慶大、コロ大学院だと勉強の理解、所詮そんなモノか!

ビリギャル、石川恋と有村架純がそれぞれやったが、所詮は慶大・コロンビア大学院という、カネで入るバカ私大だ。それこそ、東大受験を描いた三田紀房ドラゴン桜」未満の話だし、三田紀房だってどっかの私大、編集者が東大出で「東大なんて簡単!」と言った話から、安直な話を作った。勉強を勉強と思わず、知るコトを楽しんで追求する勉強がどの教科でもできないと、東大や京大には行けない。どの教科でもバランス良く、好き嫌いあってもキチンとデキるなら、他の国公立大には行けるが。私大は、それ未満だ。センター試験あっても、受験に於いてもセーフティーネットだらけ、「コレで勝てねば、貴様は無能だ!」レベル。もちろん、私大各々難関学部学科はある。AOやエスカレーターで殆どを塞いで置いて、残り僅席を正式受験で争わせ、見た目難関受験させる。

このヒト、ホントの大学に行く価値、大学院に行く価値をわかっていないのだろう。

確かに、合格する上でAOやエスカレーターでも通常受験でも、各関門で必要な点数を取らねばならない。しかし、偏差値は努力で得た結果の1指標に過ぎない。それぞれの教科科目、知識の習得に至るマスタープロセスが異なる。大抵の受験、国語・数学・理科・社会・英語であり、同じアプローチでは点数を取る実力にならない。受験とは、それぞれの方法を、各自なりにマスターしているかどうかに依る。明らかに、私大より国公立大の方が正規受験、今でもAO要素が少ない。

大抵、ソコに至らないバカな学生はバカな大学で、「大学って、大したコトないじゃん!」と勝手に思って、「学歴に意味はない。」と愚かな観念を持つに至る。

このヒトも、その1人だ。所詮、私大受験しかしてない。ロザン宇治原やブルゾンちえみサンシャイン池崎、イヤ、スリムクラブにすら及ばないかもしれない。

 

 

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偏差値は「生きる力」にはならない…元ビリギャル・小林さやかが考える「いい大学に入る」意味
12/23(金) 7:03 Yahoo!ニュース
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Photo:Akira Yamada
 ベストセラー本『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴・著/KADOKAWA)で話題になり、『映画 ビリギャル』(2015年)のモデルにもなった小林さやかさん。大学卒業後はウエディングプランナーとしての仕事を経て、教育学の研究のために大学院に進学。これまで教育に関する全国での講演活動やイベントの企画運営など、多岐にわたる活動を精力的に続けてきた彼女が、2022年秋からコロンビア大学の教育大学院で学んでいる。

【写真】偏差値40→慶應、米国名門大学院へ…ビリギャルが考えるいい大学に入る意味

 多くの生徒や教師、親と交流するなかで「教育」における子どもと大人の関わりの大切さを改めて感じ、32歳で大学院留学を決意した小林さんの新刊『ビリギャルが、またビリになった日 勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまで』(講談社)より抜粋、一部修正してお届けする短期連載。第2回は、偏差値は生きる力にはならないけれど、それでも小林さんが「頑張って勉強することに意味がある」と考える理由についてです。

偏差値は「生きる力」にはならない
 私が大好きな曲で、ウルフルズの「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」っていう曲がある。おんなじことをたまに思う。私の人生は、いまどのへんなのかなって。学生のときの私と、今の私は当たり前だけど全然違っていて、そのときわからなかったことが、今ならわかる。そんなことばっかりだ。ビリギャルで描いてもらった受験の経験は、私の人生のほんの一部。たった年半の出来事だ。それ以外の時間でもっと多くのことを、多くの経験と出会いを通して学んできた。

 私は、年半で偏差値をくらい上げて、慶應義塾大学に入って、そのことでたくさんの方に知ってもらえるようになったんだけど、でも、偏差値が高いっていうだけじゃ、社会では通用しないということもよくわかった。社会に出ると、「偏差値はおいくつですか?」なんて聞かれない。大学名すら聞かれることって少ない。いい大学行ったら安泰かというと全然そんなことない。東大卒業したって会社に入れなくて困っている人だっている時代だ。じゃあ、なんでこんなに多くの人がいい大学に入りたがるのか。どうして親はみんないい大学に入ってほしいと思うのか。

 私は得意なものとか、人より詳しいものとか、何もなかった。ワクワクするものも、「イケメン」とか「なんとなくキラキラした世界」とかそんなんばっかり。でも、それでいいんだ! そんなんでいいから、とにかくワクワクできるものに挑戦するってこと、してもいいんだ! ときっかけをくれたのが坪田先生だった。

 別にいい。きっかけがジャニーズでも、「モテたい」でも、「だれかを見返したい」でも、なんでもいい。とにかく行動を起こさない限り、何も始まらないってことだけは、変わらない。

受験は環境選び。勉強はツールでしかない
 
Photo by iStock
 そして、私からひとつだけ助言するとするなら、ワクワクするものがなにもない人、得意なものがなにもない人は、受験を頑張るのはひとつ、アリだと思う。私は、受験ってめちゃくちゃ便利なシステムだと思っている。受験は究極、努力しまくった人の勝ちだ。

 この、受験や試験に頼らない生き方ってどんなか。例えばイチローさんみたいにスポーツの世界に生きる人。絵や音楽でお金を稼ぐ人。車とか、アニメとか、なにかのスペシャリストになってその分野で生きていく人。早くから起業して、自分で商品やサービスを生み出してお金を稼いで生きていく人。いろんな人がいるけど、試験に頼らない生き方は、「死ぬほどの努力」以外にも、他の要素が必要になることが多い。例えば運とかセンス。試験に受かるよりも何倍も厳しい世界だ(と、思う。やったことないから、わかんないんだけど)。

 それでも、これで食っていきたい! と思えるものがあるって、超恵まれてる。私、そういう人にすごく憧れる。そういう人は、相当な覚悟が必要だけど、その覚悟ができるくらいのものがあるなら、試験のために勉強する時間をそっちに費やしたほうがいいかもしれない。

 でも、私みたいにそういうものがなにもない人は、「いい大学に頑張って入る」という選択肢は、自分の世界を大きく広げてくれる、確実で手っ取り早い方法のひとつだと思う。

 頑張って勉強してなかなか入れない大学に入るとなにがいいか。出会いと経験値が桁違いに増える。頑張らないで生きていた人生よりはるかに、刺激をくれる出会いにたくさん恵まれて、そこからどんどんまた世界が広がる。出会う人や経験の質が変わるんだ。

 しかも、最近は日本の大学受験にも選択肢が増えてきた。自分の特性をよく知っておくことができれば、自分に合ったやり方で受験できるのだから、可能性はより広がる。

 進路を決めるってことは、環境を選ぶってことだ。どんな環境に自分の身を置くか。これだけで、一緒に生きるパートナーや、例えば将来住む家や乗る車も変わってきちゃうかもしれない。

 進路を決める、を甘く見ちゃいけない。まわりの大人に流されて、適当に決めて、後で後悔したくない。

 大学行くか行かないか、それも含めて自分でちゃんと考えて、決める。どんな大人になりたいか、漠然としていていいから、ちゃんと考えて自分で決めること。じゃないと、失敗したときにだれかのせいにしたり、「あの人はそういう才能に恵まれたからできただけだ よ」とか言いながら、成功してるように見える人を妬みだしたりして、めちゃくちゃダサい感じになる。自分の人生だもん。自分で全部、決めていい。
小林 さやか

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