引退?任期満了?兵庫県明石市、恐喝犯罪者に退職金出す気か?

元々、前回、あの地上放火発言で辞めた後、選挙に通した明石市市民が愚かなのだ。

味を占め、増長した市長、益々特権意識を高め、今回は恐喝までやった。

本来、再任させるべき人物ではないし、今回のコトでは即刻懲戒解雇するべき事案だ。何故、立件しない?カレを半年居座らせたら、月収に報酬に退職金いくらカレにカネ出すの?

確か、兵庫県県知事と県会議長だっけ?御用車をトヨタセンチュリー、ゴリ押し購入したのは?山口県同様、兵庫県もおかしくなっているんじゃない?そう言えば、京都府も数年後には赤字に転落するのに、散財決めていたよネ!

国の内閣や国会だけでなく、都道府県市町村の首長や議会もダメダメだ。今や政治家と肩書つく連中、2代3代と甘い汁を吸い続ける政治家=政治屋だ。ロクロク勉強もしてない、エスカレーター私立出身者ばかり、バカばかりだ。今や、総理大臣より国民の方が賢い時代なのだ。少なくとも学大麻生や成蹊安倍や法政2部菅や早大岸田など、私大出身歴代総理大臣より、大抵の国民の方が賢いのだ。

国や都道府県市町村の首長や議会を廃止し、直接民主制に移行しない?各事項直接投票に基づいて、各役所が運営すれば良いのだ。

岸田の国葬強行など見ても、バカに国を任せてロクなコトにならないコトはわかったのではない?国だけでなく、都道府県市町村も。

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引退表明の明石・泉市長、決断までの4日間 ツイッター更新せず、冷静さ取り戻し「辞めるしか」
10/14(金) 18:20 Yahoo!ニュース
明石市議への暴言などについて明石市議会で謝罪し、任期末で退任する意向を表明した明石市泉房穂市長=12日、明石市中崎1
 兵庫県明石市議らに暴言を浴びせた責任を取り、来年4月の任期満了をもって政治家を引退すると表明した泉房穂明石市長(59)。今月8日の暴言騒動から12日の退任表明まで、どんな経緯をたどって決断に至ったのか。泉氏と支援者が語った。(長尾亮太)

【表】明石・泉市長の波乱の歩み

 ■冷静さ失う

 「まるで風船を針で突いたかのようだった」

 8日午前に明石市内の小学校であった式典の開式前。市議らに対し「(問責決議案に)賛成したら許さんからな」「次の選挙で落としてやる」と暴言を吐いて回る泉市長の姿があった。それを目の当たりにした市長の幼なじみで選挙活動を支えてきた朝比奈秀典氏(58)は振り返る。

 「冷静な判断ができないほど精神状態がおかしくなっている。休ませよう」。式後、「辞めるように伝えてください」と、市長に近い人に電話した。

 泉市長自身は同日午後、暴言に関する取材を報道機関から受け、「もう終わったかな」と感じたという。「(2019年、暴言で辞任し、出直し選に出馬した)前回と同じことはできない。たとえ選挙で勝っても議会との対立で施策を進められない。引くしかない」。進退は窮まった。

 ■次進む道は

 一方で、市長を退くだけなのか、それとも政治家自体を引退するのかについては思い悩んだ。日々何度も更新を続けてきたツイッターも完全に休んで思いを巡らせた。

 ポストとして改めて思い浮かんだのは兵庫県知事。昨年の知事選では立候補の打診を受け、心が揺れた。しかし「明石市政でも11年半かかってここまで来たのに、知事になっても数年で改革なんかできない」と見通した。加えて、自民系と公明党過半数を確保する明石市会と比べても、自民系のみで過半数を占める県議会では自身の政策が「さらに通りにくい」とみて思いを断ったという。

 ■引退を決断

 参院議員はどうだろう。「任期が6年あるので落ち着いて政策をつくれる」とも考えたが、「自ら議員にならなくても、アドバイザーとして国会議員に政策提案したらよい」との結論に。10日夜、政治家引退を決めた。

 一方で、突然の表明によって市政が混乱することは避けたかった。「子育て支援策を魅力に感じて明石へ移り住んだ人への責任を果たすため、今の施策を続ける人に引き継ぎたい」。退任時期は来年4月末の任期満了を待つことにした。

 11日は登庁しなかった。引退の決断を報告するため、自身を支えてきてくれた人たちに電話した。そのうちの一人、後援会長の柴田達三氏(80)はあらかじめ朝比奈氏から「慰留しないでほしい」と聞いており、「十分に頑張った。体調を崩さないよう、ゆっくりと休んでほしい」、そうねぎらいの言葉をかけた。

 ■表明の場所

 政治家引退の決断はどこで表明するべきか。泉市長が選んだのは市議会の本会議だった。引退の原因が議会との対立であるだけに、「意外と思われるかもしれないけれど」と前置きしつつ、「市民の代表でつくる議会を尊重する終わり方をしたかった」と語る。

 12日午後3時の開会直後に表明したいとの要望はかなわなかったが、問責決議案の可決後、緊急質問を受ける機会を捉えて引退の意向を明かした。

 ■母校の式典

 実は、市議に暴言を浴びせた場となった小学校は泉市長の母校だ。式典は150周年を祝うもの。半世紀前の100周年式典には、自身が小学生だったときに参加していた。

 市長として、母校の体育館に足を踏み入れた泉氏。それなりの感慨はあったはずだが、市議らの姿が目に入るや、感情のコントロールを失った。政治家をやめる騒動の舞台が母校になるとは、自身も予期していなかっただろう。

 泉市長は言う。

 「(在任11年半の間に)積もり積もった感情が一気に爆発した。完全にわれを見失い、プチッと切れた。冷静になってそのことを認識したときに、辞めるしかないと思った」

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