テレビで見た、スバル360

ワタシ個人がテレビで見たスバル360は、2つのような気がする。

1つは、石森章太郎人造人間キカイダー」で服部半平の乗るクルマだ。主人公キカイダーに変身するジローは、光明寺博士の娘と息子を護る任務を負った人造人間だ。その3人の周りに現れるのが、服部半蔵の末裔を名乗る服部半平だ。

すっかりボログルマのイメージ、走り出すとドアやバンパーやボンネットがハズレるクルマの出落ちだった。

もう1つは、週刊少年サンデー連載、日テレアニメ放送の青山剛昌名探偵コナン」の沖矢昴の乗るクルマだ。本来はFBI赤井秀一だが、表向き(黒の組織に潜り込んだCIAだが)水無玲奈とのやり取りで死んだコトになっている。その後、留学生というコトで工藤新作・有希子・新一の空き家を借りて、沖矢昴の名と変装で住んでる設定。

阿笠博士のVWビートルもさるコトながら、沖矢昴として乗ってるスバル360は笑う。赤井秀一として行動する時、昔はシボレーのピックアップトラックに乗っていたが、今はフォードムスタングに乗っている。

 

 

 

 

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名車「スバル360」が42年ぶり公道復帰 20歳大学生オーナーが「両親より歳上の車」に魅了されたワケ
2/5(日) 9:10 Yahoo!ニュース
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1966年式のスバル360 費用50万円弱で見事に復活
 
スバル360が20歳の男子大学生・たろうさんの手によって復活した【写真:たろうさん提供】
“てんとう虫”の愛称で親しまれる昔懐かしい「スバル360」が、なんと42年ぶりに公道復帰。しかも、昭和の名車を復活させたのは20歳の男子大学生だ。たろうさんに情熱の愛車復活物語を聞いた。(取材・文=吉原知也)

【写真】車検検査員が「やっとここまで来たな」と異例のねぎらい…トータル50万円弱で仕上げたスバル360、内外装ショット

「2022年12月7日、スバル360にナンバーがつきました
我が家に来て9か月、昭和55年に返納されてから42年ぶりの公道復帰です
ここに来るまでご近所さんや友人、実際に会ったことのない人まで沢山の方にご協力いただきました。
この車は一生モノです。
大事にしつつ、しっかり乗っていきます!」

 たろうさんは新年早々に、旧車ファンがうずうずするようなうれしい報告をツイッターで行った。

 1966年式のスバル360(38型)。「スタンダードという最廉価グレードです」。79年に車検が切れて、翌80年に返納され、そのまま保管されていた1台だ。

 ちなみに、スバル360富士重工業(現・SUBARU)が開発し、58年から70年までに生産された軽自動車の名ブランド。日本の乗用車の普及、モータリゼーションの発展に貢献したと言われている。

 今回、時を経てたろうさんの手元にやってきた。2022年3月12日に納車されて、同年12月7日に車検に合格した。

 旧車に興味があったというたろうさん。「知人からこの車を売っているという情報を聞いて、その連絡先に電話をしたところ、ちょうど探していた年式だということが分かったので、すぐに車両の状態を見に行き、購入することを決めました」。即決だった。

 幸運にも、保存状態はばっちり。自らも参加して修正・整備を重ねていった。

「昭和54年(1979年)に車検が切れたまま保管されていたようでしたが、保管状態がよく、致命的なさび穴などはほとんどありませんでした。しかし、唯一バッテリーの周りがさびて崩壊しかけていました。この部分はこの車を購入した鈑金屋さんに修理を依頼してきれいに直していただきました。エンジンは、キャブレターの洗浄とプラグの交換とポイントを磨いただけでかかるようになりました」

 ブレーキは、人生で初めて分解。「マスターシリンダーとホイールシリンダーが少し固着していましたが、アドバイスをいただきながらなんとか分解・組み立てができました」と振り返る。

 一番苦労したのは「デフのオイルシール交換」とのこと。「エンジンを下さずに作業したため、狭いスペースで慣れない体制で作業をするのがしんどかったです。取り付けたのはいいのですが、付け方が合っているのか、そもそも部品は合っているのかなど不安でいっぱいでした」。自らの手で丁寧に作業を施した。

