ゴジラ松井、我が道を行けば良かったのに!

ヤンキーススタインブレナー、読売のナベツネ同様、始末の悪いクチだ。

 

 

 

スタインブレナーは、初年度のゴジラのMLBに対応すべく採ったミート主体のバッティングの意図をわからずに言いたい放題だった。また、イチローを引き合いに出して、マリナーズの日本人は攻守走に活躍するが、ウチ(ヤンキース)の日本人は打つだけだと貶していた。

ゴジラも、オーナーとはいえ、部外者の口害など意に介さず、淡々と自分の野球、自分のプレーをすれば、ヤンキースでも確固たる地位を築けたハズだった。レフトでの打球処理でムリにアウトを1つや2つ稼ぐより、打撃でヒット~ホームランで打点を稼ぐコトの方が本道だったのだ。

しかし、あのバカなダイビングで全てをダメにした。テレビ画面でも、手が逆方向に折れたのが見えた。あんなコトをしなくてはいけない局面ではなかった。こんなバカオーナーのチームでなければ、やらずに済んだかも知れないし、もっと良い選手生活をデキたかも知れない。まあ、ヤンキースだったから、イチローもデキなかったワールドシリーズ制覇&MVPもデキたのだが。

しかし、ワールドシリーズMVP獲得したがヤンキースを出るのは変わらなかった。

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オーナーが松井秀喜に口撃「契約したのはこんな選手ではない」ホームランが“消えた”20年前…日本最強バッターが直面“称賛からの猛批判”
6/2(金) 11:02 Yahoo!ニュース
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20年前、アメリカ屈指の名門球団、ニューヨーク・ヤンキース松井秀喜が入団した。ゴジラが挑んだメジャー1年目を振り返る photograph by Getty Images
 20年前、メジャー屈指の名門球団、ニューヨーク・ヤンキースにひとりの日本人が入団した。松井秀喜、28歳。「日本最強バッター」の挑戦に日米ファンが熱い視線を送った。どんな成績を残してくれるのか――称賛からの一変、オーナーから名指しの批判、消えたホームラン……当時現地で取材した記者が綴る「松井秀喜のメジャー1年目」。〈全2回の#1/#2へ〉

【画像】松井秀喜“19歳のスーツ姿”が「どう見てもベテランの風格」…メジャー1年目“ど派手なヒョウ柄コスチューム”で現れた姿、なぜかショベルカーに乗る姿も。広末涼子との激レア2ショットや、ド緊張の大谷翔平と対面と合わせて一気に見る

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 今から20年前、ゴジラが海を渡った。

 巨人からFA権を行使し、ヤンキースと契約したのは2002年12月のことだった。

 松井のメジャー移籍は当時、日本の野球ファンにとって「ロマン」だった。メジャーに挑戦した日本人野手といえばすでにイチロー新庄剛志らがいたが、ホームランバッターがメジャーに挑戦するのは松井が初めてだ。巨人最終年にプロ野球史上8人目の50本塁打を達成した男が、メジャーを舞台にパワーで勝負したら一体どんな数字を残すのか――。

ゴジラがニューヨークに!」市長も登場
 高まる期待はアメリカでも同じだった。

ゴジラがニューヨークにやってくる」

「世界一有名なチームに加わった、日本最高のスター」

 ニューヨークの新聞には、松井のヤンキース入団を伝える見出しが躍った。2002年のシーズン中から日本の最強スラッガーがメジャーに移籍するかもしれないという話は米国メディアでも伝えられており、その存在はすでに知られていた。噂の大物選手が来るという興奮で、ニューヨークは大いに盛り上がっていた。

 そうして迎えた入団会見は、前代未聞の華やかさだった。報道陣が500人近くも集まる規模となり、球場ではなくマンハッタンの中心にある巨大なシティホテルの宴会場を借り切って盛大な会見が行われたのは、2003年1月のこと。ジョー・トーリ監督や球界を代表するエースのロジャー・クレメンスも出席し、ニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長まで会見に加わった。それほど大きな期待が、松井に集まっていた。

あの本拠地デビュー戦…衝撃の一発
 いまでも球場の空気が鮮明によみがえる。4月8日、ヤンキースタジアムでの本拠地デビュー戦だった。ツインズとのその試合に「5番左翼」で出場し、2点をリードした5回1死満塁で、松井がその日3度目の打席に入る。異様な熱気に包まれる中、フルカウントまで粘った末にボールを捉える。ライトスタンドに叩きこむメジャー1号本塁打だった。

 ヤンキースの長い歴史でも、本拠地デビュー戦で満塁弾を放った選手は初めてだった。ベーブ・ルースミッキー・マントルルー・ゲーリッグジョー・ディマジオといったレジェンドたちでさえ成し遂げていない。

グランドスラム! 何という自己紹介の仕方でしょうか」

 地元テレビ局の実況アナウンサーは、興奮した声で叫んだ。スタンドのニューヨーカーたちは熱狂し、スタンディングオベーションと鳴りやまない拍手、割れんばかりの歓声。トーリ監督から背中を押された松井は、ダグアウトの階段を上がって帽子を高々と掲げ地元ファンのカーテンコールに応えた。

「やっぱりマツイは本物だ」

 ニューヨークで、これ以上ない最高のスタートを切った。日米ファンの期待も一層高まった。しかし、「松井の1年目」はここからが本当の試練だった。

ホームランが消えた…
 結論から言えば、日本で50本のアーチを放った松井は、メジャー1年目を16本という数字で終えた。4月8日の1号のあとは、5試合後の4月14日に2号を放ったが、その後は本塁打が出ない日々が20試合続いた。5月7日にようやく3号を放つも、そこから再び25試合、本塁打が消えた。

 ゴジラらしい、力強いスイングが影を潜めた。長打が出ないだけでなく、4月下旬と5月下旬には一時的に打率も2割5分台まで落ちた。5月23日のブルージェイズ戦は第1打席に四球で出塁したものの、その後は空振り三振、投ゴロ、投ゴロ併殺打。散々な結果で終えた試合後に松井は言った。

「いつも言っているように、こういう時期は必ずある。早く抜けるに越したことはないけど、前向きにやるしかないです。結果は出なかったけど、1、2打席目のファウルは良いスイング。自分のスイングはできていた。最終的には崩されて凡打になりましたけど」

 話す内容は前向きではあった。一方で、意識的に前を向こうとする姿に、思ったように打てないもどかしさ、悔しさが滲んでいた。

オーナーの口撃「契約したのはこんな選手ではない」
 辛辣なニューヨークのメディアから不名誉なあだ名をつけられたのも、この頃だった。

「グラウンドボール(ゴロ)キング」

 あまりの内野ゴロの多さからだった。

 ニューヨーク・タイムズ紙は「日本で本塁打王に3度輝いたヒデキ・マツイは、圧倒的なゴロヒッターになっている。米データ会社STATSによると、開幕から最初の45試合で彼はゴロ打球をメジャー最多の97も打っている」と書いた。

 メディアだけではない。遂には球団オーナーからも批判が出た。お金も出すが口も出すことで有名な当時のワンマン名物オーナー、ジョージ・スタインブレナー氏が、ニューヨーク・デイリーニューズ紙の取材に「我々が契約したのは、こんな選手ではない」と松井への失望を口にした。5月26日の試合後の発言だったが、たちまちニューヨークで大きな話題となり、翌日の地元紙のヘッドラインを飾った。スポーツラジオのトーク番組でも格好のネタとなった。

 松井の心中はいかばかりだったか――。

〈つづく〉
(「メジャーリーグPRESS」水次祥子 = 文)

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