批判に耐えられなかった?おかしくない?

野球の練習では世界一厳しいと言われた横浜高で、カラダの鍛練の貯金を作った。

王国崩壊後の西武に入り、練習がヌルくヒマで柴田にも引っ掛かったばかりか、柴田のマンション前の駐車違反の身代わりに"世界のヒーロー"黒岩彰を行かせた。トレーニングはあまりしなかったが、タマ数投げてたから、3年連続最多勝は獲れた。また、石井貴の活躍で日本一になってメジャーに行けた。2度のWBCにはMVPにも輝いた。

しかし、2度目のWBC後、メジャー3年目にとうとうカラダの鍛練の貯金が尽きた。横浜高卒業後ランニング量は激減し、メジャーでは投げ込みさせてもらえず、力任せしかなかった。コントロールもままならず、減ったタマ数でも肩ヒジ故障し手術、ボラスに日本に送り返されてしまった。

以後は、一昔前のイカサマ外人みたいに、ソフトバンクから3年12億もらった。走ってないから、上体を揺すって力感を出し、全力投球したストレートは御辞儀してたが、中日では少し勝った。カラダつきもフォームも別人だった。岩隈を獲った原監督も、松坂は獲らなかった。挙げ句、中日ではオバチャンに触られたと、ヤクザまがいの演技でキャンプを離脱し、球団に無届でアメリカに滞在日数消化に行った。やる気なさも見え見えで消化した。西武に戻っても、見る影もなかった。

批判?全部自業自得じゃないの?十二分にもらってると思うョ!

 

 

 

 

 

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「最後は批判に耐えられなかった」“平成の怪物”松坂大輔が会見で語った引退の理由「よく諦めずにやった」
10/19(火) 14:07 Yahoo!ニュース
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現役生活に別れを告げる松坂。会見ではこれまで語ってこなかった引退の理由を明かした。(C) THE DIGEST写真部
 日本球界で数多の伝説を作ってきた剛腕がついに現役生活に別れを告げた。10月19日、西武ライオンズ松坂大輔が引退会見に臨んだ。

【動画】奪三振マシーンと化した松坂大輔レッドソックス時代のピッチングシーン

 

 その剛速球で数多の伝説を残してきた。横浜高校の3年となった1998年夏の甲子園決勝、京都成章戦でノーヒットノーランをやってのけ、春夏連覇という偉業を達成した松坂は、同年のドラフト会議で西武に指名されてプロの扉を開く。そして入団1年目にいきなり16勝を挙げて最多勝に輝くなど「平成の怪物」の異名を欲しいままにした。

 2006年オフには、ポスティングシステム史上最高額となる約5111万ドル(約60億円)でボストン・レッドソックスへ移籍。1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。文字通り日本のエースとして世界にその名を知らしめた。

 しかし、右肘のトミー・ジョン手術を行なった2011年以降は故障の連続だった。満足に投げられない日々のなかでも現役にこだわった男は、15年にソフトバンク・ホークスで日本球界に復帰。17年にテストを経て中日ドラゴンズに入団。そして19年のオフからは、14年ぶりに西武のユニホーム袖を通していた。

 センセーショナルなデビューから41歳までプロキャリアを続けていた“怪物”は、今年7月7日に発表してから公の場で語ってこなかった引退への想いを明かした。

「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、なるべく来ないことを願っていると思う。今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような思いがある。現時点ではスッキリしてないんです。このあと投げることになっていますし、投げてそこで自分の気持ちもスッキリするのかな、スッキリしてほしいと思います」

「応援してもらったファンの方はもちろん、アンチのファンの方も含めて感謝しています」とあの人懐っこい笑みが浮かべる。そして、ゆっくりと考えながら、プロキャリア23年を振り返った。

「選手生活の後半は叩かれる方が多かった。もっと早く辞めてもいいタイミングはあったと思いますし、思ったようなパフォーマンスが出せない時期が長く苦しかったですけど、その分たくさんの方に迷惑かけましたけど、よく諦めずにここまでやってきたと思います。

 これまでは叩かれたり、批判されることに対して、なんとか力にして跳ね返そうとやってきたけど、最後は耐えられなかった。心が折れたというか、受け止めて跳ね返す力はもうなかったですね」