 運命の車検審査。「車検当日は書類の書き方も分からずかなり不安でしたが、スバル仲間がサプライズで駆けつけてくれて、手伝ってくれました。検査ラインでは途中でワイパーが動かなくなるというハプニングもありましたが、なんとかすぐに動きだして無事オッケーをいただきました。ハラハラドキドキでしたが、親切な検査員さんが丁寧に対応してくれました」。アツい心を持った仲間のサポートを受けながら、見事に合格を果たした。

 こんなほっこりエピソードも。

「去年3月に所有者を変更する手続きをしたのですが、その時からお世話になっていた検査員さんが『やっとここまで来たな』と笑顔で言ってくれたのが、とてもうれしかったです」

 公道復帰までにかかった費用は、トータルで50万円弱だった。

日本の税制度は“旧車冷遇”「納得して払える税制であればいいなあと思います」
 
スバル360を公道復帰させたたろうさんは「自動車を大切にするということは、自動車文化を大切にすること」と話している【写真:たろうさん提供】
 うれしくてたまらないたろうさん。よみがえった愛車でドライブを全力で楽しんでおり、車中泊キャンプやレトロな街巡り、そして、成人式にも。

 さらに、内装もおしゃれでレトロに、オリジナルな仕上げにも取り組んでいる。

「独自にこだわった点は、現代に手に入るもので、できるだけ当時っぽさを出すことです。当時物の雰囲気は良いですが、思ったものがなかなか見つからなかったり、高価だったりするので、近所の100均やホームセンター、雑貨屋さんで買ったものを使って工夫しています。助手席の小物入れやフロアマット、一輪挿しや座席シートのカバーなど、雰囲気壊さないようにこだわって選んで、時には自分で作ったりしています」という。

 ここまでの情熱をスバル360に傾ける理由。なぜなのか。

スバル360を復活させたきっかけは、スバル360が大好きだからです。小学5年生の頃、家族旅行中にたまたま見かけて一目ぼれして、そこからずっとスバル360に乗りたいと思っていました。手に入れてからは、自分でできるところは自分で触りたいと思い、友人や先輩方にアドバイスをいただきながら直していきました。訳あって2台目のスバルなのですが、1台目のスバルを通して得た知識や友人、先輩方の存在は大きかったです」と教えてくれた。

 20歳の若者が貫く旧車愛。しかも、歴史に名を刻んだ往年の名車だ。「私のスバルに乗ることに対しての受け止めですが、自分はもちろん両親よりも歳上の車なので、今の車にない不安や緊張がありますが、あえて気を張り過ぎずに普通に乗りたいと考えています。古い車に対しては、人それぞれにさまざまな愛のカタチがありますが、僕はどこへ行く時も一緒がいいんです。いたわりながらですが、どんどん乗っていろんなところに行くことが自分の理想です。現代の車のようにスイスイ走れるわけではないですし、不便に感じるところもありますが、そんなところも楽しんで乗っています」。古い車だからこそ、愛着を持って大事にしていきたいという。

 一方で、日本の税制度は“旧車冷遇”といったことが指摘されている。「名車だから、希少だからといって優遇してほしいとは思いませんが、平等に扱ってもらいたいと思います。自動車に関する税金の使われ方について疑問を抱く点もあるので、納得して払える税制であればいいなあと思います。自動車を大切にするということは、自動車文化を大切にすることだと思います。この文化を後世に伝えていけなくなるような仕組みにはしてほしくないです」。真摯(しんし)で率直な思いを聞かせてくれた。

 そんなたろうさんが、スバル360とともに歩んでいきたいカーライフとは。これからしたいことはたくさんあるというが、「特に2つ」を挙げてもらった。

「まずはイベントに参加したいです。このスバルをいろんな人に見てもらいたいと思っています。もう1つは、スバル360を通して知り合った人たちに会いにいきたいです。応援メッセージをいただいたり、アドバイスやアイデア、部品の情報を教えてくださったり、部品を分けてくださったりとたくさんの方にお世話になりました。そんな方々に『ありがとう』を伝えに行きたいです」。夢を乗せて走る、たろうさんのスバル360。日本のどこかで、ぜひ会ってみたい。
吉原知也

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