出たけど、思ってたのと違う!

メーカーも冒険しまくった!バブルじゃなかったら「絶対売れなかったクルマ×⇒◯絶対出せなかったクルマ」「それでもコケたクルマ×⇒◯案の定コケたクルマ」

ホンダのNSX⇒ビート⇒デルソルのズッコケ3段活用は、見事にイメージを落とした。

日本自動車メーカーも80年代に結構当たったクルマが出たせいか、技術屋が増長した。事務屋が、歯止めをかける仕事をしなかったとも言える。

特に80年代のホンダ、第2期F1の成功、オートバイ世界GPの成功、市販シビックやアコードやプレリュードらの成功を受け、次の展開を考える時期にあった。

本来必要だったのは、大出力化するFFに対応したシャシー構造の開発、FF置換ミドシップへの応用だった。決して、ペラペラ板溶接モノコックを使い回すコトではない。ココで、ホンダはNSXで総アルミ板溶接モノコックなど、車両用アルミ工場新設という愚を冒した。ホンダには、二輪でアルミフレームをやっており、HRCのような開発部門の手を早くに借りれば良かった。今になって、二輪四輪レース車両開発をHRCに統合したが、30年遅かった。鋼管/アルミ管フレーム構造でエンジンマウントする技術が確立していたら、大出力FFのハンドリングも、FF置換ミドシップのハンドリングも別次元に行けたろうに・・・今も相変わらず、ペラペラモノコックに大重量スパイラルにある。

NSX、オートバイ技術の鋼管/アルミ管フレーム構造でシャシー製作していれば、車両アルミ工場自体が不要だった。より強固にマウントでき、より強いエンジンも搭載可能だった。二輪/四輪技術とHRC、あの時期に実現していたら、FFめFF置換ミドシップの未来も変わっていたろうに。

マツダは、言う程ヒット車両もなかったのに、何故か販売チャネルを増やし、おかしなFF皮替車種を増やした。

ただの自爆でしかなかった。

 

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メーカーも冒険しまくった! バブルじゃなかったら「絶対売れなかった」クルマ」と「それでもコケた」クルマ
8/29(月) 11:40 Yahoo!ニュース
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バブル期に売れたクルマ、売れなかったクルマ

バブル経済が産んだ象徴的なクルマとして語られることの多いホンダNSX
 景気がいい、金まわりがいいとなると、人はやっぱり財布のヒモが緩みがち。バブル時代がまさにこれで、今思えばよくあんなの売れたよなぁってクルマが数多くありました。例えば、ホンダNSXはバブル最高潮の1989年に発表、翌年の発売時にはプレミアがつくほどの大人気を博したものです。

【写真】ユーノス800のフロントスタイリング!

 それまでの日本にはなかったミッドシップスポーツという本質はともかく、財布のヒモを緩ませた理由はふたつ。まずはF1での圧倒的な勝利で、1989年はかの名車「マクラーレンMP4/5」で16戦10勝という圧倒的な成績でドライバー/コンストラクター双方でチャンピオンシップを獲得。ホンダブランドの力強さ、また景気がいい宣伝にほかなりません。で、もうひとつは発売を翌年としたことで巧みに「期待感」や「渇望感」を醸成させた戦略も奏功したのでは。ただし、先のF1も影響しているとは思いますが、この戦略に少なからずミーハー層が食いついてしまったことは否めません。

「今のうちに予約しておいて、発売後にプレミアつけて売っぱらおー」てな輩が少なくなかったことは、発売と同時に迎えた「バブル崩壊」によって多数のキャンセルが出たことからも伺えるかと。せっかくNSXのアルミボディ用に発電所まで工場内に作ったホンダの面目丸つぶれ、ですよね。

 一方、金まわりが良かったのはユーザーだけではありません。バブル期に販売網5チャンネルを打ち出したマツダもジャブジャブお金を使っていました。ユーノスやアンフィニオートザムオートラマなどそれぞれに専売モデル(なかには兄弟車もありましたが)をラインアップするって、素人考えでも「リスキーじゃね」となるはずなんですがね。しかも、ユーノスロードスターの超絶な売れ行きでさらにヒモ緩んじゃってM2なんてスペシャルブランドまで設立! 初代ロードスターオーナーだった筆者もワクワクしたこと忘れられません。

バブルだからといって何でもかんでも売れたわけではなかった
 
他メーカーが3ナンバーに群がる中、ユーノス500は5ナンバーにこだわった。
 とはいえ、5チャンネルはバブルが崩れていくのと歩を合わせるように収束されていったのも事実。一連の流れのなか、光が当たった(売れた)クルマといえばユーノス500であり、対照的にパッとしなかったのが同じく800だったのではないでしょうか。

 景気の良さを陰で支えた税制改革の追い風を受けて、自動車メーカーが軒並み3ナンバーの大型セダンでデッカく儲けようとするなか、500は愚直なまでに5ナンバーにこだわった中型セダン。それでも、マツダ独自の高品質な塗装や、シックな内装、昔のカペラで培ったアウトバーンでも破綻のないシャシーなど「いいもの感」たっぷりだったのです。その上、800との差別化、ライバルたちへのアドバンテージとして「そこそこなお値段」で提供されたのですから売れないわけもありません。

 一方の800は「十年基準」と銘打ち、10年飽きない品質やミラーサイクルなんて手が込んだエンジンまで搭載したもののバブルの恩恵は今ひとつ。これは、ユーノス販売店に出かけるとショールームの一等地に飾られたコスモやロードスターに比べ地味だったこと、先の500が800に似ているわりにお手頃だったことが理由かと。

 もっとも、ご承知のとおり800は「ミレーニア」と名前を変えてバブル後2003年まで生産されるなど、商品力の確かさは証明されています。コスモがありえない高騰をしている今なら、800こそねらい目なクルマかもしれません。

 ところで、三菱自動車は出自が財閥系だけあって昔も今もエリートが多数在籍しているようです。もちろんバブル期においても同様で、そんなエリートが東大同窓生なんかと飲みに出かけたと思ってください。すると、いくらかお酒で口が軽くなった大蔵省勤務の同級生が「いいよな、オマエんとこは! 今度の税制改革ででっかいクルマじゃんじゃん売れんじゃん」みたいなことをポロっともらす。「え? なになに、3ナンバーの税金下がるの!」てな会話があったかどうかわかりませんが、三菱自動車は1989年の改正を事前にキャッチしていたとしか考えられないタイミングで3ナンバーFFセダン「ディアマンテ」を発売。

 めっちゃ売れまくったのは他メーカーが続々と後追い車種、すなわちトヨタウィンダム、日産セフィーロ、ホンダ・アスコットイノーバなどを発売したことでも証明されています。言うまでもなくディアマンテの商品力が高く、時代にマッチしていたことが大ヒットの要因ですが、好機を逃さない三菱自動車の企業姿勢もまた評価されるべきファクターにほかなりません。

 この他、バブルの落とし子的に語られることが多いマツダ・ペルソナ、トヨタ・カリーナED、ホンダ・インスパイアなど、全部が全部バブル景気だから売れたってわけでもなさそうです。むしろ、バブルは名車を育むゆりかごのようなものだったのかもしれません。それにつけても、財布のヒモを緩める時代が再び来てくれること、切に願いたいものですよね。
石橋 寛

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