NSX、高橋国光&土屋圭一がホンダへ!

高橋国光、オートバイ世界GPでもホンダRC162で優勝したライダーだった。確か、マン島レースで大ケガして、二輪を辞め四輪に転向、R380やKPGC10スカイラインGT-Rでの伝説が始まった。富士のF1ではティレルで走った。また、F2では若い頃のR・パトレーゼに勝ったりもした。グループCではポルシェ962Cで走った。谷田部テストコースでチューンドパンテーラに乗り300キロ超えを達成もした。

グループAにニッサンがR32スカイラインGT-Rを出した時には、トヨタAE86や三菱ミラージュで走っていた土屋圭一と共にチーム国光で走った。しかし、ニッサンの主力はあくまで星野一義長谷見昌弘だった。グループAが終わり、GTに移行したタイミングで、割と早くニッサンを離脱してトヨタを経由した鈴木亜久里らと、ホンダNSXを使用するチームに変わった。本来、NSXの構造をちゃんと見れば、レース仕様への改造が困難なのもわかったハズだが、それを圧して四輪としては初めてホンダに移籍したのだ。ル・マンでもクラス2で優勝した。ドライバー引退後も、中嶋悟鈴木亜久里と並ぶホンダ系チーム監督を勤めていた。

*********************************

ADVAN BP NSX』“国さん”が今日へ繋げた偉大なるファーストステップ【忘れがたき銘車たち】
2022.12.16 19:44掲載 AUTOSPORT web 2
1/1
 すべてみる
全1枚
モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1996年の全日本GT選手権を戦った『ADVAN BP NSX』です。

* * * * * *

『サード・トヨタ94C-V』総合優勝まであと一歩、二度目の日本車ル・マン制覇を夢見た1台【忘れがたき銘車たち】

現在のスーパーGTにおいて、ニッサンフェアレディZトヨタのGRスープラとともにGT500クラスを支え、しのぎを削るホンダNSX。そんなNSXは、全日本GT選手権JGTC)を含め、計23シーズンもの間、ホンダのGT500クラス主力マシンとして戦い続けている。

NSXJGTCへの参戦は1996年よりスタートしているのだが、その記念すべき初年度は1台のみのエントリーであった。その1台が今回紹介する『ADVAN BP NSX』だ。

このNSXを走らせたのは、現在もSTANLEY NSX-GTでGT500クラスを戦っているチームクニミツ。2022年の3月に逝去された高橋国光さんのチームである。

そもそもチームクニミツは“国さん”が「こんないいクルマがレースに出ていないのはおかしい」と考え、NSXでのレース参戦をホンダへと提案していた。そして1994年からNSXル・マン24時間レースへの挑戦を実現させているが、それと同時にJGTCへの参戦活動も行う予定だった。

しかし、さまざまな事情からそれはすぐには叶わなかった。1994、1995年とポルシェを使いJGTCへと挑んでいたが、1996年になるとチームクニミツは、待ち望んだNSXでのJGTC参戦をスタートさせる。

チームクニミツがJGTCへと持ち込んだNSXは、イギリスのTCPが開発したル・マン24時間レースなどの規定に適合するLM-GT2仕様の車両で、1995年のモンツァテストで使用したテスト車両をJGTC向けに流用したマシンだった。

1996年の開幕戦の舞台、鈴鹿サーキットへと姿を現したチームクニミツのNSXは、高橋国光土屋圭市という師弟コンビがステアリングを握り、戦いをスタートさせた。

LM-GT2仕様だったNSXは、当時の規定で最低重量が1050kgと定められていたため、ライバルであるスカイラインGT-Rトヨタスープラよりも車重が軽く、コーナリングでは対抗できた。しかし3.0リッターの自然吸気エンジンであったこともあり、パワー不足が露呈し苦戦を強いられてしまう。

開幕戦ではトラブルのため完走とはならず。第2戦の富士スピードウェイでは直線の長いコースながら8位入賞と健闘したが、トップグループからは大きく水を開けられてしまっていた。

仙台ハイランドで開催された第3戦では同じくTCP製作のLM-GT2仕様であるものの、右ハンドルとなるなどモディファイされた新車がデビューしたがそれでも戦況は改善しなかった。

富士スピードウェイでの第4戦では、この年の最上位となる7位に入賞、第5戦のスポーツランドSUGOでも10位とポイントを重ねたが、高橋、土屋の奮闘も実らず、表彰台獲得も叶わないまま、1996年のシーズンを終えることになってしまった。

この1996年、NSXでのJGTC参戦はチームクニミツが主体となったもので、ホンダは積極的にJGTCでの活動を行っていたわけではなかった。

しかし、1996年の最終戦であったMINEサーキットでの1戦を視察。そしてこの視察で目の当たりにした状況に危機感を覚え、ホンダはエンジンを無限、車体を童夢に開発させ、それをホンダが支援するという無限×童夢プロジェクトの立ち上げを決めた。それから今日に至る本格的なホンダによるJGTCにおける活動がスタートしていくのだ。

それがスタートしたのも“国さん”の率いたチームクニミツが挑戦したこの1996年があってこそ。戦績こそ残らなかったが『ADVAN BP NSX』は、偉大なるファーストステップの1台なのだ。

*********************************