 この後に行なわれる日本ハムとの一戦で現役最後のマウンドに立つ松坂。「最後の最後、全部をさらけ出して、すべてを見てもらおうと思います」と話す“18番”は、どんな姿を見せてくれるだろうか。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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国民に選択肢を出せない政治家では・・・

安倍晋三麻生太郎、歴史に名の残る岸信介吉田茂の3世だ。歴史上、鎌倉幕府室町幕府江戸幕府、3代目は全盛期、8代目は変革期と習った。それが、この3代目は学歴的にも大したコトなく、間抜けな言動を繰り返している。安倍晋三に至っては、見え見えな不正をやっていながら、厚顔無恥に(表面化させずに)指揮権発動させて、小渕娘のドリルに継ぐ証拠書類シュレッダーまでやらかした。加計森友についても、本人達は巧妙にやってるつもりなのだ。

自民の次期総裁全員に、支持と引き換えに追及しないクギ刺しまでした。岸田総理の低支持率や高不支持率の素にもなった。

今回の自民総理候補、岸田サンは開成高なのに3浪で早大、河野サンは慶大進級できずジョージタウン大、高市は神戸大、野田は上智大だっけ?別に出身大がどうとは言わないが、必須教科すら勉強してないヒト、他の教科勉強してるとは思わない。ホントはチョロい大学のヒトの方が他の教科もキチンとやっていて、コロナ他の問題でも「今まで、マイコプラズマまでの肺炎を発症で扱って来たのに、何でコロナに限って感染で騒ぐ必要があった?」誰一人問い質すヒトはいなかった。

国民はバカである、だって?

確かに、今の政治家というか、都道府県市町村の首長や議員は、大抵そう思っている。だから、地上げ市長もフィットネス市長も居座るわ、一度辞めても出馬する。各選挙民、バカにされているのだ。

フツ~に考えたらいい。

先述のような自民総理候補や安倍晋三麻生太郎菅義偉ら、大抵の大学経た国民の方がちゃんと勉強して来たし、賢いのだ。第1、特に田中角栄以降の歴代総理、偏った学者連中の言いなりに、バカな外交や内政改革をやっただけ、国民の積み立てた血税や年金をスッてしまった。いや、スッたどころか、GDP何倍の赤字ある?

コレらは失政じゃん!

歴代内閣と各政策、それらが招いた赤字について、キチンと検証して、歴史や政治経済や倫理社会などの教科で評価し直すべきじゃないの?

その上で、日本中の国や都道府県や市町村から首長も議員も廃止して、それぞれを直接民主制に変えるべきではないの?

選挙に当選する前だけウマいコト並べて、当選したら威張り散らし利権と贈収賄?もう、要らないと思う。

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安倍晋三元首相が驚く国民の選択 古賀茂明〈週刊朝日
10/19(火) 7:00 Yahoo!ニュース
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安倍晋三元首相(C)朝日新聞社
 衆議院が解散され、31日に総選挙の投票日を迎える。2012年の第二次安倍晋三政権誕生から8年9カ月の間、3回の参議院選挙と2回の衆議院総選挙があった。この間、消費税引き上げ、集団的自衛権行使容認の安保法制などの不人気政策があり、森友学園加計学園桜を見る会などの問題に代表される安倍氏による国政の私物化、さらには、小渕優子氏や甘利明氏など閣僚の不祥事も相次いだ。自民党は毎回逆風下で選挙を戦ったが、それでも選挙で連勝していた安倍氏に言わせれば、「文句があるなら国民に言え」ということになる。

【アンケート結果】好きな政治家・嫌いな政治家は?

 このコラムにも何回か書いたが、安倍氏には独特の哲学があると私は見ている。一言で言えば、「国民は馬鹿である」という哲学だ。「ものすごく怒っていても時間が経てば忘れる」「他にテーマを与えれば気がそれる」「嘘でも繰り返し断定口調で叫べば信じてしまう」。選挙のたびに勝利した安倍氏がこう考えたのはある意味正しかった。

