ニッサンY31セドリック、初めて運転した自家用車!

ワタシの父親、ワタシが小1の時にマツダファミリアを買った。当時、父親が勤めていた福岡教育大学の守衛サンの息子さんのモーター屋で買ったハズ。買ってすぐ、父親と2人阿蘇山に初ドライブ。当時のマツダファミリア、FR、ロータリー積むモデルもあり、小学校の課題の絵に描いたり、工作に作ったり好きなクルマだった。故障も多かった。

小2か3の頃、ニッサンセドリックのディーゼルに買い替えた。当時のディーゼル、2リッター直4だったからかカリカリやかましく、朝早くから出るため、近所から苦情出て、駐車場の位置を変えられたりしていた。

以後、セドリックのディーゼルを代々3~5年で買い替えていた。脳梗塞で倒れた時も、退院してすぐ買い替えていた。挙げ句、脳梗塞から数週間後に、福岡から香川県高松まで運転して来て、ワタシの仕事詰めの時期に奥さんと息子を拉致して(笑)福岡に連行された。何と言う66歳、ホントに呆れた!

約30年は、セドリックをずっと乗り継いでいた。フーガになり、ディーゼルが廃止されたとかで、2.5リッターV6に乗せられ、熊蜂が飛び交う梨園で梨狩に行ったのが最後だった。

ワタシ個人、免許取って最初に運転した自家用車、オヤジのクルマがY31セドリックディーゼルだった。いきなり橋の敷石にコスった。以後は、オヤジのクルマの引き取りに、大学や出張先へ行った。

このY31セドリック/グロリア、5ナンバーサイズとして最後のクルマだった。30歳まではS12シルビアR-XE⇒RS-Xと乗っていたが、子供生まれてチャイルドシート法制化された時、Y31セド/グロのグランツーリスモSVを探した。香川だと、さすがにムリだったか、諦めて、新車のR34スカイライン25GT-Vの4ドアにした。

 

 

 

 

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おじさんは「セドグロ」に燃えたのよ!! 鬼の60回ローンに涙出る!? 名車Y31「グラツー」の現在地
2023.04.15 14:32掲載 ベストカーWeb 1
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50代以上のおじさんがまだ若かった頃、日産には素晴らしいセダンがあった。そう、今はなくなってしまったセドリック、グロリアのグランツーリスモ(略してグラツー)である。当時憧れたおじさんは多かったのではないだろうか? 今回はY31、Y32のグラツーを振り返ってみたい。

文/ベストカーWeb編集部、写真/ベストカーWeb編集部、日産自動車

おじさんは「セドグロ」に燃えたのよ!! 鬼の60回ローンに涙出る!? 名車Y31「グラツー」の現在地

■こんなにカッコいいスポーツセダンが今あったら?

1987年6月~1991年5月まで販売。ラインナップはセドリックV20ツインカムターボグランツーリスモSV/グランツーリスモ(VG20DET型、185ps/22.0kgm)、V20Eグランツーリスモ(V20E型、125ps/17.0kgm)

プリンス自動車が1959年から販売していた「グロリア」と、日産が1960年から販売していた「セドリック」が、両社の合併により姉妹車となったのは、グロリア4代目/セドリック3代目となる1971年に発売された230系からのこと。プリンスグロリアは、上皇陛下が皇太子時代に愛車とされていたことでも有名だ。

セドグロの愛称で親しまれた両モデルは、伝統的な後輪駆動のパーソナルセダンとして、流行のスタイリングや最新の装備を取り入れつつ、以降30年以上にわたって、ライバルのクラウンとしのぎを削ってきた。

歴代モデルには、日本初や世界初となる技術/装備がいくつも搭載され、「技術の日産」を印象付けてきたモデルでもあった。

しかし2004年、一時代を築いたセドグロもついに生産終了し、フーガが引き継いだ。そのフーガも2022年8月、シーマとともに生産終了。日産の高級サルーンは消えてしまったのだ。

そのいっぽうで、トヨタは、クラウンクロスオーバー、クラウンスポーツ、クラウンセダン、クラウンエステートという4つのモデルを登場させ、新たなクラウン像を打ち出してきた。

1989年6月のマイナーチェンジで、VG20DET型2L、V6ツインカムターボが210ps/27.0kgmに向上し、トルクコンバーター式のATとしては世界初の5速ATを搭載。1990年10月にはグランツーリスモS、グランツーリスモスーパーSVを追加

ではセドグロはダメなクルマだったのか? そんなことはまったくない。なかでも今回取り上げるY31は50代以上のおじさんにとっては、憧れたクルマであり、傑作といっていいと思う。

1987年6月、7代目となるY31セドリック/グロリアに、ピラーレスハードトップのスポーツセダン、グランツーリスモが設定された。

このグランツーリスモは、従来のブロアムに比べると圧倒的にスポーティで、「1990年代までに技術の世界一を目指す」クルマ作りを目標とした日産901運動の影響もあって、走りをスポーティに振っていて、ハンドリング性能も重視された。

しかし、この時代、セドグロの前に立ちはだかっていたのは、言うまでもなくトヨタのクラウン。1987年に登場した8代目クラウンはバブル景気と重なり、月販台数でカローラを上回る月もあり、カローラマークIIに次ぐ人気を誇り、特に4ドアハードトップの人気が高かった。

1989年には「いつかはクラウンに、その想い、今こそ」というキャッチコピーが生まれる。

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