フィアットX1/9、このミドシップもガンディーニデザイン。グループ配下たるフェラーリやマセラティーらとは異なる志向のミドシップ、しかもピニンファリーナではなく、ガンディーニデザイン。
当時は、フィアットにはソコまでの大排気量やターボのハイパワーエンジンもなく、限られた馬力のエンジンを活かすべく、ペラペラの軽量ボディーにFFユニット移設したミドシップを作った。
ガンディーニらしく、低く薄く小さく纏められたデザインだった。
後のトヨタAW11MR2に影響を与えたように見える。しかし、トヨタはX1/9の1.5倍出力のエンジンを載せた。そのため、散々に補強が必要になり、FR2+2のAE86より重くなった。トヨタが高出力エンジンをミドシップにしたいなら、フェラーリディノやランチアストラトスを参考にすべきだったと思う。
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小粒なイタリアン・スーパーカー フィアットX1/9 ガンディーニxランプレディの秀作 前編
2022.11.07 11:05掲載 AUTOCAR JAPAN
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レーシングボートから着想したスタイリング
ベルトーネ社に在籍していたイタリアのカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏がA112ランナバウト・バルケッタという前衛的な2シーター・コンセプトカーを発表したのは、1969年だった。トリノ自動車ショーのアウトビアンキ・ブースで。
【画像】小粒なイタリアン・スーパーカー フィアットX1/9 前後のオープンモデルと最新500eも 全81枚
そのコンセプトカーをベースに量産車が生まれるとは、当時は誰も予想しなかったかもしれない。しかも、20年後の1989年まで生産が続けられるとは。
レーシングボートから着想したという、大胆なスタイリングは自動車ショーで大きな反響を呼んだ。典型的なくさび形といえるシャープなラインが、デザインの新時代を指し示していた。この可能性へ気付くには、先見の明が必要といえた。
そんな発想を持つ自動車メーカーは、遠くない場所にあった。アウトビアンキは、数年前にフィアット傘下へ収まっていた。1971年に主任デザイナーとしてジャンニ・アニェッリ氏が就任すると、フィアット850 スパイダーの後継モデルとして白羽の矢が立ったのだ。
見た目だけではなかった。フィアット初の前輪駆動、128サルーンにも搭載されたオーバーヘッドカム4気筒エンジンの改良版が、シャシー中央に搭載されることになった。このユニットを手掛けたのは才能溢れる技術者、アウレリオ・ランプレディ氏だ。
X1/9というモデル名を得る、プロトタイプの開発はテンポ良く進められた。「X1」はフィアットが当時の試作車に与えていた通称で、それに続く「9」は一連の開発計画での9番目を示していた。そのまま、量産車の名前へと転じた。
秀作として唯一惜しまれたパワー不足
フィアットX1/9は、フェラーリ・ディーノなどの少量生産モデルを除いて、世界初といえる量産ミドシップ・スポーツでもあった。技術面でも革新的といえた。
ガンディーニはキャビンの直後、トランスアクスル前方へエンジンを横向きにレイアウト。トラクションを確保しつつ、重量物をシャシー中央に寄せることで慣性モーメントを低減し、レスポンシブな操縦性を狙っていた。
エンジンは前方に11度傾けられ、リアのバルクヘッドへ可能な限り近接。トランスアクスルの上部には、小さいながら立方体状の荷室も確保されていた。
サスペンションは、前後ともにマクファーソンストラットの独立懸架式。リアにはロワーAアームが与えられ、128サルーンの不等長ドライブシャフトを流用している。アンチロールバーは装備されなかった。ブレーキは前後ともソリッドディスクだ。
秀作といえるX1/9で、唯一惜しまれたのがパワー不足。とはいえ、フィアットがランプレディの4気筒を選択したのは理に適ってもいた。
排気量は1116ccから拡大され、1290ccを獲得。軽量なピストンとコンロッド、専用の吸排気系、ウェーバー・キャブレターを装備し、オリジナルから19ps増しの最高出力74psを6000rpmで発揮した。128 ラリーと比べても8ps強力だった。
だが、比較的軽い880kgの車重をもってしても、0-97km/h加速は10.0秒。当時の自動車誌による計測では12.3秒に留まった。最高速度も170km/hで、話題性のある数字ではなかった。
小さなイタリアン・スーパーカー
動力性能は今ひとつでも、X1/9は小さなイタリアン・スーパーカーだったと表現して良いだろう。ルーフはタルガトップ・スタイルで簡単に取り外せ、フロント側の収納へきれいに収まった。
キャビン後方に太いBピラーが残る構造ではあったが、これは主力市場として見込まれたアメリカでカブリオレに対する規制が強化されていたため。X1/9ではロールオーバー・バーをBピラー側で兼ね、安全性を担保している。
強固なボディ構造とするため、乗員空間の側面には剛性の高いボックスセクション構造を採用。センタートンネルも強化されていた。アメリカで実施された新基準の80km/hによる正面衝突試験で、ボルボと一緒に合格するほどの頑丈さだった。
そんな意欲的なフィアットX1/9は、1972年に発売される。その直後に、北米市場が魅力へ気付いたのは当然といえた。1973年から1974年にかけて約3万台が生産されているが、その半数が大西洋を渡っている。
一方の欧州では同時期の中型サルーン、フィアット132への関心を高めるため、トリノ自動車ショーへの出展は見送られた。英国には正規導入の予定すら当初はなかった。MGミジェットやトライアンフ・スピットファイアに、動力性能で劣っていたためだ。
フィアットは、124 スポーツの後継モデルとしてパワフルなミドシップ、X1/20が開発中であることをアピールし、英国市場をしのいだ。これは最終的に、1975年のランチア・ベータ・モンテカルロとして量産化されている。
驚かされるX1/9の小ささ
それでも英国市場からの要望は収まらず、1977年に販売がスタート。価格は2998ポンドでトライアンフTR7より安かったが、登場から15年前後が経過していたミジェットやスピットファイアより、数100ポンド高かった。
X1/9に対して、当時の英国の自動車誌は次のように評価した。「スタイリッシュで、運転が楽しく経済的。自国の競合モデルは、登場から年月が経過しています。手頃な価格で本物のオープンエア・ドライブを楽しめます。でも、もっと大きなエンジンが欲しい」
今回は前期型に当たるシリーズ1の1300と、後期型に当たるシリーズ2の1500という2台のX1/9を、グレートブリテン島の東部、リッデン・ヒル・サーキットへお招きした。大きいエンジンの方が、本当により良いのだろうか。
ジュディ・トロウ氏は、デザインに一目惚れしてX1/9 1300を購入した1人。1977年8月に納車され、美しいボディを45年間も維持してきた。メタリック・グリーンのオリジナルカラーは、数年前に再塗装してある。走行距離は13万2000kmほどだ。
X1/9に近づくと、小ささに驚かされる。13インチのクロモドラ・ホイールが、それなりの大きさに見えてしまう。全長は3830mmで、全高も1168mmしかない。
取材日は晴れていたので、タルガトップを155Lの容量があるフロントの荷室へしまう。後方には120Lの荷室が残るから、柔らかいバッグなら数日ぶんの着替えを運べる。
この続きは後編にて。
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