誰が今のアイドルの雛型だって?

今の令和のアイドルの雛型が斉藤由貴小泉今日子中森明菜松田聖子岡田有希子?どハズレじゃない?この年代のアイドル、枕営業や見返りを相当ヤらされ、挙げ句、恋愛を飾り発信に使っていた。当時は、芸能マスコミの取材能力も貧相で、ヤクザを使った報道制止やゴマカシが効いていた。斉藤由貴は、この時期に(尾崎豊の前)川崎麻世との不倫がなかった?岡田有希子は本来、そのコトで自殺した可能性が高いのだ。(峰岸徹スケープゴートだ。)

今のアイドル、そんなコトを表に出して売れていると思うか?グラドル高崎聖子は、枕営業画像出てAV墜ちした。指原莉乃はHKTに西遷、峯岸みなみは坊主で居座っても回復せずユーチューバーに身請された。Juice=Juice京佳は優里に複数股の1人として貢がされ貪られ、棄てられた挙げ句脱いだ。

今の方が、アイドル路線として売れるために、かなり厳しい。AKB系坂系は今でこそ管理破綻しているが、スキャンダル発覚即卒業という名の解雇だ。

そういう意図のランキングとして、この順位はデタラメだ。

80年代、売れる上でソコを厳しく管理して、レコ大まで受賞したwinkが1番だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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要注目!令和のアイドルシーンのひな型を作ったのは誰?【80年代アイドル総選挙】
12/25(日) 6:00 Yahoo! JAPAN
 
1985年02月21日 斉藤由貴のシングル「卒業」がリリースされた日
平成のアイドルにバトンを渡した80年代アイドル

「80年代」とは、言い換えると「昭和最後の10年」である。現在のアイドルの原型となった70年代アイドルの流儀を受け継ぎ、より洗練、進化させ、平成のアイドルたちにバトンを渡したのが80年代アイドルだ。いわば、「昭和と平成のつなぎ役」でもある80年代アイドル。中には令和のアイドルにダイレクトに影響を与えているアイドルもいる。松田聖子がその筆頭だ。

サブスク等で簡単に過去の音源が聴け、映像も観られる昨今、「聖子ちゃんに憧れます」と言う現役アイドルは多い。いいですか、「聖子さん」ではなく「聖子 “ちゃん”」ですよ。つまり彼女たちは「同年代のアイドル歌手」として、80年代の松田聖子を観ているのだ。

今回の「80年代アイドル総選挙」は中高年層がノスタルジーに浸るための企画ではない、と私は解釈している。なので、そのアイドルが直接・間接問わず「令和のアイドルシーンにいかなる影響を与えたか」という観点で10組を選んでみた。てか、10組じゃ選びきれないぞ。泣く泣く外したアイドルには、心からお詫びしたいと思う。ではカウントダウン!

第10位:Wink

Winkに私はかなりハマった。彼女たちの魅力は「無機質の美」である。感情をあまり前面に出さず、無表情で淡々と歌い、踊る。その姿は機械的にすら見え、そこが新しかった。Perfumeが「ポリリズム」を歌う姿を初めて観たとき、「あ、Wink入ってる!」と思ったけれど、平成以降のテクノ系アイドルに少なからぬ影響を与えたと思う。「淋しい熱帯魚」(1989)で80年代最後のレコ大に輝いたのは、バブル真っ只中の時代にもハマったからだ。

第9位:岡田有希子

私と同じ1967年生まれ、同じ名古屋出身なので自然と応援していたが、まさかあんな形で芸能界から去ってしまうとは……。デビュー曲「ファースト・デイト」(1984)から3作連続で、竹内まりやがシングルの詞・曲を担当。遺作となった8曲目「くちびるNetwork」(1986、詞:Seiko=松田聖子、曲:坂本龍一)まで一貫して、ユッコのシングル曲に歌謡曲系の職業作詞家・作曲家は関与しなかった。それでも正統派アイドル路線は貫けると証明したのは彼女の功績だ。歌唱力・表現力があったからこそできたことで、つくづく、惜しい才能を失ったと思う。

第8位:セイントフォー

クロバットをしながらエネルギッシュに歌う4人組アイドル。長年アイドルを観てきたが、歌っている最中に高所から落ちて負傷したり、「ヒザに水がたまるアイドル」なんてのは初めて観た。体を張るのを厭わないところや、メンバーカラーが決まっていたところは、ももクロの先駆とも言える。

楽曲は加瀬邦彦がプロデュース。デビュー曲「不思議Tokyoシンデレラ」(1984)と第2弾「太陽を抱きしめろ」(1985)はいずれも名曲だが、事務所とレコード会社が揉めた結果、シングル4枚で解散したのは残念。2018年、元メンバー3人による50代になってからの活動再開は、驚きと感動を覚えた。

 
第7位:三田寛子

「制服系アイドル」というジャンルを作るとすれば、私の中で不動の1位は、誰が何と言おうと三田寛子である。デビュー曲「駈けてきた処女(おとめ)」(1982)のジャケットを上回る制服写真をこの40年、私は見たことがない。何を隠そう、私は当時彼女のファンクラブに入っていた。

このデビュー曲、なんと「詞:阿木燿子、曲:井上陽水」。当時16歳の三田の歌声が実に初々しく、また一所懸命なのがいい。残念ながらセールスは伸びなかったが、今の坂道系グループにも通じる「素の美しさ」がここにある。現在三田は梨園の妻だが、旦那の中村芝翫、浮気ばっかしてんじゃねーよ。

