斉藤由貴を勝手に許しているのは芸能界だ!タレントにも所属事務所にも、消えないペナルティーを!

斉藤由貴が、尾崎豊川崎麻世や50代医師らと不倫しつつも致命傷を負わない?この記事のライター、バカか?

まず、毎度不倫をしながら、バカな世間が忘れた頃とホトボリ冷めたと見て、スポンサー仕事やCMなどをさせている。斉藤由貴の所属事務所には、願ったり叶ったり。本来、そんな斉藤由貴に仕事やCMを依頼する、スポンサーや代理店がダメなのだ。また、キャスティング権者は、そんな尻軽オンナ自分達にもワンチャンあると思って起用する。それが、毎度復活しているカラクリだ。

元々、イメージ頼みのタレント、そのイメージを損ねれば、芸能仕事をするには価しない。CMや仕事していながらイメージを損ねるコトをしていたのなら、イメージ詐欺だ。経歴詐称らと変わりない。スポンサーから代理店や所属事務所に、ソコまでの違約金など発生し、所属事務所からタレントにはペナルティーが来て然るべきなのだ。そうなれば、復活などあり得ない。

尾崎豊の時点で、芸能人としては一発アウト、モルモン教徒としても破門されて然るべきだった。しかし、斉藤由貴で信者を集めているモルモン教団も、彼女を裁くコトはデキない。だから、斉藤由貴自身も、自分は許されると覚えてしまった。今回は、テレビ朝日のドラマすら降板なく、他のドラマもフツ~に出てしまっている。ホトボリ冷めたら、CMすら来ると思っている。

きっと、また繰り返す。芸の肥やし?ふざけんな!タレントも、バカ管理してる所属事務所にもペナルティーが残らないとおかしいのだ!

熟女AVにでも墮してやらないと、悪例しか残らない。

**********************************

【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴尾崎豊川崎麻世、50代医師とのW不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言
5/27(土) 20:00 Yahoo!ニュース
  139
「週刊明星」1988年1月21日号より。撮影/今津勝幸
毎年数多くの芸能人たちが、その代償のために大きなダメージを負ってしまう不倫騒動。当人たちもわかってはいるが、なぜやめられないのだろう。それほどまでに抗い難い、不倫の甘美な味わいを幾度となく享受しながらも、今も一線に立ち続ける女優がいる。何故か致命傷は負わない斉藤由貴の過去を振り返る。

【写真あり】80年代清純派アイドルとして一世を風靡した頃の斉藤由貴

世間を騒がせた尾崎豊との不倫騒動
あの女優が異色の存在感を放っている。名脇役、バイプレイヤーとして毎クール、ドラマにひっぱりだこの斉藤由貴だ。特にエキセントリックな個性やクセのある“ワケあり”人物を演じればピカイチで、その演技は“怪演”などと評されることもしばしばだ。

今期も坂口健太郎主演『Dr.チョコレート』(日本テレビ系)に闇医師グループのオペ看護師役として登場し、腕は抜群だが医療過誤を告発して病院を追放され、昼間からホストクラブに入り浸る“うなぎ大好きの闇看護師 “という、かなりクセのある役をこなしている。

また木村拓哉主演『風間公親─教場0─』(フジテレビ系)には見習い刑事の瓜原潤史(赤楚衛二)の母親役で出演。不登校となった息子を心配するあまり人参を包丁で刻みながら「死んでしまえばいいのに」とつぶやく回想シーンはネットでも大きな話題になったほど。

そんな斉藤だが、かつては“清純派アイドル”として一世を風靡しながら、世間をざわつかせるスキャンダルも何度も巻き起こしてきたことは有名だ。

斉藤は1984年、「少年マガジン」(講談社)が主催する第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれ芸能界入りし、1985年2月に「卒業」で歌手デビュー。4月には『スケバン刑事』(フジテレビ系)で連続ドラマ初主演を果たした。

1986年には連続テレビ小説『はね駒』(NHK)でヒロインを、翌1988年には『とっておきの青春』(NHK)で緒方拳の娘・林郷子役を演じて話題を呼んだ。

瞬く間にトップアイドルへと駆け上がっていった斉藤だが、1991年の3月、彼女が24歳の時に大スキャンダルが発覚する。カリスマ的人気を誇ったシンガー・尾崎豊との不倫が報じられたのだ。

「葉山マリーナのレストランでのデートが『FOCUS』(1991年3月8日号)にすっぱ抜かれたのです。記事には2人が公衆の面前で見つめ合い、キスをする場面まで掲載されていました」(芸能記者

当時尾崎は子どももいる既婚者だったこともあり、アイドルとカリスマシンガーという大物芸能人同士の不倫スキャンダルは大きな注目を浴びた。斉藤は会見を開き交際を否定したが、その後も尾崎との北海道旅行の様子が撮影されたビデオが流失、また密会デートの目撃談も複数報道されるなど2人の関係は世間を騒がせ続けた。

