魔球と呼んで良いタマ

ヤクルト⇒巨人⇒阪神広澤克実が驚愕した「これぞ魔球」10選。

1、【藤川球児の火の玉ストレート】

2、【身の危険を感じたキーオのカーブ】

3、【伊藤智仁の高速スライダー】

4、【グライシンガーのチェンジアップ】

5、【川上憲伸の正真正銘のカットボール

6、【大魔神佐々木主浩のフォーク】

7、【真横に曲がる川崎憲次郎のシュート】

8、【遠藤一彦の超絶コントロール

9、【遅いけど速い和田毅のストレート】

10、【全球種が魔球のダルビッシュ有

カレ自身の主観だから、何も異論はない。当時は交流戦もなかった。何故か対戦してない投手も挙がっている。打者目線ではなく、コーチ目線もあるようだ。

1の阪神藤川球児のストレート、実のところベースはタマの速さだ。魔球とは、意味が違う気がする。巨人・江川卓のように、ストレートのスピードやタマの回転度合で、ホップしたり前に伸びたりの変化で空振りや凡打に取ったタマとは違う。

6の横浜・大魔神佐々木主浩のフォーク、ロッテ村田兆治のようにフワリと浮いて大きい落差のフォークとは違い、低めストレートと変わらないタマ筋から下に加速するようなフォークだ。

8の横浜・遠藤一彦はプレートの端から真ん中、もう一方の端まで踏み変えて、タマ筋を変えていた。それに依り、同じトコでもタマ筋が違う。

9のソフトバンク和田毅を挙げているが、カレは元々140キロ以上出る。ほぼ0.5秒で捕手のミットに届く。仮に160キロ出るタマでも約0.44秒、0.06秒程度の差しかないのだ。むしろ、ボールリリースの見にくいフォームで打者の始動や対応をズラす。昔のオリ・星野伸之はストレートでも130キロ出ないのに、ボールリリースの見にくいフォームとコントロールと緩急で活躍した。

 

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広澤克実が驚愕した「これぞ魔球」10選。「顔付近に来たボールが外角に決まるなんて...打てるわけない」
12/20(火) 10:55 Yahoo!ニュース
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わかっていても打てないと称された藤川球児のストレート
ヤクルト、巨人、阪神の3球団で4番を打った唯一の選手である広澤克実氏は、通算19年の現役生活で1736安打、306本塁打を放った。現役引退後は阪神の打撃コーチを務めるなど、引退後も多くの投手に触れてきた。広澤氏曰く「どうしても打者が攻略できないボールは魔球である」。1985年のプロ入り以来、40年近くプロの球を見続けてきた広澤氏に「魔球」を投じた10人の投手を挙げてもらった。

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藤川球児の火の玉ストレート】

 プロ野球草創期の沢村栄治さん(巨人)や、"怪童"と呼ばれた尾崎行雄さん(東映)はすごく球が速かったと聞く。また江川卓さん(巨人)の全盛期のストレートは「ホップする」と言われていた。私は現役晩年の江川さんと対戦したことがあるが、それでもスピードは図抜けていた。

 ただ、私がこの目で見てきたなかで一番すごいと思ったストレートは、藤川球児阪神など)だ。現在、150キロ以上を投げる投手は何人も存在するが、球児のような伸び上がるストレートを投げる投手はほぼいない。江川さんは先発完投型、球児は1イニング限定だったという違いはあるが、とにかく圧巻のストレートだった。

 球児は2006年のオールスターで「全球ストレート」を予告し、第1戦ではアレックス・カブレラ(当時・西武)、小笠原道大(当時・日本ハム)、第2戦では清原和博(当時・オリックス)といったパ・リーグスラッガー3人をすべてストレートで三振に打ちとった。その時、清原が発した「火の玉や!」は球児のストレートの代名詞となった。わかっていても打てない球児のストレートは、まさに"魔球"だった。

【身の危険を感じたキーオのカーブ】

 佐々岡真司(広島)のカーブは縦割れで、軌道が一度ヘルメットのツバの上にいくので、打者の視界から消える。その球を目で追うと、アゴが上がってしまいフォームを崩される。さらに佐々岡のカーブはスピンが効いていて、最高到達点からものすごいスピードで落ちてくる。

 そんな佐々岡のカーブの2ランク上をいったのが、マット・キーオ阪神)だ。右打者の顔付近にボールが来て、そこから斜めに曲がり落ちて外角に決まる。しかも、佐々岡と同じくスピンが効いているからスピードもある。こんなボール、誰が打てるんだと......打者としては身の危険を感じるカーブだった。

