菊池雄星、大谷翔平、佐々木朗希、岩手県は3人だけじゃん!

菊池雄星大谷翔平、佐々木朗希、岩手県は他にいるか?

近いトコでも、ダルビッシュ有田中将大藤浪晋太郎らが挙がる大阪府、他にも四天王たる履正社大阪桐蔭や上宮や北陽中心にウジャウジャいる。また、大阪や神奈川や愛知は高校多いから、ヒトはいっぱいいて、優れた投手はいっぱいいる。

特段岩手県がどうというコトはない。岩手県は、目先のチーム勝利に固執なく、大きく育てる、配慮して育てるコトがデキているというだけだ。ただ、菊池雄星大谷翔平を育てた佐々木監督と、佐々木朗希を育てた国保監督では対応は全く異なる。

花巻東佐々木監督は、甲子園出場あわよくば制覇を目標とし、日々のトーナメントを勝ち抜くノウハウも持つ。その上で、選手達と必要なコミュニケーションを取り、その上で必要な練習や育成をしている。だから、瞬発力に偏るコトなく、持久力までバランスを取った相互に納得行くメニューを作った。

大船渡国保監督は、突然の佐々木朗希出現に戸惑い、母校筑波大運痴学者達に育成プランやトレーニングメニューを丸投げした。だから、この体格のコの能力を引き出す瞬発力メニューを作った。筑波大運痴学者達には、大船渡の日々トーナメントだの甲子園だのは関係ないのだ。だから、佐々木朗希の瞬発力を引き出し、能力を発揮させた。しかし、持久力系はからっきし、投げ込み走り込みは運痴学者達の辞書になかった。国保監督は、ただ筑波大の九官鳥、故障させたら吊し上げ食う伝書鳩だった。

菊池雄星大谷翔平、NPBでも十分なパワーと持久力を持って成績を残した。

佐々木朗希、持久力を今更やらなくてはいけない。未だにマメすらデキる。約半年のシーズン、今シーズンも約1ヶ月マメ休みした。

大きさは似通っていても、中身は全く異なる。

バカなライター、マスコミ自体も取材考察不足だ!

 

 

 

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大谷翔平菊池雄星も…なぜ怪物が次々生まれるのか 佐々木朗希の高校時代の恩師が明かす「岩手の強み」
5/29(月) 6:59 Yahoo!ニュース
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岩手・花巻東の先輩後輩である菊池、大谷。そこへさらに佐々木朗希が続いたかたちだ(時事通信フォト)
 二刀流でメジャーを席巻するエンゼルス大谷翔平(28)、今季は開幕から好調な投球を見せたブルージェイズ菊池雄星(31)。そして、NPBではパ・リーグで首位争いをするロッテのエースに成長した佐々木朗希(21)――3人に共通するのは「岩手出身」という点だ。なぜ、岩手から怪物が相次いで生まれるのか。佐々木の高校時代に岩手・大船渡高校の監督として指導した國保陽平氏(36、現・盛岡第一高校野球部副部長)の考えを、ノンフィクションライター・柳川悠二氏が聞いた。【前後編の後編。前編から読む】

【写真】佐々木朗希の高校時代の恩師である國保氏の現在。当時とは違うユニフォーム姿で、柔和な笑顔を見せている

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 今年3月に行われた第5回WBCの決勝・アメリカ戦に勝利したあと、侍ジャパンのクローザーを務めた大谷翔平は、米国の番組に生出演した。レッドソックスで活躍したレジェンドであるデビッド・オルティーズは、「ちょっと真剣な話をしていいか」と断りを入れた上で、大谷にこんな質問をした。

「いったい君はどの惑星で生まれたんだい?」

 大谷は自身が子供時代に憧れた大打者からの不意の質問に苦笑いしながら、こう答えた。

「日本の田舎というか、チームも少ないようなところでやってたんでね。日本の人たちからしても、(どこで生まれようが)頑張ればこういうところでできるんだっていうのは証明できた」

 大谷は岩手県水沢市(現奥州市)の出身だ。大谷の3歳上で、花巻東高校の先輩でもある菊池雄星も同県の県庁所在地である盛岡市の出身である。そして、千葉ロッテの佐々木朗希もまた陸前高田市に生まれ、2011年の東日本大震災後は大船渡市に移り住んだ。

 高校時代の大谷について花巻東高校の佐々木洋監督が「しばらく雄星のような才能とは出会えないと思っていたが、入れ替わりで翔平が入学してきた」と語ったというのは有名な話だが、そのわずか7年後に今度は令和の怪物が沿岸部に出現した。

 なぜ岩手にはこれほどの短期間で、不世出の才能が3人も生まれたのだろうか。

 大船渡高校で佐々木を指導した國保陽平氏に聞いた。彼は県下一の進学校である盛岡第一高校を卒業後、筑波大学に進学し、米国の独立リーグも経験した野球指導者だ。2021年に大船渡高校の監督を退任し、この4月からは母校に転任。硬式野球部の副部長を務めている。

「高身長で、晩成型の子が野球を辞めずに続けられる環境がある。つまり、成長を急がせず、無理に試合にも起用せず、成長を待ってくれる。花巻東時代の大谷選手もその好例ですよね。身体が大きい、速い球が投げられるというだけで、無理に試合に起用するような空気が関東や関西、九州の学校にはあるのかもしれない。その点、岩手の人は全国的に見ても明らかにおおらかですから」

