ホンダバラードCRX、今井美樹と取り巻く4人のカレ氏とのドラマ「意外とシングルガール」で、藤井フミヤがバラードCRX、村上弘明がレジェンドの2ドアクーペに乗っていた。
当時のホンダは、二輪のオートバイ世界GP、四輪の第2期F1での快進撃で、イメージはかなり向上していた。特に、87年以降91年までは、ホンダF1としてかなり成果が上がった。
第2期F1総監督を87年まで勤めた、桜井叔敏サンを市販車開発担当に異動させ、そのノウハウの市販車反映について、期待が上がった。しかし、桜井サンは異動後間もなく退職、以後のNSX、ビート、デルソル、プレリュード、S2000とハズレを出し続けた。
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ホンダ「CR-X」はランチア「ストラトス」と同じディメンションだった! 格上スポーツカーより速かった「バラードスポーツCR-X」とは
2022/09/04 15:11 Auto Messe Web15
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ジムカーナで大活躍していたバラードスポーツCR-X
1980年代前半、国産車のベーシックカーは揃ってFFにシフトしていた。トヨタ・カローラ、日産サニー、マツダ・ファミリア、三菱ミラージュ。そのほかにもトヨタ・コロナやマツダ・カペラ、日産ブルーバードもFFになっていった時代だ。そんななか、1983年に登場したバラードスポーツCR-Xは、FF初の本格スポーツカーといっていい。
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CR-Xで特筆できるのは、なんといってもそのディメンション。全長は初期型で3675mmとかなり短く、ホイールベースはベースとなった3代目シビックよりも250mm短い2200mm。トレッドはF:1400mm/R:1415mmで、ホイールベース・トレッド比は、あの希代のコーナリングマシン、ランチア・ストラトスとほとんど同じ(ストラトスは、ホイールベース2180mm、トレッドF:1430mm/R:1460mm)。
スポーティな軽自動車で知られるアルトワークスでさえ、ホイールベースは2460 mmもあるのに、CR-Xは2200mmだったのだから、かなり異端の存在で、実質2シーターといって間違いない。一応チャイルドシートのようなリヤシートは存在しているが、短距離なら同乗できるという意味で、「1マイルシート」と呼ばれた。
サスペンションはスポルテックサスと名付けられ、フロントは縦置きトーションバースプリングを使用したストラット。リヤにトレーリングリンク&コイルスプリング+パナールロッドを組み合わせていた。
車両重量はわずか830kg
ハーフリトラクタブルライトや、後端をバサッと切り落としたファストバックスタイルもインパクトが大きかった。外板部品には合成樹脂パーツを積極的に取り入れ、ボディ全体の40%をポリカーボネイトベースの新素材や樹脂素材で構成。その結果、車重はわずか830kg(1.5i)に収まっている。
これに初期型では110psの1.5LのPGM-FI仕様と80馬力の1.3Lのキャブレター仕様が与えられたのだから、運動性能は抜群。とくに1.5Lはゼロヨン16秒台の俊足で、NAの1500ccとしては、はじめて180km/h速度リミッターが働くクルマとして記憶している。さらに1984年にはホンダとして16年ぶりのDOHC、ZCエンジン(1.6L 135ps)を追加投入した。
FF車の持つ直進安定性とストラトス並みの回頭性、800kg台の軽量ボデイに135psのパワーがあれば、筑波サーキットでもワインディングでも、2リッタークラスのスポーティカーより断然速く、峠では高性能バイクにも劣らなかった。モータースポーツではとくにジムカーナで大活躍していたのも印象深い。
なにより、クルマ好きならムーンクラフトのボディキットを装着した、無限CR-X PRO仕様のかっこよさも記憶に残っているのではないだろうか。
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