Winkをちゃんとわかって書いてるの?

この記事書いてるヒト、Winkをあの時代にちゃんと見てたヒトが書いたの?

デビュー曲、知ってるの?南野陽子のドラマ「熱っポイの!」ルベッツのカバー、主題歌「sugar baby love」だったョ!

確か、3曲目がカイリー・ミノーグのカバー「愛が止まらない」が、再び南野陽子野村宏伸のドラマ「追いかけたいの」の主題歌になり、大ブレーク。4曲目「淋しい熱帯魚」がレコード大賞受賞した。

カバー曲が多い中、アマリリスらは数少ないオリジナル。

ブレークもタイアップも恵まれた。

むしろ、3年目以降の方が活動的におかしくなったハズ。

 

 

 

 

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Wink がブレイクする前のシングル「アマリリス」に漂う儚さの正体とは?
9/7(水) 6:00 Yahoo! JAPAN
1988年09月07日 Winkのセカンドシングル「アマリリス」がリリースされた日
異質の神秘性を持ったアイドル、Wink

1980年代も終盤に差し掛かった頃、アイドルシーンに異彩を放つ2人組が現れた。画面から見て右手が下がり眉とえくぼが魅力の相田翔子。左手に立つ憂い顔の美少女が鈴木早智子。ゴシックな衣装を纏い、まるで操り人形のようにユーロビートに身を委ねる、儚げなアイドル…… それがWinkだった。

Winkといえば「笑わない」というイメージが枕詞のように付いて回る。実際にはそこまで強固に笑わないワケでもないのだが、当時のアイドルとしては異質の神秘性を持っていたのは確かだろう。

今でこそ “病み系” といったジャンルが当たり前に定着しているが、当時のアイドルで「笑わない」は画期的というか、型破りであった。80年代を代表するアイドル雑誌『明星』の表紙なんかは、“これでもか!” と白い歯をこぼす男女の笑顔で満ち満ちている。あまりにも眩しすぎて、思わずこっちが恥ずかしくなるほどだ。

逆らえぬ時代の流れ “アイドル冬の時代” を駆け抜けたWinkの方向性とは

笑わないアイドルーー。ただ、実はデビュー当初からそうだったわけではない。下積みと呼ぶには短い期間のなかで、WinKは「愛が止まらない〜Turn it into love〜」がヒットするまでに2枚のシングルと、スタジオアルバムを1枚残している。その世界観は「愛が止まらない」以降のそれとは明確に異なり、いわゆる “清純派アイドル” としての志向性が強く窺える。

とはいえ80年代末は既に “アイドル冬の時代” に突入しており、このままWinkが清純派路線を続けても、勝ち筋を見出せないのは火を見るより明らかだった。もちろんそれは楽曲の質やWink自体の魅力とは関係なく、逆らえぬ時代の流れに依るものである。

したがってブレイクするためには方針を転換する必要があり、仕掛け人の音楽プロデューサー・水橋春夫氏は「ゴシックな衣装と無機質なダンスでユーロビートを歌う」という不可思議なスタイルを “発明” する事になる。この思惑はみごとに当たり、昭和と平成を横断する激動の時代に、Winkは唯一無二のポジションを築き上げたのである。

 
Winkだけが持つ “陰” の魅力「アマリリス

そんなわけでWinkといえば「愛が止まらない」以降の認知度が圧倒的に高いのだが、個人的にツボに入るのはブレイク前、特にセカンドシングル「アマリリス」。この曲がたまらなく好きだったりする。

1985年生まれの私にとってWinkは、当然ながら後追いも後追いで知った存在だった。きっかけが何だったかは失念したが、80年代の終わりに一世を風靡したアイドルグループがいるらしいと知るや、学校帰りにTSUTAYAに寄ってベストアルバムをレンタルしたのが、Wink初体験の瞬間だった。

ちなみにこの時点では「愛が止まらない」も「淋しい熱帯魚」も聴いたことすらなく、当然上に書いたようなブレイクまでの経緯など知る由もない。相田翔子の存在も、Winkではなく『世界ウルルン滞在記』のアシスタントとしてかろうじて認識している程度だった。つまり幸運にも私は、前知識がまったく無い状態でWinkとの邂逅を果たしたのである。

借りてきたベストアルバムは、確かシングルコレクションのようなものだったと記憶している。中でも「アマリリス」の、他にない淡さというか、純朴さが痛く気に入ってしまい、一時期この曲ばかりリピートしていたほどだ。

どこか頼りないハモリはお世辞にも上手とは言えないが、手の中で溶ける雪のような儚さは、“元気” をセールスポイントにする陽性アイドル達にはない、Winkだけが持つ “陰” の魅力とも言えるものであった。そんな二人の純朴さを際立たせたのが名人・森雪之丞による健気100%の歌詞である。

作詞は森雪之丞。健気100%の歌詞に見る世界観

 薬指に見えない 指輪があるのよ
 二人高原のチャペル
 忍び込んだ日の事
 はしゃぎすぎのあなたが
 式のまねをした
 きっと天使は知らずに
 本気にしたわ

これぞ王道アイドル。ただ、必ずしも当時の売れ線かと問われれば、正直いって首をかしげたくなる。何しろ時代はバブル初期。OLや女子大生がブイブイ言わせていた時代背景を考えると、ここまで純情で都会ズレしていない世界観はいささか前時代的というか、古臭さすら感じるほどだ。

小泉今日子が「なんてったってアイドル」で、アイドルのメタ的批評を試みたのが「アマリリス」の3年も前の話であり、'88年ともなれば “純情可憐なアイドル” というのは、もはや記号化されたキャラクターの一種と化していた時期だ。

そうした世相にあって、「アマリリス」の空気感は明らかに浮いており、前作から売上をガクッと落としてしまったのも、次作で方針をガラリと変えざるを得なかったのも、無理からぬ話ではあった。

だからと言ってこの曲の泡沫的な輝きが失われるわけでもなく、むしろそうした背景を踏まえて聴くと、より一層せつなさが胸を打つから不可思議だ。

「アマリリス」に漂う儚さの正体とは?

これに似た感覚として、モーニング娘。の「ふるさと」という曲が連想される。モー娘。を一躍スーパーグループに押し上げたのは「LOVEマシーン」だが、実はその前作「ふるさと」はオリコン最高5位と振るわず、当時はまことしやかに解散説も囁かれたほどだった。

そのすぐあとの後藤真希加入を起爆剤として、「LOVEマシーン」で奇跡的な跳躍を果たすわけだが、そうしたストーリーの中での「ふるさと」には、どこかブレイク前夜の寂寥が付きまとう。無論それは、彼女達が辿る輝かしい未来を知っているからこその感覚であるのだが……。

すなわち「アマリリス」に漂う儚さの正体は、ブレイクを信じてひたむきに頑張りつつ、将来への不安を隠せないWink二人の心情そのものなのかも知れない。そしてそれは、健気な恋心を抱く歌詞の主人公の心情にも合致する。

 窓辺のアマリリス
 春まで咲いてたら
 せつない恋心
 あなたに優しく届けたいの

そのままで大丈夫、きっとうまくいくからーー と、つい励ましの声をかけたくなってしまう。どこか頼りなく、不安げに「アマリリス」を歌う二人だが、この数ヶ月後には一躍スターダムを駆け上がることになる。つくづく人生とは分からないものである。
広瀬いくと

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