おぎやはぎ「愛車遍歴」黒木瞳、安東弘樹よりマシ程度!

元宝塚黒木瞳、宝塚辞めて早々に「化身」で脱いだ。確か、電通役員と割とサッサと結婚したハズ。顔は好き好きだしプロポーションはペッチャンコだが、脱いだ割にNHK朝ドラに(石田純一の元嫁故人)松原千明や加納みゆきと出た。

このヒトもダンナも、おおっぴらに不倫して撮られてる。個人的にファンでも何でもない。彼女の川島なお美との「失楽園」主役争いは、笑えた。また、娘は青山学院の付属学校でイジメ加害者になり、暫く出られなくなったりした。

クルマ自体は、それほど派手ではないし、意外と地味だった。しかし、唯一、ドコかの元局アナみたくクルマを取っ替え引っ替えチェンジするよりは、1台のクルマを割と大事に取り扱う感じは好感を持った。

最初に出て来たクルマがホンダシティーカブリオレだったし、最後にリクエストしたクルマがVWビートルというのも、良かった。

しかし、次は元光GENJI内海が2度目?そんなに出るヒトいないのか?人選や交渉、どうなってるの?安東弘樹やユージ、見たくないのだけど。

**********************************

黒木瞳 車は“永遠のボーイフレンド” 人生と共に歴代の愛車を振り返る
1/14(土) 22:00 Yahoo!ニュース
  14 
これまでの愛車を振り返った黒木瞳さん
俳優の黒木瞳さんが、歴代の愛車と共にこれまでの人生を振り返りました。

黒木さんは、1979年に宝塚音楽学校に入学。2年後には宝塚歌劇団に入団し、史上最速の2年目で娘役トップに就任しました。退団後は、数多くの映画やドラマに出演し、さらに現在は詩集の執筆や映画監督など多岐にわたって活躍しています。

【画像】絶妙なフォローを見せた黒木瞳さん

■初めての愛車は憧れの“オープンカー” 「私はシティの“コンバーチブル”って呼んでた」
 
黒木瞳さんの初の愛車『ホンダ シティ・カブリオレ
黒木さんの初の愛車は、1984年に『ホンダ シティ』シリーズに追加され、ソフトトップやオーバーヘッド・バーにより、ファッショナブルな見た目が特徴のフルオープンカー『ホンダ シティ・カブリオレ』です。

黒木さんは、クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女』を見てオープンカーに憧れたそうで「ドイツ車とフランス車っていうのはだいたい“カブリオレ”、イギリス車とアメリカ車は“コンバーチブル”って言うんですよね。で、これはカブリオレなんですけど『男と女』に出てきた車が、なぜかフランス映画なのにアメリカ車で。私はこれを『シティの“コンバーチブル”』って呼んでました」と当時の思い出を振り返りました。

■宝塚の先輩・大地真央と車で“六甲の山”へ 月組トップコンビの絆
 
宝塚時代を振り返る黒木瞳さん
1981年に宝塚歌劇団に入団した黒木さんは、入団後すぐに映画やテレビへ出演。大地真央さんの恋人役を務め、その後も大地さんとは、よく行動を共にしたといいます。

そんな宝塚時代に、黒木さんはファンの前で泣いてしまったことがあったそうで「その頃って褒められても嘘って思うし、注意受けても嘘って思うし。なんか精神状態が不安定な頃だったんですよね。ファンの方の前で泣いちゃったんですよ、私が。そしたら(大地さんが)『こんなところで泣いちゃダメでしょ、いらっしゃい』っておっしゃって、私を車の助手席に乗せて六甲の山に行って、神戸の夜景が見えるところに車を止めて、降りて『はい、ここで泣きなさい』っておっしゃったんですよ。立ったまま『うわーっ』て泣きました」と月組でトップコンビだった大地さんとのエピソードを明かしました。

■愛車と走った“涙の第三京浜
 
『サーブ 900 ターボ』
黒木さんが1987年に、2台目の愛車として購入したのが、海外でひと目ぼれしたという『サーブ 900 ターボ』。独特なスタイリングと高い走行性能で、日本ではバブル期に人気を博した車です。黒木さんは「サーブの曲線、丸っこい感じが好きになりました。900ターボの何がいいかって、ターボが入る瞬間がわかる。入る瞬間がたまんないですよ」と目を輝かせながら語りました。

また購入した頃、黒木さんは大失恋をしてしまったそうで「大失恋したので、『うー、もう車!』って感じで、第三京浜に乗って、本牧まで行って戻ってきて。一回じゃ足りないからもう一回、第三京浜本牧まで行って。自分の中で“涙の第三京浜”って呼んでるんですけど。ずーっと泣いてました」と当時の愛車との思い出を明かしました。

■“動かなくなるまで乗る”を実践するも「(大地さんから)『あなた女優でしょ?』って」
 
『デイムラー ダブルシックス』
そして、黒木さんの3台目の愛車が『デイムラー ダブルシックス』。V型12気筒エンジンを搭載した、高級サルーンです。黒木さんは「この丸い感じが大好き」と話し、「形と、乗った感触が船みたいなイメージなんですね、ゆったり」とフォルムと、乗り心地の良さを懐かしみました。

その後も『デイムラー スーパーV8』、『デイムラー スーパーエイト』を購入したという黒木さん。とにかく、動かなくなるまで車には乗るそうで「ボコボコと天井が(垂れて)落ちてくるので、押しピンで(天井を貼って)やってたんですけど。2台目の時かな、大地真央さんをお乗せしたんですよね。そしたら押しピンを見て『あなた女優でしょ?いい加減変えたら?』っておっしゃって。でも(私は)『まだ走りますから』って」と長年乗り続けた愛車との思い出を明かしました。

■「私の言うことを聞いてくれる」 車は“永遠のボーイフレンド”
 
フォルクスワーゲン タイプ1』
そして、黒木さんが憧れたという車が『フォルクスワーゲン タイプ1』。1945年から2003年まで58年にわたり生産され、累計生産台数は2150万台以上。“ビートル”の愛称で、世界中で愛された名車です。

宝塚時代には、ファンからビートルグッズをプレゼントされるほどビートルに憧れていたという黒木さんは「少女漫画雑誌にでてくるんですよ。昔から丸いのが好きで、黄色のビートルいいなぁ」と憧れた理由を明かしました。

最後に“黒木さんにとって車とは?”と質問すると、黒木さんは「永遠のボーイフレンドです。だって、私の言うこと聞いてくれるもん。アクセル踏むと前に進むし、後ろに進みたければバックに入れるし。(愛車を振り返ってみると)私の車はみんな男でした」と歴代の愛車を振り返り答えました。

(1月14日放送のBS日テレおぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)

**********************************