前田忠明(81)、自宅で転倒くも膜下出血死!

前田忠明サン、梨本勝東海林のり子らと、芸能リポーターの走りだ。当時はロクずっぽ取材もウラ取りもせず、殆ど憶測で書いていた。おかげで、大抵のスキャンダルの時、タレントはまず否定していたし、追加記事が出るコトはなかった。だから、サンミュージックら老舗芸能事務所ほど、悪慣習が身に付いていて、スキャンダル出ると完全否定や対応加減を間違えて、ベッキー事件のような致命的失策を5人もマネージャー付いていながら犯した。

芸能リポーターがキチンと取材して、ウラ取りして書くようになったのは、90年代中盤以降ではない?田原俊彦完干は、ちょうどその頃、ジャニーズから独立して後盾をなくしたカレが意図的に奥さん子供を隠したため、どのレポーターも取材に殺到し近隣住民と揉め、奥さん子供に危険が及んだ事実を隠した。田原俊彦はそのコトで、取材にクギを刺す記者会見をしたが、芸能マスコミ挙げて都合悪い部分を全カットし、"オレはビッグ!"とスリ換え、ウソ報道した。

似た時期に、石田純一の言ってもいない"不倫は文化"をまことしやかに書き立てた女性リポーターといい、真実や正義や道義を履き違えていた。イヤ、ソコにリポーターの好き嫌いが混じる。

このヒト達、こんなコトして置いて、誰もホントのコト話さずに死んで行くのネ!

 

 

 

 

 

 

 

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前田忠明さん逝く 名物芸能リポーター、9・28に自宅で転倒…頭を強打
12/19(月) 3:00 Yahoo!ニュース
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前田忠明さん
フジテレビ系情報番組で活躍した芸能リポーター前田忠明(まえだ・ただあき)さんが9月28日にくも膜下出血のため急死していたことが18日、分かった。81歳だった。東京都内の自宅で転倒し、頭を強打したことが原因とみられる。故梨元勝さんらとともに昭和の時代から芸能人のニュースを追い続け、ソフトな語り口と的確な分析でお茶の間にも親しまれた。

【写真3枚】サンスポ企画「男のフライパン」にてエプロン姿の前田忠明さん=1990年

「前忠(まえちゅう)」の愛称で知られた名リポーター。情報番組がかつてワイドショーと呼ばれた頃から、石原裕次郎さんや美空ひばりさん、勝新太郎さんら大物芸能人とファンとの橋渡し役を果たしたテレビ界の重鎮が、世を去った。

ここ数年、単発的にテレビ番組やネットメディアに登場していたが…。18日夜、本紙の取材に応じた遺族によると、前田さんは9月28日午後2時20分頃、74歳の妻と2人で暮らしていた東京・新宿区の自宅マンションで転倒。都内の病院に救急搬送されたが、午後4時半頃、息を引き取った。

頭の打ちどころが悪かったのが原因とみられ、葬儀は親族だけで済ませた。遺族は「奥さんも体調を崩しているのでそっとしておいていただければ…。普段から冗談を言って笑わせる明るい人でした」としのんだ。

前田さんは北海道生まれ。1970年に女性週刊誌「女性自身」の記者となり、主に芸能記事を担当。80年にフジテレビと専属契約を結び芸能リポーターに転身した。一足先に芸能リポーターになった他局系ワイドショーの梨元勝さん(2010年死去、享年65)とは、ライバルとしてしのぎを削った。

芸能人に対する突撃取材が売りの梨元さんに対し、前田さんは時に芸能人とじっくり話し合って視聴者に伝えるソフト路線。知的でユーモアをまじえる語り口で芸能界にも多くのシンパを作りつつ、芸能人の結婚や離婚、事件などニュースの真相に迫り続けた。

主な出演番組は「おはよう!ナイスデイ」や現在の「めざまし8」の前身「とくダネ!」などでキャリアは40年以上。穏やかな性格と幅広い人脈を生かし、後年は「芸能デスク」の肩書で解説にも定評があった。酒豪で知られたが、90年に突発性心疾患、2008年には大動脈瘤(りゅう)の手術を受け、その後は健康に気を配っていた。

コロナ禍の20年3月にフジとの専属契約は解除に。最近は体調を崩しがちで、妻や前妻の子供たちの将来を考え、終活を始めていた。今頃は多くのスターと天国で昔話をしているかもしれない。

■前田 忠明(まえだ・ただあき)

1941(昭和16)年5月15日生まれ。北海道空知郡岩見沢町(現岩見沢市)出身。北海道岩見沢東高を経て、明大文学部演劇学科卒。趣味は海釣りや競馬観戦など。本紙で99年から始めた芸能エッセー「アラ!?さがし」で健筆をふるい、著書「大原麗子 炎のように」はドラマ化もされた。

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