フラウ・ボウ、心変わり?ちゃんと見たの?

フラウ・ボウ、アムロ・レイからハヤト・コバヤシに心変わりしたって?ちゃんと「ガンダム」や「ゼータガンダム」、見たの?元々、御近所の同級生で身のまわりの世話を焼いていたが、恋愛ではない。フラウの家族は死んだが、「ガンダムSEED」のフレイ・アルスターみたいな甘えや目論見でもない。必要な世話をしただけだ。そんな中で、ガンダムのソロモン戦でハヤトが負傷しフラウが看護したのをきっかけに、2人は急接近した。自分をより必要としてくれてるヒトを確定しただけだ。

ア・バオア・クー終了後、戦争孤児でホワイトベースにいたカツ・レツ・キッカを引き取る上で、戦後自閉症に陥ったアムロではダメで、頼れるハヤトと一緒になる選択肢しかなかった。

アムロの戦後自閉症、セイラも和らげるコトはデキず、離れた。その後に接近したのがベルトーチカではない?

ちゃんと見て、自分なりに考えた上で書かないと、浅い文章になる。

 

 

 

 

 

 

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なぜアムロから心変わりを…?『機動戦士ガンダムフラウ・ボゥの女性心理を考察してみた
2/14(火) 7:12 Yahoo!ニュース
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『機動戦士ガンダム』 キャラコレ 1/20スケール プラモデル No.6 フラウ・ボウ(バンダイ)
機動戦士ガンダム』は、純文学である。……とは言い過ぎかもしれないが、大人になってから本作を見てみると、人間の普遍的なあり方や心情描写が丁寧に描かれていることが分かる。それも極めて抒情的にだ。

■【写真】フラウの恋敵…マチルダさんの“大人の魅力”の立ち姿■

 そんな美しい描写の数々から、今回はフラウ・ボゥの心の動きに触れていきたいと思う。アムロ・レイのガールフレンドとして知られる彼女が『機動戦士Zガンダム』ではフラウ・コバヤシとして登場し、「アムロじゃなくてハヤト・コバヤシと結婚してる!」と驚いたファンは多いだろう。

 なぜフラウ・ボゥアムロからハヤトへと心変わりをしたのか。一般的な女性心理に則りつつ、同じ女性目線で振り返っていきたいと思う。

■遠くのものに恋はできない
 フラウ・ボゥの心がアムロから離れていく描写は、アムロの成長の過程を描くうえでも象徴的なものだ。最初はただのメカオタクで、フラウ・ボゥが身の回りの世話をしなければ何もできなかったアムロ

 しかし回が進むにつれて、彼はガンダムパイロットとして真価を発揮し、とくにニュータイプ覚醒後は人間離れした能力で周囲を圧倒していく。フラウ・ボゥもまた、アムロが遠い存在になっていくのを感じていた。

 そんなフラウ・ボゥの心中がはっきり表れたのが、35話「ソロモン攻略戦」でのセリフだ。アムロへの対抗心から悔しがるハヤトに、フラウ・ボゥはこう告げる。「ハヤト。アムロは、違うわあの人は。私たちとは違うのよ」と。

 誰かと深い関係性を築く条件の一つは、自分とある程度同じ世界観を共有できること。これは男女関係なく共通することだろう。とくに女性は、相手と体験や感情を共有したいと考える人が多い。(脳梁が太いからとか狩猟採集時代の名残だとか、科学的エビデンスはさておき、実際にその傾向は強いと思う)

 自分の理解や共感の範疇を超える人と一緒にいるのは、きっと同じ状況下で男性が感じるよりも寂しくてつらい。それなら、自分と同じ“普通の人間”として理解できるハヤトへ……女性の心変わりの理由としては十分だ。

■15歳の女心が垣間見えた瞬間
 この35話のセリフがフラウ・ボゥの一種の決意の表れだとするならば、そこに至るまでの大きな転機となったのは、14話「時間よ、とまれ」のワンシーンではないかと思う。

 女性上官のマチルダ・アジャンにすっかり夢中のアムロ。夜遅くに自室に戻ってくると、部屋の前でアムロを待つフラウ・ボゥの姿が。襟を立てた大きめのコートを肩にかけ、内側から手で前を留めている。足元は素足にスリッパ。コートの隙間から短いスカートのようなものが見えるが、何を着ているのかまでは分からない。なんとも色っぽいシーンだ。

 ここからは、15歳の少女の覚悟が窺える。尽くせども尽くせどもアムロは振り向いてくれないし、それどころかどんどん離れていき、挙句の果てには大人の女性相手にすっかりのぼせ上がっている。それならばと、いつもと違う出で立ちで、夜遅くにアムロの部屋を訪れる……。つまりフラウ・ボゥアムロの心を確認するため、そして、つなぎとめるために覚悟を持って訪ねてきたのではないだろうか。

 それなのにアムロは部屋にいない……。「どこに行ってたの?」と尋ねると、「トイレさ」と答える。トイレとは違う方向から帰ってきておいて。この咄嗟の嘘から、フラウ・ボゥは彼がマチルダに会いに行っていたことに勘付いたはずだ。

 せっかくの覚悟に水を差されたというか、踏みにじられた気分にさえなったかもしれない。そんな状態で「何だい?」と聞かれたって、「ううん、何でもないわ」と答えて去るしかない。そして、当のアムロはそのまま部屋に入ってしまう。

 ……おい気づけよニュータイプ!「じゃあちゃんと言えばいい」と思う人は多いだろうし、その通りだと思う。でも、言わずとも悟ってほしいのが女心というものなのだ……たぶん。

 アムロの部屋のドアが閉まったあと、廊下で一人振り向くフラウ・ボゥ。その小さな後ろ姿には、“こんな不毛な関係には早く見切りをつけるべきだわ”という諦めと、“それでも、もしかしたら……”と、捨てきれない期待に揺れ動く女心が表れている気がしてならない。

■一人の人間として自立したフラウ・ボゥ
 一貫してアムロの“世話焼き女房”的なポジションに徹してきたフラウ・ボゥだが、彼女のように世話を焼くのが好きな女性は割と多いのではないかと思う。

 このタイプの人は、母親が甲斐甲斐しく子どもの世話を焼いて慈しむように、愛情表現のひとつとして相手に尽くす。その一方で、「この人には私がいないとダメ!」と思うことで自分の価値を確認する共依存的な側面や、相手を独占したい、支配したいという心理も潜んでいると言われる。

 初期のフラウ・ボゥにも、この両面が表れていた。基本的には優しく面倒見が良いが、アムロの言動にいちいち口を出すところなんかは、ちょっと過干渉で束縛的にも感じられる。

 しかしアムロが成長するように、彼女もまた成長していく。怪我人の治療の手伝いにはじまり、民間人や孤児の世話、やがて通信士になり、上等兵にも任命されて、フラウ・ボゥホワイトベースにとって必要な人材となった。

 そうやって一人の人間として自分の価値を確立することで、アムロに注いでいたエネルギーを徐々に引き上げることができたのだろう。

 その点でフラウ・ボゥが最終的にアムロとの関係に見切りをつけたことは、彼女が自信を持った強い女性に成長したことの証明であるように思う。

 遠い存在になっていくアムロを引き留めようとし、気持ちを挫かれ、やがて自分の成長とともに区切りをつけていく。フラウ・ボゥの心変わりは、女性としてだけでなく人間としてのアムロへの大失恋に始まり、自立によって成し遂げられたとも受け取れる。

 全人類がニュータイプになれば、このような悲しい失恋や行き違いは減るのだろう。それはそれで、なんだか味気ないし粋じゃない気もするけれども……。
霜月はつか

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