晩成型の才能を拾い上げていく重要性
 大船渡第一中学時代、軟式野球部に所属していた佐々木は、腰の痛みに悩まされていた。中学3年生の夏は無理をすれば投げられるものの、ケガが長引く可能性を医師に指摘され、当時の指導者は佐々木を最後の大会でマウンドに上げることはなかった。それゆえ、当時の球速は140キロを超えていたとはいえ、「佐々木朗希」の名が全国に轟くことはなかった。

「才能のある選手がいかなる競争を勝ち抜いてトップカテゴリーで活躍するか。(強化育成システムの研究者である)小俣よしのぶ先生がよく、サッカーのリオネル・メッシの話をされますよね。メッシは10歳の頃に成長ホルモンの分泌異常と診断されていて、アルゼンチン国内の一般的な競争選抜では、途中ではじかれてしまった。スペインのFCバルセロナがメッシというタレントを見出し、拾われなければ埋もれていたかもしれない逸材なんです。

 早い段階から年代別の競争をさせて才能を拾い上げていくこと、つまり早熟の選手を見つけて育成する仕組みを構築すると共に、下のカテゴリーでは埋もれてしまうような晩成型の選手を拾い上げていくことも両輪として大事になる。朗希もメッシと同じで、一般的な競争選抜では完全にはじかれてしまうタイプのアスリートだったと思います」

 高校野球の世界で一強時代を築く大阪桐蔭には、中学時代に日本代表歴を持つ逸材が全国から集まってくる。およそ20人の限られた枠に入って入学するためには、中学生の段階から目立った活躍をしなければとても声がかからないし、入学を希望しても20人に入るのは至難の業だ。

「中学3年生の段階では、大阪桐蔭に入るに値しない選手だったと思います。たくさんは投げられないし、走れないし、球速は出てもコントロールが悪いし。もちろん、生まれ育った地元を離れ、名門私立で一旗揚げて立身出世を目指すのも立派な道でしょう。だけど朗希は、大好きな岩手で、地元の仲間と一緒に野球をやりたいと思って、大船渡を選んだ。そうした本人の気質、性格、夢……そうしたものもうまく作用して成長につなげていったのでしょう」

 大谷は花巻東高校時代に成長痛に苦しんだ時期があり、佐々木洋監督も過度な練習も無理な登板も強いることはなく、世界への飛躍を促した。高校年代で頭ひとつ抜きん出た実力を持ちながら、肉体的・骨格的には「晩成型」に位置づけられる大谷や佐々木が、指導者によって酷使されていたら、現在のような成功はなかったかもしれない。大谷や佐々木にとって、高校時代の遠回りが、プロの世界での成功への近道となったといえる。

岩手の「球審」の傾向
 さらに岩手で怪物が誕生する理由のひとつとして、國保氏はストライクゾーンの広さを指摘した。

「極めて個人的な印象ですが、岩手の球審は際どいコースでも、ビシッと質の良いボールがいくと、手が上がりやすいような気がします。すると、ピッチャーも気分よく投げられる。岩手の人は速球派を好むし、バッターもストライクゾーンを広げて振らないといけないから積極性が自ずと出る。そうした経験が上のカテゴリーに進んだ時に良い方向に出るのではないでしょうか」

 それにしても、165キロを連発する佐々木のピッチングには余力すら感じられる。速球派として知られた元プロ野球選手で、メジャーリーグも経験した解説者の五十嵐亮太氏は「投げようと思えば170キロを投げられるぐらいの感じで投げている」と賞賛していた。國保氏は言う。

「昔から『200球投げ込んだあとに、力が抜けて質の良いボールがいく』などと言われてきたじゃないですか。僕自身、その通りだと思うんですよ。200球を投げることで、余計な動きが疲れによってそがれて、結果として身体を効率よく使うことができる。もちろん、毎日、200球を投げてから登板することなどできませんが、朗希の場合は、マウンドでの1球目からいわゆるそうした状態を作っている。試合中は必然的に心拍数が上がりますよね。朗希は普段の練習から、走って心拍数を上げてからブルペンに入ったりしている。普段から試合に近い状態で練習しているんだと思う」

 高校卒業から3年と2ヶ月──。今年3月の侍ジャパン宮崎合宿を視察に訪れたロサンゼルス・ドジャースの球団社長は、「ササキのピッチングはメジャーリーグの全球団が注目している」と話していた。

 WBCでも先発として世界一に貢献した佐々木は、オフに高校時代を過ごした大船渡で自主トレを行っている。國保氏は世界への飛躍が期待される教え子の“未来”についてこう話した。

「朗希はプロに入ってから、身長がさらに2センチ伸びたと話していました。まだ骨が伸びているかはわからないですが、まだまだ肉体が成長している実感はあるのではないでしょうか。とにかく、ケガに気をつけて、健康で野球を続けてくれたらそれで十分です」

 國保氏自身が、佐々木朗希を「育てた」などと口にすることは絶対にない。國保氏は指揮官として令和の怪物と呼ばれた逸材の成長を優しく温かく見守った。それが高校時代の佐々木にとって、もっとも必要な「指導」だったのかもしれない。

【了。前編から読む】

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