原辰徳、高卒でプロ入りしていたら・・・

原辰徳江川卓桑田真澄元木大介らと比べれば、高卒時は辞退、大卒時のドラフトで巨人に指名された。その意味では、カレらよりは遥かにイメージ良く、ツイていた。

しかし、巨人がホントに欲しかったら、強硬指名デキたのではなかった?確か、巨人が藤城や赤嶺や松本匡や山本功を指名した年、単独指名で獲得デキたハズ。父親原貢も、巨人指名なら行かせたのではない?桑田真澄指名の経緯より、遥かにイメージはマシだったハズ。当時なら、王貞治は選手だったから、あの適性のないダウンスイングを強制されずに済んだろう。張本勲が新加入した時期、貴重な右打者だったと思う。ただ、守備位置がドコにもなかったか。

巨人に東海大卒で入り、指導者助監督としての王貞治に目を着けられ、中畑清共々適性ないダウンスイングの長距離打法を強制され、バッティングを崩した。挙げ句、読売の年俸上げないためのネガティブキャンペーン、ダメ押しの辰としてチャンスの弱さを報じられ、他球団からも気楽に対されるようになった。

 

 

 

 

 

 

********************************

江川卓に「お前のほうが大変」と言われた原辰徳。高校生で巨人にドラフト指名されていたら?【プロ野球もしもオーダー】
2/12(日) 11:00 Yahoo!ニュース
  32
プロ1年目の江川にも変化?
 
プロ3年目に打点王、MVPに輝いた原
 第2回WBC侍ジャパンを率いて連覇を達成した原辰徳監督。現在は巨人の監督として3期目となるが、選手としても指導者としても巨人ひと筋、監督として第1期の最初に掲げた「ジャイアンツ愛」は原のキャッチフレーズといえる言葉だ。ドラフト1位で1981年に入団、4球団が競合したドラフトでも「入れないわけがないという信念がありました」と語り、藤田元司監督が交渉権を引き当てたときにも「やっぱりな」と思ったというから、やはり「ジャイアンツ愛」も筋金入りというべきだろう。

【選手データ】原辰徳 プロフィール・通算成績

 三塁手だが、1年目は二塁手としてデビュー。三塁手中畑清が故障したことで三塁に“復帰”して、リーグ優勝、日本一に貢献して新人王に選ばれた。1995年まで15年間プレーした原にとってキャリアハイといえるのはプロ3年目の83年になるだろうか。32本塁打、自己最多の103打点でキャリア唯一の打点王、MVP。かつて長嶋茂雄がトレードマークとした「四番・サード」を完全に継承したといえるシーズンだった。

 今回は、この「プロ3年目のキャリアハイ」をキーワードに、WBCのドリームチームよろしく、夢の世界をのぞいてみたい。実際の原は東海大からのドラフト指名だったが、もしも東海大相模高3年のときドラフト1位で指名されていたとしたら、原が「3年目のキャリアハイ」を迎えた巨人は、どうなっていただろうか。これが実現していたら、1976年の秋にドラフトで指名され、翌77年がプロ1年目。3年目となるのは79年だ。実際の79年は、原とアマチュア時代から親交のあった江川卓のプロ1年目。詳しくは割愛するが、入団の経緯で江川と巨人が日本中を敵に回したといっても過言ではない激動のシーズンで、巨人は江川との“トレード”で阪神へ移籍した小林繫に歯が立たず8連敗を喫するなど5位に沈んでいる。

 実際の江川は原が入団した81年もネガティブなイメージを引きずっており、人気者の原に「お前のほうが大変」と声をかけたというが、原がチームメートとなったことで別人のように明るくなり、自身のキャリアハイを迎えた。もし原が巨人の先輩となっていたら、江川も実際より早い段階から“怪物”の真価を発揮していた可能性もあるかもしれない。

 
1979年はまだ四番として健在だった王
 さて79年、打線では王貞治が健在。ただ、83年の原と打撃3部門を比べると、本塁打こそ王が1本だけ多いが、打点と打率では原に軍配が上がる。そこで、原のプロ3年目、つまり83年の「四番・三塁」を、この79年のベストオーダーにスライド。四番の王をV9時代に多かった三番に繰り上げ、79年の三塁手を控えに回して、その抜けた打順に三番打者を移動、投手を(強引に)江川にすると、以下のようなオーダーが完成する。

1(中)柴田勲
2(左)高田繁
3(一)王貞治
4(三)原辰徳
5(右)柳田真宏
6(二)ジョン・シピン
7(遊)河埜和正
8(捕)山倉和博
9(投)江川卓

実際のベストオーダーは?
 原を三塁手として入れたことで弾かれてしまったのは、前回と同じく中畑清。79年は中畑が初めて出場100試合に到達したシーズンだったが、規定打席には到達していない。80年代に二塁手として活躍した篠塚利夫もブレーク前。キャリアハイの原が四番にいたら、その前を打つ王の打棒が活性化した可能性もあるかもしれない。

 実際のエース格は左腕の新浦寿夫で、自己最多に並ぶ15勝。江川は9勝にとどまっているが、四面楚歌の状況で9勝という数字は平凡とは言えず、防御率では新浦をしのいでいる。せめて江川が実際の10敗を上回る勝ち星を挙げていたら、覇者の広島には届かずとも、Bクラスは脱出できていたかもしれない。それでは、続きはファンの皆様の夢の中で。

(巨人1979年のベストオーダー)
1(中)柴田勲
2(左)高田繁
3(二)ジョン・シピン
4(一)王貞治
5(右)柳田真宏
6(三)中畑清
7(遊)河埜和正
8(捕)山倉和博
9(投)新浦寿夫

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール

********************************