「尾崎は不倫騒動の4年ほど前に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。また斉藤は、不倫どころか婚前交渉も禁止という戒律の厳しいモルモン教の信者だったことなど、2人の特殊な事情も世間の関心を集めました。そして“清純派”と言われてきた斉藤のイメージも変わっていった」(前同)

「会ったことのない人、知らない人」
当時の斉藤について「週刊明星」(1991年4月25日号)にはこう記されている。

《由貴自身、親しい友人に、「私たちは、出会ってしまったのよ」と運命にも似た“男と女”の出会いをしみじみと漏らしている。「もう、私たちを引き裂くことは誰にもできない」》

不倫だろうが、世間の批判だろうが関係ない。そんな一途な恋愛体質さえ感じる言葉だが、斉藤は尾崎の妻についても会見でこう言い放っている。

「冷たいようですが、私の会ったことのない人、知らない人」

その後、尾崎が妻に一方的に離婚を求めているなどの報道もあり、略奪婚も噂されたが、翌1992年4月、衝撃の結末を迎える。

尾崎が都内民家の庭で全裸で倒れていたところを発見され、その後肺水腫で急死してしまったのだ。享年26。斉藤は尾崎の死を聞き号泣したというが、2人の不倫騒動はこうして幕を閉じた。

だが尾崎の死から1年半、またしても斉藤は不倫騒動を巻き起こす。元ジャニーズアイドルだった川崎麻世との不倫が「フライデー」(1993年7月30日号)にスッパ抜かれたのだ。

この時最初に会見を開いたのは川崎のほうだった。怒りで仁王立ちする妻・カイヤが背後から睨みをきかせる中、不倫を全面的に認めて謝罪するという前代未聞の会見は、芸能史上に残る強烈なものだったが、斉藤もまた囲み取材に応じて不倫を認めた。

「私という人は、毎度こんな風になってしまうのかなと思いますけど、前の人とのことがあったにもかかわらず、学ばない人間なんだなと自分のことが悲しいです」

だが一方で川崎を妻から奪おうと思ったか否かを問われた斉藤は「そこまで熱烈に…そんな恋じゃなかったと思うから、そんな風に切羽詰まったものではありませんでした」と吐露している。ある意味、かなり素直でもある。当時はまだ世間も芸能人の不倫に対して、やや大らかな時代でもあった。

「会見を開き謝罪したこともあり、特に仕事を干されるわけでもなかったようです。批判の声は多かったが、中には同性の女性から擁護する声もあったほどでした」(前同)

斉藤は川崎との破局後の1994年には同じモルモン教徒の男性と結婚、3人の子どもに恵まれているが、結婚に際してマスコミのインタビューに応じた言葉はその恋愛観をよく表していて、興味深い。

「(結婚は)恋愛とは違いますからね」「信仰が軸となっている結婚だとは思います」(「サンデー毎日」1994年11月13日号)

斉藤の不倫は何故か致命的にならない
しかし結婚がスキャンダルからの“卒業”とはならなかった。結婚生活も23年が経った2017年、斉藤は3度目となる不倫騒動を起こす。「週刊文春」(2017年8月10 日号)が「斉藤由貴背教のダブル不倫」と題し、横浜で内科を中心としたクリニックを開業している50代の既婚者医師と不倫関係にあることを報じたのだ。

この時もまた斉藤は会見を開き、今度は不倫を否定。しかしその後も男性医師とのキス写真や男性が斉藤のものと思われる下着を被っている写真など“プライベート情報”が次々と報じられたことで、FAXで会見での不倫否定発言を撤回するという異例の事態に追い込まれた。

「さすがに3度目の不倫騒動の際は、決まっていた大河ドラマ西郷どん』と出演中だった『高校講座 物理基礎』(Eテレ)の出演を辞退、レギュラーのラジオ番組も休止になりました。スポンサー契約していた企業にも契約更新を辞退するなど仕事にも影響が出た」(スポーツ紙記者)

とはいえ映画や舞台には支障がなかったようで、テレビにも半年ほどで復帰。その後現在に至るまでクールごとに話題作に出演する活躍ぶりはご存知の通り。

ベッキーモー娘。矢口真里東出昌大渡部建などの例からもわかるように、芸能界でも不倫に対する風当たりは強く、致命的になる傾向が年々強くなっています。映画界では性加害の告発も相次いでいる。そんな中、斉藤の不倫はなぜか致命傷にはならないのです。彼女が“不思議ちゃん”と言われる所以ですね。なんだかほんわりと許される。“そういう人だから”“仕方ない”という感じなのでしょう」(前同)

不倫騒動後も結婚生活が破綻することはなく、2021年には長女・水嶋凛が女優デビューも果たした。過去の大スキャンダルも、今の斉藤にとっては“芸の肥やし”だったのだろうか。

文/神林広恵
 記事に関する報告

**********************************