王貞治、中学時代左投げ右打ちって知ってた?

巨人柴田勲や広島高橋慶彦ら、スイッチヒッターってスマートに野球できるイメージだ。どちらかと言うと、スラッガーと言うよりアベレージヒッターのイメージが強い。やはり、遠くに飛ばすには速いスイングでなくてもボールに負けない強いスイングが必要で、必要な筋肉も逆になる気がする。

巨人に来たR・ホワイトはスイッチヒッター、割とスラッガーだった気がするが、メジャーでは中距離ヒッターだったハズ。

たられば、で言う。

王貞治は、中学時代に左投げ右打ちだった。河川敷で練習を見た、大毎・荒川博(後の一本足打法の師匠)が「左で打って見て!」とアドバイスし、「自分の母校早実高に来ないか?」と言ったとか。早実高に進学し、春の甲子園優勝投手になったトコまで、柴田勲の先を行っていた。プロ入り27打席ノーヒットの末、初安打がホームランだったが、3年近くはソコまで目立つ選手ではなかった。

荒川博がコーチになり一本足打法をやらせたが、そうでない選択肢もあったのでは?

ソコまで強肩や球速なかったから、投手でもなかった。俊足でもなくリードオフマンタイプでもなく、左打ちに拘る必然性はなかった。仮に、左右打席とも一本足打法やってたら、早くにスラッガースイッチヒッターがデキていたのではない?当時は、左対右、右対左拘りあり、代打の代打もよくあった。

もっと大笑いなのは、王貞治一塁手と対左スラッガー用のワンポイントやる二刀流はできなかったかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

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柴田勲より前にスイッチヒッターになっていたかもしれない広瀬叔功 実戦は1試合のみ/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編
2/1(水) 11:14 Yahoo!ニュース
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 1月30日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第1弾、1958年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。

【選手データ】柴田勲 プロフィール・通算成績

手ごたえはあったのだが……
 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編表紙
 プロ野球の歴史を1年1冊で振り返る「よみがえるプロ野球シリーズ」。これまで3年間にわたり,1980年代、90年代、70年代をエクストラを含めれば、36冊で振り返ってきたが、2023年の第4シリーズでは、1958年から69年までの12年間を振り返っていく。

 資料が少ない時代であり、これまでより多少制作時間が必要になるため、今回は2カ月に1冊で2024年完結の予定とさせていただくことにした。

 今回は1958年編から「南海のチーム情報ページ」の記事をピックアップし、加筆して掲載する。

 メジャー・リーグでは19世紀から存在したというスイッチヒッターだが、日本においてパイオニアと言われたのは、1962年入団の巨人・柴田勲。実はミッキー・マントルにあこがれ、中学時代にも左打ちを試したこともあったという(もともと右打ち)。

 ただ、柴田の成功でスイッチヒッターの存在を日本中に知らしめたことは確かだが、本当の意味での元祖は、プロ野球創設期からいた日系人選手、堀尾文人(阪急ほか)であり、また高校時代であれば、左打ちの中河美芳(イーグルス)も左投手対策でやっていたらしき記述がある。

 さらに言えば、巨人の伝説の大投手・沢村栄治は京都商時代、右投げ左打ちだったという。右で打ったか左で打ったかは公式記録に残っておらず、実際にはスイッチはともかく、右投げ左打ちは、もっとたくさんいたのかもしれない。

 スイッチか左打ちへの転向か定かではないが、この1958年も本来右打ちの南海・広瀬叔功内野手が左打ちに挑戦したという記事があった。実戦は7月6日の東映戦(大阪)ダブルヘッダー第2試合で、2打席とも凡退。ただ、打球はそれなりに鋭く、手応えはあったという。

 しかし、翌日、左打ちの打撃練習をしていた際、上半身の筋肉を痛め、2試合欠場。左打ち挑戦も断念した。「もう左打ちはこりごりです。ケガしたときは親分(山本(鶴岡)一人監督)から罰金だと言われ、一時はどうなることかと思いました」と苦笑いしていた。

 広瀬は、野村克也捕手いわく天才。盗塁においては「勝利につながらぬ盗塁はしない」と高い成功率を誇り、打撃でも64年には打率4割に迫った(最終的には.366で首位打者)。守備でも内外野をこなし、これはファンサービスも兼ねてと思うが、70年には投手として1試合にも登板している。

 ちなみにこの年の南海は新人・杉浦忠の快投もあって、途中までは優勝間違いなしと思われたが、西鉄に逆転され、2位に終わった。

※追記
 コメント欄で1936年秋の首位打者・中根之(なかね・すすむ)のほうが元祖というものがあり、調べてみた。

 明確な資料はなかったが、千葉茂さん(元巨人)のコラムで、千葉さんもジミーこと堀尾と中根のどちらが早いか疑問に思ったらしく、中根さんに直接尋ねたことがあったという。

 その答えは「俺のほうが早いよ」だった。
 第一神港商時代、先輩の二出川延明から「足を生かすため左で打ってみたら」とアドバイスされて始めたという。
週刊ベースボール

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