スズキが仮に次期カプチーノを作るなら、軽自動車はやめるべき。軽自動車の寸法や馬力自主規制下では、販売する市場が狭くなる。1.4リッター未満、日本での5ナンバーサイズで作るべき。ヨーロッパでアルファ124の、日本ではNC以降マツダロードスターがハミ出した後をいただく。
FR2座オープンだけでなく、FR2+2クーペ、FR4座セダン、FR5ドアHB、縦置ミドシップ2座をオートバイでの技術を活かした鋼管フレーム又はアルミフレームのプラットホーム1つで賄うべき。直4又はV4の1.4リッターツインカムターボで、300馬力/25キロくらい、スズキならできるハズ。ボディー外板もFRPカウルをクイックリリースで留める形にすればいい。セダンやHBは、キャビンだけ鉄外板にすれば良いし。
ミドシップやオープンはマツダと共用する?プラットホームだけOEMして、全く違う架装しても面白い。
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スズキ次期「カプチーノ」はあり得る? 一切の妥協なく作られた本気のスポーツカーが誕生した背景とは
10/27(木) 10:10 Yahoo!ニュース
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スズキ「カプチーノ」ってどんなクルマ?その魅力とは
1991年に登場したスズキ「カプチーノ」は、軽自動車でFR方式のスポーツカーとして多くの人から愛され続けてきたクルマです。
そんなカプチーノは、1998年に軽自動車規格の変更に伴う衝突安全基準強化を受けて生産が終了されました。
【画像】これが現存する極上カプチーノ! その実車を画像で見る!(15枚)
かつて存在したスズキのスーパーカー「カプチーノ」とはどのようなクルマだったのか?
スポーツカーは、小さくて軽いほど扱いやすく楽しい。駆動方式的に言えばフロントにエンジンを載せて後輪を駆動させるFR方式が、扱いやすく楽しいというのが筆者の考えるところです。
そうとなれば、軽自動車でFR方式のスポーツカーがあればベストとなりますが、それを実現したクルマが存在します。それが1991年にデビューしたスズキの「カプチーノ」ですが、どんなクルマだったのでしょうか。
まず、時代背景です。1991年は、昭和から平成にかわったばかりで、バブルと呼ばれた好景気の最終局面です。昭和の日本は、驚くほどの経済成長を遂げました。
戦争で焼け野原になった東京は、敗戦からわずか19年後に東京オリンピックを開催。復興を世界にアピールします。
その後、1970年代から1980年代にかけて経済はグングンと成長してゆきます。
サラリーマンの平均年収は、1970年に約87万円、1980年に約294万円、1990年に約438万円にと伸びてゆきます。10年たてば年収が1.5倍から3倍になるのが当然という認識だったのです。
そんな日本の経済成長にあわせて、クルマは憧れの存在から、徐々に身近なものとなります。また、当時の若者の憧れは高性能なスポーツカーでした。
そしてモータースポーツの人気も高く、実際に日本メーカーも世界で活躍を見せていたのです。
1980年代から1990年代にかけてF1でホンダが大活躍すれば、サファリラリーなどラリーの世界ではトヨタや日産が躍動しました。1991年には日本車として初めてマツダがル・マン24時間レースで優勝します。
景気は良いし、モータースポーツも盛り上がっている。そうとなれば売り出されるのがスポーツカーです。
1989年には、日産から280馬力規制の上限を実現した「フェアレディZ」、そして「スカイラインGT-R」(R32型)、そしてマツダからは「ユーノス・ロードスター」が発売となります。
翌1990年にはホンダからオールアルミボディでエンジンをミドシップ搭載した「NSX」が登場。三菱からも「GTO」というスポーツカーが発売になります。
そしてトヨタは1993年に満を持して「スープラ」(80型)をリリース。今も話題になるスポーツカーが数多く誕生したのが、この昭和から平成に切り替わった1990年代初頭だったのです。
スズキが本気で作った「カプチーノ」とは
そんななか、軽自動車からも驚くべきスポーツカーが登場します。最初に登場したのが、1991年5月のホンダの「ビート」でした。
これは軽自動車でありながらNSXと同じミドシップで2シーター、しかもオープンカーです。
まさに小さなスーパーカーといえるクルマでした。そして、そのわずか半年後になる1991年11月にカプチーノが登場します。
スズキといえば軽自動車が中心となっており、スポーツカーのイメージを抱きにくいかもしれません。
しかしスズキは、オートバイから自動車にきたメーカーであり、オートバイでは世界選手権にも積極的に参戦しました。
1980年代から1990年代にはホンダとヤマハと対等に戦っていたのです。スズキの人には熱いモータースポーツ大好きな人がたくさんいたというわけです。
そんなスズキが発売したカプチーノは、一切の妥協なく作られたスポーツカーでした。
このクルマのためだけに作られたFRプラットフォームに66CCの直列3気筒DOHC12バルブターボ・エンジンを搭載します。
最高出力64馬力は軽自動車の規制いっぱいで、最大トルクはNAエンジンのホンダのビートを上回る8.7kgm。アルミパーツを多用し、乗員が乗った状態で、前後重量バランス51:49を実現。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン。ルーフは幌ではなく、アルミ製の3分割方式として、ハードトップ、オープン、タルガトップ、Tトップに使い分けることが可能となっていました。
スズキ「カプチーノ」の凄さとは? そのスペックに驚く?
カプチーノのこうしたスペックは、スポーツカーそのものという内容です。
しかもカプチーノは、ロングノーズ&ショートデッキといった古典的スポーツカーそのものの美しいスタイルをしていました。このスタイルも大きな魅力です。
そんなカプチーノの価格は145万8000円。当時のアルトが約86万円だったことを考えれば、約1.7倍も高く、138万8000円のホンダのビートよりも高額です。
ただし、それでも約200万円のユーノス・ロードスターや200万円を超えていたトヨタの「カローラ・レビン」などよりも、俄然、身近な価格です。
そのため当然のごとく、カプチーノは人気を集めます。しかし、カプチーノの生産は手作り的な要素が多く、すぐにバックオーダーが山積みになる結果となります。
その後、カプチーノは1998年の軽自動車規格の変更に伴う衝突安全基準強化を受けて、同年に生産を終了し、約7年の短い生涯を終えました。
総生産台数は3万台に届きませんでしたが、日本だけでなく、1割ほどがイギリスとドイツに輸出されています。
カプチーノの生産が終了した1990年代後半は、日本は「失われた20年」と呼ばれる経済停滞期に突入していました。
人気はあったものの、わずか3万台弱しか売れなかったスポーツカーを新たに作るほど、スズキには余裕がなかったのでしょう。
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その後、カプチーノの後継モデルは登場していません。残念ですが、今後、カプチーノが復活する望みは、相当に薄いでしょう。
カプチーノは、まさにバブルだからこそできた一瞬の輝きだったのです。
鈴木ケンイチ
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