ホンダのバイク作りは技術優先、ライダーはモルモット!

フツ~、新型を開発する上で、極端な一新はしない。少しずつ置き換えて行く。'82年には楕円ピストン4サイクル500ccV4でダメで、'83年2サイクル500ccV3を投入してF・スペンサーがK・ロバーツの4度目のタイトルを阻んだ。しかし、ホンダはV3の限界も悟り、'84年はV4を投入する決断を下し、開発に取り掛かる。それはフツ~だと思う。

しかし、何を考えるとこうなるか、フツ~の手法から始められない。V4アップサイドダウン、通常は燃料タンクがエンジンの上、排気チャンバーは下にレイアウトされる。ソレをワザワザ、チャンバーがエンジンの上、燃料タンクを下にレイアウトした。重量配分適正化を模索した中の一環、しかし、やり方がある。まず、スタンダードレイアウトを作り、対比アップサイドダウンを作るのが効果測定のための当たり前だ。だが、ソレをやらない。何故か技術者が勝手に決め、ライダーやチームは置き去り、オレらが作ったバイクにダマって乗れという姿勢だ。

技術者がちょっと考えれば、通常タンクがあるトコに排気チャンバーあったらどうか、春夏秋は熱くてやってられないくらい、わかるべきなのだ。また、エンジンにダウンドラフトで混合気を供給するなら、ガソリンはエンジンの上から落としたいのだ。ハナっから2点、考えてもダメなコトを1年ムダな時間をかけ、F・スペンサーにも不毛な1年を過ごさせた。

その反動が'85年のF・スペンサーの500/250ダブルエントリーであり、ダブルタイトルに繋がった。しかし、そのせいか、'86年開幕戦に右腕に不調を発症、以後何も残せず終わってしまった。

ホンダのバイク作り、以後も技術者の机上の発想が強く、1年タイトル獲っても翌年苦労する。W・ガードナーも'87年だけ、'88年は重量配分の合わないバイクになった。E・ローソンも'89年にタイトル獲って去った。M・ドゥーハンがエースの時は、仕様変更しないコトをクギ刺されていた。

 

 

 

 

 

 

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初号機はとんでもない異端児だった!? レースの世界で最も成功を収めたホンダ「NSR500」
2023.06.06 20:00掲載 バイクのニュース 11
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ホンダが現在のMotoGPへ繋がる世界グランプリ最高峰のGP500クラスで、1984年からか2002年までの19年間、数多くの栄光とドラマを生み出したのが「NSR500」であり、その活躍から「GP500クラス=NSR500」と連想するファンも多いのではないでしょうか。

1984年の初代「NSR500」(開発コードNV0A)は残念ながら世界タイトルを逃しており、ゼッケン「1」は前年の2サイクルV型3気筒エンジンを搭載した「NS500」で獲得したものです。トリコロールカラーの初代から、翌1985年にはスポンサーであるロスマンズカラーとなります。

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コンパクトかつ骨太な雰囲気の車体を見ると、2サイクルエンジンの象徴である排気チャンバーが完全に内蔵されています。燃料タンクをエンジン下に、排気チャンバーをエンジン上(本来燃料タンクがある位置)に配置する特異なレイアウトで、排気チャンバーとの干渉がないためアンダーカウルが後方に長く、さらに後方に向かって窄まるシートカウルと相まって、現代的とも思えるファルムを形成しています。

レース用マシンは市販車のような様々な制約が少ないため、とくにGPレースを走るファクトリーマシンなら、エンジンも車体も速さを追求するためにあらゆるアイディアと最新技術が試されています。

1970年代半ばから、2サイクルエンジン車が活躍するGP500クラスでは、ヤマハとスズキがタイトルを争っていました。2サイクル車では後発のホンダが1983年にV型3気筒の「NS500」でタイトルを獲得したものの、パワー競争を勝ち抜くには力不足だったため、4気筒エンジンを搭載した「NSR500」は、言わば本命のマシンでした。

初代「NSR500」は低重心化が開発テーマとなっており、トラクションコントロールなど無い当時、ハイパワー過ぎるがゆえのウイリーや後輪のスリップを軽減するため、低重心化は車体設計の要でした。

満タンになると重たい燃料タンクをエンジン下へ、薄板の軽量な排気チャンバーを通常では燃料タンクがある場所に通すという常識破りの上下逆転レイアウトを採用しています。

また、エンジンはライバルが敬遠していた、より高出力が狙えるV型4気筒1軸クランクシャフトタイプを採用し、山積する様々な課題を解決して完成した初代は、走り出す前からドラマを持って生まれたマシンでした。

1984年に天才ライダー、フレディ・スペンサー選手に託されてレースに臨み、GP500クラス決勝では2戦目のイタリアGPを含め4勝を記録(1勝は代役のランディ・マモラ選手によるもの)。シリーズランキングはスペンサー選手のケガによる欠場もあり4位に留まっています。

ホンダコレクションホールに展示された写真の初代「NSR500」は、そのイタリアGPでの優勝車両であると解説プレートに記してあります。

ホンダの技術的チャレンジスピッリットを具現化したような初代「NSR500」は、コースによってはライバルを圧倒する速さを見せつけ、また別のコースでは乗りこなすのが難しいマシンでもありました。

当時、レースのある週末は見ている側も「勝つことが最大の目的だ」と一喜一憂するものでした。あれから数十年経ったいま、タイトルを獲得できなかった初代「NSR500」が、世界GP初優勝を果たした「RC143」と共に特別なスペースに展示されています。

■ホンダ「NSR500」(1984年)主要諸元エンジン形式:水冷2ストロークV型4気筒ケースリードバルブ総排気量:499cc最高出力:140PS以上フレーム形式:プレスバックボーンダイアモンド

【取材協力】ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)

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