トヨタAW11MR2、マネ処を間違えた!

トヨタAW11MR2、ニッサンや三菱同様に小型車FF化したついでに、当時流行りのFFユニット置換ミドシップにも手を着けた。トライアンフTR7やフィアットX1/9的なクルマだった。しかし、コレらのクルマと違う部分があった。エンジンのパワー&トルクが段チだった。FF用ペラペラモノコックで中身レイアウトを変え、前述の2台はおおよそ問題はなかった。しかし、AW11MR2では、横置エンジンと並行ミッションの制震のため、エンジンマウントや床下補強が必要になった。結局、FFのカローラはもちろん、FRのレビン/トレノよりプロペラシャフトや後席分要らないハズが、ソレらより重いクルマになった。

本来、クルマ作りの志として、マネるべきはフェラーリディノやランチアストラトスだったハズ。横置ミドシップにする上で、フレームマウントしたディノとセミモノコック&前後サブフレームのストラトスを参考にしていれば、もっとキチンとしたコンパクトミドシップを作れたハズだった。ディノやストラトスが高額なのは、生産力&販売力の差であり、トヨタがちゃんとしたミドシップを作り、ちゃんと流通させ販売すれば同じ構造でも原価はソレらより遥かに低減できたハズ。

ソコを中途半端なまま、AW11⇒SW20へ引き継いでしまった。SW20搭載の3SGに更なるパワーアップが見込まれる中、ペラペラモノコックにいくら補強してもマトモになり得ないと判断、後継ではMRSという1.8リッターにパワー&トルクダウンし、ホンダがビートやS2000でやったゴマ化しオープンカーに仕立てた。

 

 

 

 

 

 

 

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【あの頃、あの車】39年前に発売したMR2ってどんなクルマだった?
2023.06.09 23:07掲載 グーネット 9
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車の歴史 [2023.06.09 UP]


【あの頃、あの車】39年前に発売したMR2ってどんなクルマだった?
1980年代前半、日本は大きな節目を迎えた年だった。1984年1月には日経平均株価は1万円を突破し、日本経済は右肩上がり。この後迎える空前の好景気を目前に控え、日本はまさにイケイケの空気が漂っていた。そんな世相のなかで生まれたのが、1984年6月発売のトヨタ MR2。今回は、この小さくて偉大なスポーツカーにフォーカスを当ててみたい。


1984年(昭和59年)ってどんな年?
トヨタ MR2が誕生したのは、1984年6月のこと。今から39年前である。冒頭でも述べたが、この年の1月、日経平均株価は初めて1万円に達し、バブル崩壊まで右肩上がりで伸びていった。

ちょうどこの年はロサンゼルスオリンピックが開催され、柔道、体操、レスリングなどで日本人が金メダルを獲得。また、日銀が1万円札に福沢諭吉、5千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石の肖像を採用し、新紙幣を発行した年でもある。福沢諭吉はもちろん、夏目漱石の千円札も記憶にあるひとは多いだろう。

TVでは、エリマキトカゲのCM(三菱 ミラージュ)が話題となり、視聴者に強く印象づけた。ヒット曲は、つぐない(テレサ・テン)、桃色吐息(高橋真梨子)、ギザギザハートの子守唄チェッカーズ)、2億4千万の瞳郷ひろみ)と、語り継がれる名曲揃い。そのほか、北斗の拳風の谷のナウシカなどの名作アニメが放映・上映したのもこの年である。

自動車の世界では、なんといってもサファリラリーが熱かった。1984年から1986年、セリカが3連覇を果たし、トヨタの底力を見せつけてくれたのだ。


車名の由来は「ミッドシップ ランナバウト
1984年6月8日、トヨタMR2を発売した。MR2といえば本格スポーツカーというイメージがあるかもしれないが、当時のプレスリリースには「スポーティ パーソナルカー」という文言がある。MR2は、「Midship Runabout 2seater」の頭文字を取ったもの。Runaboutは「きびきびと走る」の意味だから、サーキットで過激に走るというより、街中をスイスイと駆け抜ける……そんなイメージのほうが正しいだろう。

しかしながら、当時市販車のミッドシップは極めて稀な存在。そもそもミッドシップレイアウトというのは、レーシングカーやフェラーリランボルギーニなどのスーパーカーに採用されるもので、国産の量産車では例がなかった。海外の量産車ではフィアット X1/9(1972年)が先鞭をつけ、MR2と同時期に登場したポンティアック フィエロ1984年)などが存在していたものの、“トヨタ”が個性の強いクルマを発売したことに世は驚いた。ちなみに新車価格は139万5000円~179万5000円(1984年発売時/東京エリア)と、かなり手頃。20代の若者でも頑張れば手が届く価格帯ということもあり、当時のカーマニアはこの新しいスポーツカーに心を躍らせたのだ。

カニズムにも軽く触れてみよう。ボディサイズは全長3925mm、全幅1665mm、全高1250mmとかなりコンパクト。室内は2シーターのみで、決して広いクルマではなかった。しかし適切なドライビングポジションにより、運転そのものは意外と快適。グレードによっては、ルーフを取り外してフロントのトランクに収納できる「リムーバブルムーンルーフ」を設定していたため、半オープンカーのような使い方もできた。

当初のエンジンは、1.5L 直4DOHC(3A-LU/83馬力・グロス値)、1.6L 直4DOHC(4A-GELU/130馬力・グロス値)が搭載されたが、後のマイナーチェンジでスーパーチャージャー搭載モデルも登場している。車両重量は1トンを大きく割り込む940kg(1.6L車の5速MT)のライトウェイトスポーツゆえ、その走りは軽快そのもの。当時1トン前後のモデルは少なくなかったとはいえ、小粒だけどちょっぴり辛口な走り味は、クルマ好きの若者を大いに魅了した。そして発売同年に日本カー・オブ・ザ・イヤーにも輝き、まさに大脚光を浴びたのである。


いまの相場はどうなってる?
さて、そんな初代MR2(AW10系)だが、現在の中古車相場はどうなっているだろうか。そもそも物件が残ってるのか気になるところ。

今回調査したところ、グーネットでヒットしたのはわずか16台(2023年5月現在)。これは2代目(SW20)の2割弱程度だ。ただし、80年代生まれの国産スポーツとしてみると、際立って少ないわけではない。ほぼ同世代のライバル、ホンダ バラードスポーツCR-Xなども同じ程度。つまり、80年代の国産スポーツは、90年代のモデルと比べてさらに探しにくい状況となっている。

価格帯は、100万円~460万円と幅がある。400万円以下の物件は走行距離が10万kmオーバーが大半だが、400万円台の高額な個体は5万km以下の低走行車も未だ流通している。各々見ると、オリジナルの状態を保っていると思しき個体が目立ち、チューニング車や使い潰されたものはすでに淘汰されているようだ。グレードは、より高性能な「G スーパーチャージャー」が半数以上を占めている。


まとめ
バブル前夜に生まれたトヨタ MR2は、その後やってくる国産スポーツカーブームの先駆けとなるような存在。当時の日本の勢いを象徴するようなクルマといっていい。なお、国産ミッドシップカーは、その後ホンダからNSXオートザム AZ-1なども登場し、国産スポーツラインアップに華を添えた。

あれから39年、年号が昭和、平成、そして令和へと時代は巡った。それでもなお、初代MR2の元気いっぱいの走りは今でもまぶたに焼きついている。

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