 
第6位:キララとウララ

この二人にも衝撃を受けた。デビュー曲「センチ・メタル・ボーイ」(1984)の、一度観たら忘れられない独特のダンス。当時200万円以上したという最先端のヘッドセットマイク(インカム)をいち早くつけて歌ったのも斬新だった。

ビクターは「第2のピンクレディー」を期待していたようだが、残念ながら不発に終わった。ただこのデビュー曲、ハロプロのW(ダブルユー辻希美加護亜依)がカヴァーするなど、テクノ歌謡の名曲とされていて、1枚しか出なかったアルバムも高値で取引されている。蛇足だが、ジャケット右の「キララ」こと大谷香奈子小室哲哉氏の最初の奧さんだ。

 
第5位:松田聖子

デビューから40年以上が経過した今も、現役アイドルとして熱唱する聖子。アイドルシーンに与えた影響は今さら言うまでもないだろう。80年代は百恵引退と、聖子の登場で始まったのだから。ただ私がこの人を「アイドル」と捉えていたのは「ハートのイアリング」(1984)まで。以降の聖子は、私の中では「シンガー・松田聖子」である。

もちろん「聖子は今もアイドルだ!」という意見を否定するつもりは毛頭ないけれど、私が好きな「アイドル・松田聖子」はやはり初期。特に「青い珊瑚礁」(1980)を歌う聖子だ。冒頭、天を突くようなハイトーンと声量には驚愕した。アイドルはつつましく、ではなく、フルスロットルで歌っていい、と示したことは、80年代に聖子が起こした“革命”である。

第4位:中森明菜

明菜は聖子よりも速いスピードで、アイドルの範疇を超え、「アーティスト・中森明菜」になっていった。なんなら第3弾の「セカンド・ラブ」(1982)のあたりですでに、アイドルの領域を超えていたような気がする。

彼女もアイドルシーンに革命を起こしたひとりだ。事務所のプロデュース方針が自分の意に沿わない場合はハッキリと「嫌だ」と言い、楽曲についても臆せず意見を言った。「北ウイング」を林哲司に書いてもらいたい、とリクエストしたのも明菜自身である。それが「ワガママ」ではなく、「生き方としてカッコいい」になったのが80年代。今にして思えば、「少女A」(1982)の「♪私は私よ 関係ないわ」はこの先の彼女の生き方を暗示するようで、実に深い。

第3位:森高千里

森高が嫌いな男子って、この世にいないだろう。歌唱力・音楽性の高さ・独特の声・ルックス……アイドルとして、あらゆる意味で完璧だった。才能を大きく開花させ「ミュージシャン・森高千里」に成長していくのは90年代に入ってからだが、80年代の森高もアイドルシーンに大きな足跡を残した。それは「作詞」である。

「ザ・ミーハー」(1988)「ザ・ストレス」(1989)のヘンテコだけれど妙に心をつかむ歌詞は、自身の経験だったり思うところを吐き出したもので、そんな詞が書けるアイドルはいなかった。「あ、アイドルがこういうことを自分で書いて歌うのってアリなんだ!」と世の女の子たちに気付かせた功績はめちゃくちゃデカい。森高は自作自演系アイドルのパイオニアである。

 
第2位:小泉今日子

「聖子でも、明菜でもない第3の道」を開拓。まっすぐ突き進んで行ったのがKYON²だ。最初は王道アイドル路線だったが、ディレクターが交代した第5弾シングル「まっ赤な女の子」(1983)から豹変。作詞家も作曲家も、そしてKYON²本人も「アイドル・小泉今日子でどう遊ぶか?」を真剣に考え、だから「次は何をやってくるんだろう?」と観ていて飽きなかった。

KYON²も徐々にアーティスト寄りになっていったけれど、彼女は軸足をつねに「アイドル」に置いていた。なぜならKYON²自身が子どもの頃から筋金入りのアイドル好きだったからだ。KYON²の試行錯誤が、現在のアイドルシーンの様々なひな型を創ったと言っても過言ではない。

 
第1位:斉藤由貴

80年代アイドルソングのベストワンを挙げろと言われたら、私は一も二もなく斉藤由貴のデビュー曲「卒業」(1985)を挙げる。傑作があまたある松本隆―、筒美京平作品の中でも、やはりベストは「卒業」だ。この曲にはアイドルの何たるかがすべて詰まっている。主人公の女子高生はとても大人で、人の心が移ろいゆくことも、人生には卒業式よりもっと哀しい別れが訪れることも感覚的にわかっている。だから、そのときのために「涙はとっておきたいの」なのだ。

曲調はポップだし、ほのぼのするアレンジだが、詞の内容は決してハッピーではない。でも斉藤由貴なら、この曲の主人公になりきって、前向きに歌ってくれるはずという松本&筒美の期待をみごとにクリア。そうやって斉藤自身が成長していく過程も込みで、ファンは彼女を応援したのだ。私もその一人である。

2021年4月、筒美京平を偲ぶコンサートが行われ、斉藤も参加。「卒業」を歌ったその瞳は潤んでいた。人生の宝物のような曲を書いてくれた、恩人との別れ。「でももっと哀しい瞬間」のためにとっておいた涙を、36年後、彼女は流したのだ。私も会場で涙を拭った。アイドルは決して虚像を生きているのではないのだ。

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チャッピー加藤

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