 今だと「パワーカーブ」と呼ばれるもので、まるでピンポン球のように速く、鋭く、大きく曲がる。バッテリー間の18.44mでは考えられないほどの変化を見せた、異次元のカーブだった。とくに右打者にとっては難攻不落の魔球だった。

伊藤智仁の高速スライダー】

 伊藤智仁(ヤクルト)と対決した打者なら、誰もが彼の"スライダー"を挙げるのではないだろうか。よく「伝説の高速スライダー」と称されていたが、当時の記者によれば、伊藤の電光掲示板の球速表示はストレートが150キロ、スライダーが130キロだったそうだ。だが、打者は球速表示以上に速く感じていたのではないだろうか。

 伊藤のスライダーは右打者の背中にいったん抜ける。そこから外角低めまで横滑りしながら曲がる。「あんなに曲がるわけがない」と、他球団から不正投球ではないかと疑われたほどだ。

 ルーキーイヤーの1993年は、14試合の登板で7勝ながら、防御率0.91や1試合16奪三振など強烈なインパクトを残して新人王を獲得。ただ、あれだけのスライダーを投げるには、体に相当な負担をかけていたのだろう。残念ながら、投手寿命は短かった。

 今後、多くの投手が160キロを投げる時代が到来しようとも、伊藤のようなスライダーを投げる投手は出現しないだろう。まさしく伝説のスライダーだった。

【グライシンガーのチェンジアップ】

 それまでチェンジアップを投げる左投手はいたが、右投手でこのボールを扱う投手は少なかった。そんななか、右投手のチェンジアップの有効性を日本球界に知らしめたのが、セス・グライシンガーだ。

 グライシンガー(ヤクルトなど)は2007年にヤクルトで、2008年は巨人で2年連続最多勝に輝いた。ノーワインドアップからちぎっては投げ、ちぎっては投げのスタイルで、回を増すごとにストレートのスピードは増し、決め球としてチェンジアップを投げてくる。

 チェンジアップとはストレートと同じ腕の振りから、打者のタイミングを外して沈む変化球だ。投手によって変化量はさまざまだが、グライシンガーのチェンジアップはとにかくよく落ちた。

 当時、私は阪神の打撃コーチを務めていたこともあり、対策に躍起になった。金本知憲桧山進次郎今岡誠らに「チェンジアップは狙っても打てないのか?」と聞いたことがあった。すると「難しいです。打撃投手の投げる緩い球を狙うタイミングで打てばなんとかなるかもしれませんが、ほかの球が来たらお手上げです」と返してきた。

 グライシンガーはチェンジアップのほかに、150キロを超すストレート、カットボールがあった。チェンジアップだけを張っていれば攻略できるかもしれないが、ストレート、カットボールの精度も高く、どの球も一級品だった。だから、ひとつの球種に絞ることができない。海外からの"黒船来航"を思わせるセンセーショナルな右投手のチェンジアップだった。

川上憲伸の正真正銘のカットボール

 カットボールの正式名称は「カット・ファストボール」という。つまり、ストレートのカテゴリーに入る。ヤンキースの名ストッパーだったマリアーノ・リベラは、ストレートとカットボールの球速差がほとんどなかった。これぞカットボールである。

 川上憲伸(中日など)はそのリベラのカットボールを手本に、自らのカットボールを編み出したと聞いた。私が現役だった頃、巨人でも阪神でも対戦しているが、川上のカットボールはリベラ同様、球速差がなかった。

 2002年にカットボールを武器に巨人戦でノーヒット・ノーランを達成したが、翌日の新聞には「高速スライダー」「カットボール」の表記が混在していた。そのことからも、日本ではまだカットボールが浸透していなかったことがわかる。まさに川上は、日本におけるカットボールのパイオニアだった。

大魔神佐々木主浩のフォーク】

 フォークと言えば、佐々木主浩(横浜など)だ。カウントを稼ぐ落差の小さいフォーク、そして空振りを奪う落差の大きいフォークを投げ分け、コントロールもよかった。

 打者からすればリリースポイントが高いほど"落差"を感じるもので、身長190センチの佐々木も有効性を存分に利用した。

 以前、佐々木と野茂英雄の対談記事を読んだことがある。ともに150キロを超すストレートとフォークを武器に、日米で活躍した投手だ。

 その際、佐々木が語っていたのは、ストレートもフォークも同じ腕の振りから投げるが、ボールの回転には気を遣っていたということだ。つまり、無回転になれば見極められる。そのため、ボールを挟みながら微妙にストレートと同じようにバックスピンをかけるというのだ。

