ニッサンV35・V36型スカイライン、日本市場との乖離。

元々、ニッサンに於いて、日本国内のスカイライン、インターナショナルな(フェアレディー)Zという色分けがあった。

だから、スカイラインは日本に於ける、最高の走りの機能を持つべきクルマだった。走りの機能とは、見切りの良い視界も含む。混んだ道、狭い道もフツ~にこなすには、アイポイントが低いとダメなのだ。キチンとシートを前に出し、シートバックを立てると、前方左右隅と後方左右隅を見通すのが理想なのだ。その上で、意のままにレスポンスする車両であるべきクルマなのだ。

Z32以後、Zがラインナップからなくなった時期があり、インターナショナルの役割までV35・V36スカイラインクーペに背負わされ、R34まで基本共通だったセダンとクーペのディメンジョンが変わってしまった。

本来、GT-Rも切り離されたのだから、スカイラインのクルマ作り的に、5ナンバーに戻す変更をしても良かった。R32前期まで同様、2リッター6気筒最強のクルマとして、動力性能とスペース効率を追及し直して良かったハズ。海外向けには、セフィーロかローレルを作れば良かった。そうすれば、スカイラインは日本市場と乖離せずに済んだ。

今は、名前は存在しても、継承されたモノは何もない。

 

 

 

 

 

 

 

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スカイライン』ファンは不満爆発? それでもスタイルは「クーペとして完璧」だった【懐かしのカーカタログ】
2023.01.31 20:35掲載 レスポンス 16
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2003年というと、今からもうふた昔、20年も前のことになる。けれどこの年に登場した多数のクルマの中で、ことデザインにかけて今も色褪せて見えない1台が『スカイラインクーペ』だ。

まず2001年6月に11代目のV35スカイラインのセダンが登場。その後を追って2003年1月、日本市場でもクーペが追加された。日本市場でも……と書いたのは、2002年11月、ひと足先に北米市場へインフィニティ『G35クーペ』として投入されていたため。

セダンは1999年の東京モーターショーで登場したコンセプトカーの“XVL”を元に開発されたクルマだったが、代々セダンとクーペ(ハードトップ)は同時発売が通例だった(7代目の2ドアクーペはセダン/4ドアHTの4カ月後の発売)が、この11代目では時間差があった。

実車は当時“FMパッケージ”と呼んだ、V6エンジンをボンネット内の後方に搭載したフロントミッドシップとし、前53:後47の荷重配分を実現。ドライバーは2850mmのホイールベースの中央に座るスポーツクーペドライビングポジションとし、ヒップポイントはセダンに対し65mm低い設定になっていた。

そして今見ても古さを微塵も感じさせない、まさに金属のカタマリそのものといったピュアで力強く美しいスタイルが魅力だった。セダンも含めて車両コンセプトとともに生粋のスカイライン・ファンからは距離を置かれたクルマだったが、少なくとも欧州メーカーのクーペ好きの筆者の目には(贅肉が盛られた後継のV36クーペと較べたらなおさら)、欧州の香りがプンプンと漂う日本車離れしたスタイルは、フォルム、バランスなどクーペとして完璧だと思えた。

後にクーペ系はGT-Rへと発展しスカイラインとは別のクルマになったが、誤解を恐れずにスタイルの話に限っていえば、やる気満々のGT-Rに対して、ジェントルな美しさをさり気なく実現したところにおおいにソソられるものがあった。

ただし当時のカタログ(写真は2004年、2005年のもの)を改めて見返すと、アート感覚の写真を多用しており、クルマのスタイルは引き立っているもののたとえばエンジンは、エンジンカバーのカットが小さく載せられているだけだったりと、これではさすがにスカイライン・ファンを納得させられなかったのでは……とも思う。

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