ホンダNSR250、90年型までだった。

ホンダNSR250、87⇒88⇒89⇒90と毎年モデルチェンジして出た。ソコまでの完成度の向上も素晴らしかったし、次にどんなモデルになるかを予想するコトも楽しかった。

ところが、91年以降、毎年殆どカラー変更のみに近いマイナーチェンジを繰り返し、94年のフルチェンジは全く望まれもしないカードエントリーや左側支持プロアームだった。

レーサーのNSR250は、91年から90度からバンク角挟角化されたV型2気筒、右側支持プロアーム&右側チェーン、倒立型フロントフォーク、90年には全日本でPGM-FI搭載NSR250を伊藤真一が走らせたりもした。

期待は膨らみ、高かった。しかし、四輪同様、二輪でもホンダは期待を裏切った。四輪でNSXやビートやデルソルと、裏切3連発をやったのも、創始者本田宗一郎が経営から退き亡くなる過程の開発車両だった。四輪の傾向が二輪に波及した。

このNSR250、本田宗一郎最後の時期の製品だったろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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[’86-]ホンダ NSR250R:2スト全盛期を代表する傑作【青春名車オールスターズ】
3/7(火) 7:20 Yahoo!ニュース
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“4ストロークこそ上級”。そんな時代にRZが待ったをかけた。軽量な車体にピーキーな2ストロークユニットを抱き、大排気量車を追い回す快感。’80年代はレーサーレプリカ熱が沸騰した時代だ。本記事では、レーサーとの同時開発を徹底し、圧倒的性能を持つ”公道レーサー”として人気を博したホンダ NSR250Rを取り上げる。

【この記事に関連する写真を見る】[’86-]ホンダ NSR250R:2スト全盛期を代表する傑作/青春名車オールスターズ

レーサーに保安部品を付けただけ〈ホンダ NSR250R〉
 
ホンダ NSR250R
NS250Rはヒットしたが、TZRの人気は爆発的で、SPレースがTZRのワンメイク状態になるほどだった。しかしホンダも黙っていない。TZRの登場から約1年後の’86年10月、NSの発展型と言えるNSRをリリースする。この背景には当時、激化していたホンダとヤマハの市販レーサーによる争いがあり、この構図が公道モデルにも持ち込まれたと言える。

市販レーサーRS250Rと設計を共通化するのはNSと同じ手法だが、NSRの場合はさらに共通パーツが多く、RSにそのまま保安部品を取り付けたような仕上がりだった。90度Vツインはもちろん新設計で、軽量コンパクト化と摩擦抵抗の低減を促進。排気デバイスのRCバルブも備え、全域で力強い出力特性を発揮した。

目の字断面構造のアルミフレームもRS譲りで、軽量&高剛性を実現。乾燥重量はTZRをわずかに凌ぐ最軽量の125kgをマークした。ホイールは前17/後18インチ。TZR以降、フロント16インチ時代は終わりを告げたと言えよう。後発だけに性能はTZRを上回り、SPレースやTT-F3ではNSR以外は勝てなくなるほどの戦闘力。販売面でもライバルを圧倒する。

翌年になるとスズキがRGV250Γを投入するが、NSRも’88年型にフルチェンジ。初期型がかすむほどのパワーアップを果たし、「本当に45psか?」と皆が驚くほどだった。’90年代に入ると人気の面でも独走し、’92年6月には生産10万台を達成。2ストレーサーレプリカの本命にして、ブームの後半を象徴する1台と言えるだろう。

【’85 HONDA NSR250R】■水冷2ストV型2気筒 ケースリードバルブ 249cc 45ps/9500rpm 3.6kg-m/8500rpm ■125kg ■タイヤサイズF=100/80-17 R=130/70-18 ●価格:55万9000円 ※写真は’88年式のSP

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●文:ヤングマシン編集部
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ヤングマシン編集部

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