 いかに打者にストレートと思わせるかがポイントになるということなのだが、その話を聞いた時に「これは打てないな」と思った。さすが日米通算381セーブを挙げた"大魔神"のフォークはモノが違った。

【真横に曲がる川崎憲次郎のシュート】

 川崎憲次郎(ヤクルトなど)は1998年にシュートを覚えたことで、最多勝のタイトルを獲得し、投手にとって最高の栄誉である沢村賞にも輝いた。川崎のシュートの最大の魅力はストレートよりも速かったことだ。リベラのカットボールではないが、ストレートよりも速い変化球ほど厄介なボールはない。

 よくシュートはツーシームと同じように思われているが、厳密には違う。ツーシームはボールが1回転する間に、縫い目が二度見え、少し沈む。球の握りはほぼ同じだが、川崎のシュートは真横によく曲がった。現代のプロ野球ツーシームを投げる投手が増えているが、個人的にはシュートのほうが有効性は高いと思っている。

 川崎もシュートを覚えたことで、スタイルがガラッと変わった。奪三振は減ったが、その代わり内野ゴロが増え、自ずと球数も減った。シュートは川崎の野球人生を変えたボールだと言っても過言ではないだろう。

遠藤一彦の超絶コントロール

 私は1985年にプロ入りしたのだが、1年目にまず驚かされたのが大洋(現・横浜DeNA)の遠藤一彦さんのコントロールのよさだった。83年と84年に最多勝最多奪三振のタイトルに輝いていた遠藤さんは、快速球と2種類のフォークを中心とした本格派と思われがちだが、むしろ制球力の高さで勝っていた投手だと思う。

 9イニングの平均与四球が2.00個以下だと「抜群のコントロール」と称されるのだが、たとえば86年の遠藤さんは233イニングを投げて、与えた四球は31個。この年の平均与四球率は1.20個だった。

 四球を出さないコントロールはもちろんだが、遠藤さんは打てないところにきっちりと投げ込んできた。だから、私にとってはすべてが魔球に感じていた。

【遅いけど速い和田毅のストレート】

 2003年の阪神ソフトバンク日本シリーズ第7戦、9回表二死から私はプロ1年目の和田毅(現・ソフトバンク)から代打本塁打を放ち、プロ19年の最終打席で有終の美を飾らせてもらった。

 プロ1年目に14勝を挙げた和田だが、2年目以降もすごかった。そして和田と同じ年の杉内俊哉、さらに現役では阪神の岩崎優。この3人に共通するのは、左腕で「遅くても速い」不思議なストレートを投げることだ。

 実際、左腕投手で速かったのは石井一久だが、和田のストレートはその石井よりも速く感じた。スピードガン表示は140キロ程度だが、それでも多くの打者が差し込まれていた。

 よく「ボールの出どころがわかりづらい」「球離れが遅い」ことが原因と言われているが、この目を錯覚されるものの正体はいったい何なのか......物理的なメカニズムが科学的に解明できれば、野球界に革命が起こるだろう。

【全球種が魔球のダルビッシュ有

"魔球"の総合力トップは、やはりダルビッシュ有(現・パドレス)だ。11個の球種を持ち、そのなかで「どれが一番すごい」という単純な話ではなく、左右に変化させても、落としても、何を投げても精度が高い。11個の球種すべてカウント球にもウイニングショットにもできる。こんなことができる投手が存在するという現実に驚いてしまう。

 思い出すのが日本ハム時代の2009年、巨人との日本シリーズ。左臀部のケガで久しぶりの登板となったダルビッシュだが、いつもは多投しないスローカーブを有効に使い、勝利投手となった。あの器用さには感心するばかりだ。

 12年にメジャー移籍を決めた理由として、「『次の試合で投げてくれるな』と相手打者に言われることが多く、日本球界でモチベーションを保つのが難しくなった」という主旨のコメントを述べていたが、私はそれを言った打者の気持ちがよくわかる。実際、試合前だったら、思わず口にしてしまいそうなくらい、ダルビッシュは傑出していたということだ。
水道博●文 text by Suido Hiroshi

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