、北野や天王寺など10校を指定したこともありました。このまま放っておくと、こうした学校から京大合格者数がとんでもなく増えるのは予想できたので。

 ――その危機感からでしたか。

 飯田 大阪の私立高校生には就学支援金は出ますが、大阪から奈良の私立高校に来る生徒には適用されません。それでも本校に来てくれるのはありがたいことです。

 奈良から大阪の私立高校に3000人を超える生徒が通っている状況を前に、創始者県議会議員(のちに衆議院議員)だった田野瀬良太郎元理事長が「日本一の進学校をつくろう」と、1986年に高校(共学校)を、88年に中学校(男子校)をそれぞれ開校したことから本校の歴史は始まっています。

 ――奈良県内でも、大阪寄りにありますしね。ところで、東大進学へのモチベーションというのはどのように。

 飯田 奈良のこの地でどのように存在価値を出すのかと、日々議論しました。京大を受験したい子どもたちは入ってくれるようになりました。しかし、近畿にとどまるだけでなく、どう世界で活躍するのか。そこで、当時の数少ない東大に進学した卒業生を呼んできて、講演してもらう機会も作りました。

● 東大合格者増の原動力

 ――東大へ見学にも行かれましたか。

 飯田 それは、もちろんです。年に何回も行きました(笑)。私が学年部長の時には、受け持っていた学年を四つに分けて、年に4回行ったこともありました。学園祭やオープンキャンパスなど、どのタイミングで行くかは子どもたちに選ばせて。

 いまはそんなことはありませんが、10年前には「絶対行かなあかんの?」と面白くなさそうな感じの生徒もいました。関西から出たがらない子どもたちも多くいましたし、親御さんも離したがらない方も多くいましたから。

 ――東京に出るとおカネもかかりますしね。ところで、合格者を増やす作戦みたいなものはありましたか。合格者を増やしている学校を見ると、定員の多い理科I類を狙う傾向があります。

 飯田 基本的には子どもたちが受けたいようにしています。

 ――関西の私立進学校というと、ガリガリの理系で、しかも医学部志望者が多いというイメージが定着しているようにも思えますが。

 飯田 うちは文系の子どもたちが多くて、ちょうど半々くらいの学年もありました。

 ――それは珍しいですね。

 飯田 中1の頃には、毎年結構な数の医学部志望者がいます。6年間、「なんのためにその大学に行くのか」と、いろいろな先生がいろいろな話を子どもたちとしていく中で、医学部ではなく他の進路に切り替えていく子どももいます。

 ――ここ5年間の東大・京大の進学実績(図1)を見て、中学受験生の本校へのまなざしも変わりましたか。

 飯田 それはもう、全然違うものに変わっていますね。中高一貫の中学部は男子約180人、女子約40人を募集していますが、「どうしても入りたい!」と思ってくれている受験生は確実に増えています。

 本校会場の入試は、10年ほど前から関西解禁2日目の午後ですので、初日と2日目午前に灘を受けた男子の併願先にもなっています。

 女子は本校を第一志望にしてくれている受験生がほとんどで、同じ入試問題でも、少数精鋭の女子の方が平均点も合格最低点も高く、勉強の上でもリーダー的な存在になっています。しかし22年入試では、その男女の合格最低点の差が大きく縮まりました。これも本校への思いが強くなってきた証しだと思います。

 ――東大・京大合格者数に占める女子の割合を見ても、20年からぐっと増えていますね。

 飯田 女子中等部卒業生の4割程度は、東大か京大に合格しています。

 ――それはすごいことです。首都圏の中高一貫校でも聞いたことがありません。

● とても面倒見が良い学校

 ――ずいぶんと面倒見が良いのでしょうね。生徒のやりたいことを支援するスタイルですか。

 飯田 そうですね。放課後には、子どもたちがさまざまなことに取り組んでいます。クラブを掛け持ちしている生徒や、SSHやAIP(Action Innovation Programの略で、本校独自の取り組みの一つ。社会問題を解決すべく、起業について学ぶ)という取り組みに励む生徒もたくさんいます。

 文化祭や体育祭も子どもたちが主体となり、企画・立案・運営と活躍してくれています。また、学年によって英語と数学で塾の先生と協力して授業をしています。これを受けるかどうかは子どもたちに選ばせていますが、この入塾テストに落ちても、本校の教員が面倒を見ています。

 ――男子は高2くらいから一般に伸びる傾向がありますね。

 飯田 それはあります。私が学年部長の時、「東大コースをつくってほしい」と子どもたちからの要望があり、初めて東大クラスをつくりました。子どもたちには「どこまで本気なの?」と返したら、「本気でやるからつくってくれ」と67人が集まりました。

 ――その大人数ですと、灘と一緒ですね(笑)。

 飯田 結局そのままいくことになりました。高2の12月から1月にかけてクラス替えを行い、担任も替え、時間割も変更しました。年明け高2の1月から「君らは今日から高3だ!3カ月前倒しで受験生だ!」とリスタートしました。東大を受けたい希望者ということで、中には学年最下位層の成績の生徒もいましたが、その子も1年後には東大に受かりました。

 そんなふうに、東大クラスをつくるか否かは、学年部長の裁量です。

 ――それが毎年の変動要因になるわけですね。

 飯田 中等部では、22年の東大現役合格者が男女合わせて49人でした。その中には、中学入学時に補欠合格の生徒もいました。ボリュームゾーンがギリギリの点数で入ってきた生徒たちだったりもします。

 ――入学した時に下位だった生徒の方が、後から伸びるという話は耳にします。うちに来て、6年間頑張ったら、東大行けまっせ(笑)と。

 飯田 そうです! 何より大事なのは志です。高等部は男女共学で約120人募集していますが、いまでも県立高校の併願校です。私も昔受験して合格しましたが、県立高校に進みました(笑)。それでも一昨年は、高等部から東大に現役合格者17人を出しています。こちらも3年間でなんとかします(笑)。

 「オレが伸ばしてやる」というのが教員のモチベーションになっていて、先生同士が張り合っています。

 ――昔とはだいぶ変わったのでしょうね。

 飯田 開校当時は、「関関同立100人合格」を掲げていました。それがいまでは、東大の合格者数で全国ランキング上位に入るようになりました。昨年からは、海外大学受験のプログラムの導入も始め、高校卒業時に海外トップ大学に直接入れるようにしようと考えています。

 ――すでに直接進学者も出ているのですか。

 飯田 現状では、年に1人か2人です。しかし、5年後には20人の子どもたちが東大を「滑り止め」にして海外トップ大学をチャレンジしてほしいと思います。

 ――次回はなぜ、急速に躍進したのか、その背景についておうかがいしましょう。
ダイヤモンド社教育情報/森上教育研究所

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