この時期は、マークⅡしかない!大島優子が乗ってた?

この頃、月曜21時フジテレビのドラマでトヨタが車両提供していた。一番有名だったのは、浅野温子三上博史のドラマ「世界で一番、キミが好き!」のエンディング。浅野温子三上博史がSW20MR2とAW11MR2に乗り、渋谷のスクランブル交差点ど真ん中で向かい合い、運転席から身を乗り出しキスしていた。

しかし、この当時、車両メインはマークⅡ系ハイソカー。キムタク&松たか子のドラマ「ラブジェネレーション」最終回、キムタクが松たか子の実家(姉妹は五十嵐いずみと鈴木愛吹石一恵じゃなかった?)に行くため、兄役の内野聖陽から借りたクルマはマークⅡ、田んぼの畦道であえなく脱輪した。ソレ以前でも、三上博史麻生祐未「君が嘘をついた」でもマークⅡだった。

確か、桜井翔のドラマ「ネメシス」で、大島優子が乗ってたクルマがチェイサーではなかった?

 

 

 

 

 

 

 

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なぜ自分は当時買わなかったのか……「バカッ速上級セダン」チェイサーツアラーVに敬礼!!
5/18(木) 21:00 Yahoo!ニュース
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ベストカーWeb
 1990年代に現れたスポーツセダンの6代目チェイサーツアラーV。ヤマハがシリンダーヘッド開発にかかわった直6の2.5Lターボを積んだこのクルマは当時のクルマ好きから熱い視線を集めたが、新車当時に契約寸前までいったWeb編集部員が当時を語ってみたい。

【画像ギャラリー】なんせ速かった!6代目チェイサーツアラーVを写真でCHECK!!(15枚)

 文/ベストカーWeb編集部・渡邊龍生、写真/トヨタ

■「強い高級車」に乗りたかった!
 忘れもしない、1996年にデビューしたのが100系の6代目チェイサーだ。マークII3兄弟のなかでも明確にスポーティな性格付けがされており、兄弟車のマークIIやクレスタよりも前後オーバーハングが詰められていた。

 フロントマスクは当時のE36型BMW3シリーズにも似たヘッドライトが与えられており、リアスポイラーと相まってスマートながらまとまったエクステリアデザインが特徴的だった。

 このモデルのひとつ前の世代、1992年に登場した90系マークII3兄弟の時代に初めてツアラー系グレードが登場したのだが、この世代で最も人気だったのはマークIIで次点がクレスタ。チェイサーはややおとなしいスタイルで3兄弟のなかで人気はさほどでもなかった記憶があるが、この100系になって一気にスポーティに生まれ変わった。

 搭載するパワートレーンは「踏めば踏んだだけ加速する」感の強い直6、2.5LDOHCターボの1JZ-GTE(最高出力280ps/最大トルク38.5kgm)で、90系のツインターボから100系ではシングルターボに変更され、最大トルクが90系の37.0kgmから1.5kgmアップされた。

■FRパッケージ+豪華な装備は上級サルーンならでは
 折しも当時のトヨタは「セダンイノベーション」を掲げ、セダンモデルのラインナップ拡充を実施していた時期。セルシオクラウンマジェスタ、クラウンに次ぐ位置づけのマークII3兄弟は充分に高級な上級FRサルーンで、装備も豪華だったのも見逃せない。

 フロントヘッドライトにはトヨタ車初となるディスチャージヘッドランプ(HID)が採用され、衝突安全ボディ「GOA」をこの代のマークII3兄弟から導入。さらに上級モデルのクラウンで採用されていたオートエアコンのルーバーが自動で左右に動くオートスイング機構まで上級グレードには備わっていた。

 ツアラー系は外観のカッコよさもさることながら、室内の質感も高級感にあふれていた。スポーツシートは高級車のそれだったし、ダッシュボードやインパネに使われる素材のよさに加え、メーターには初代セルシオ譲りとなる自発光式のオプティトロンメーターまで奢られていた。

 さらにツアラーVには5速MTが用意されていたのも走り好きから注目を集めたポイント。このMT、一説によるとトラック用のものを流用していたとの説もあるが一時期はこのMT車がツアラーV販売全体の3割を占めていたというのも特筆すべきトピックだろう。

■あの時、決心してハンコを押していれば……
 このクルマがデビューした当時、個人的に魅せられてしまったのがテレビCM。CGで作成されたホオジロザメが街中を泳ぎ回り、「それはとてつもない高級車」「The Strong.」「強い高級車に乗ろう」のキャッチとともにイメージカラーだったダークグリーンイカのチェイサーツアラーVが走行するシーンにひと目ぼれ。

 当時、社会人3年目だった私はマイチェンしたばかりのR33スカイラインGTS25tタイプMクーペに乗っていたのだが、中古車屋で以前の90系マークIIツアラーVに一度試乗し、その際にあまりの速さに度肝を抜かれた経験があって100系モデルには注目していたのだった。

 そこで「これは買うしかない!」とはやる気持ちを抑えて自宅近くのトヨタオート店へ行き、実際に商談まで行った。

 しかし、当時のチェイサーツアラーVの新車価格は5MT車で322万円となかなかの高額車。当時でも乗り出し価格は380万円ほどになり、R33を下取りに入れたとしてもかなりのローンを返済していかないことにここでハタと気づく羽目に。

 商談したトヨタオートのセールスさんから「このクルマなら10年間は乗れますよ!」と強く太鼓判を押されたのを覚えているが、買い換えサイクルの問題でR33タイプMはその前に乗っていたR32から乗り替えたばかりだったのも、冷静に考えれば無茶な話。

 結局、この時は泣く泣く100系チェイサーツアラーVの購入は諦めることになったのだが、R33からモアパワーを求めてまったく違う方向性のランエボVIトミーマキネンエディションに行ったのもすっかり懐かしい思い出になってしまった。

 あの時チェイサーツアラーVの商談でハンコを押していたら、ぜんぜん違う車歴になっていたのかもしれない。 
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