 さらに、この哲学は、とんでもない政治倫理の堕落をもたらした。安倍政権では、「李下に冠を正さず」、すなわち、人の道から外れているのではと疑われることだけでも許されないというあるべき倫理観は完全に消え失せた。どうせ国民は馬鹿ですぐに忘れてしまうのであれば、怖いのは司法当局だけということになる。倫理規範は「捕まらなければ良い」となり、ことが起きると、何も説明せず、「検察に捕まらなかった」から問題ないと胸を張るようになった。

 これはさらにエスカレートし、「逮捕させなければ良い」というレベルまで堕落した。法律に反して、安倍氏の守護神、黒川弘務東京高等検察庁検事長(当時)の定年を延長したのはその象徴だ。

 そうなると官僚たちは、「李下に冠を正さず」から「違法にならないギリギリのところでうまくやれ」、さらには、「違法なことでも捕まらないようにやれ」と迫られることになる。結果、政府のいたるところで文書隠蔽、廃棄、改ざんが行われた。

 森友事件に関連して公文書改ざんを強要され、後に自殺に追い込まれた近畿財務局職員・赤木俊夫さんはその犠牲になったのだ。私は、ご遺族の夫人・雅子さんとよく話をするが、実は、雅子さんが一番心配しているのは、国民が森友問題を忘れてしまい、真相が何も明らかにされないまま、「過去のもの」として葬り去られてしまうことだ。

 だが、今回はこれまでとは違う。10月6日に雅子さんが岸田文雄総理に出した手紙が反響を呼び、ヤフーニュースによる選挙の最大の関心事のアンケートで、森友再調査が何と断トツの1位。驚くべきことだ。選挙中も関心を集め続けるだろう。これは、安倍政治への嫌悪感がまだ国民の頭の中に深く刻まれている証である。今、岸田内閣が安倍政治を変えられないというイメージは急速に広まり、内閣の支持率は低迷している。雅子さんの手紙はそこにさらなる痛烈なダメージを与えた。

 野党側が万全な共闘体制を作れたら自民大敗という可能性も十分出て来た。雅子さんの手紙は、国民の「記憶」を呼び覚ましたのだ。

「安倍さん、国民はそんなにバカではありません」という結果を選挙で示すことができるかどうか。私たち国民一人一人の真価が問われている。

週刊朝日  2021年10月29日号

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別に、ターボじゃなくても・・・1.6リッター。

NAエンジン、技術的にも1.6リッターと1.5リッターでは断層があった。DOHC化も1.6リッターからだし、リッター換算馬力で見ても格段に差があった。大抵の自動車メーカーは輸出用に1.4リッターも持っていたのだから、1.5リッターか1.6リッターどちらかを作らずに、キチンとどちらの排気量にも傾倒した開発をしていれば良かった。1.8リッターについても、グループB車両とか以外に必要なかったから、やるならホモロゲーション用設定で良かった。

レギュラーな5ナンバー車両のエンジングレードは、1リッターと1.4リッターと1.5リッター(1.6リッターを残しても良かった)と2リッターで良かったハズ。そうしていれば、それぞれにDOHC化やターボ化など、馬力&トルク向上に気合の入れ方が集中できたハズ。

生産設備の設定や発注数量で、想定原価は変わる。低スペックでも売れそうになかったら原価は上がるし、実際に売れなかったら赤字なのだ。

マツダやヤリスの1.6リッターターボはその時期のWRCに合わせたモノで、昔で言う1.8リッターGT-TRみたいなモノだ。ココにはないが、三菱のミラージュやランサーもモデル設定あったし、それぞれに土屋圭一のレース活動やランエボの前身で使用された。

トヨタはこの時期、1.6リッタークラスには5バルブやスーパーチャージャーを使っていた。

 

 

 

 

 

 

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ジツはかなり貴重な存在? 国産1.6リッターターボエンジン車3選
2021/10/19 06:10 くるまのニュース11

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■希少な「テンロク ターボ」を振り返る

 トヨタAE86カローラレビン/スプリンタートレノ」やホンダ「EK9型 シビック タイプR」など、ハイパフォーマンスな1.6リッターエンジンを搭載したモデルは、かつて走り好きの若者たちを夢中にさせました。

オヤジセダンに280馬力のエンジンを搭載!? 隠れ高性能車5選

 日本では自動車税が2リッターエンジンと同額になってしまう1.6リッターエンジンは、中途半端な排気量といわざるを得ませんが、モータースポーツの世界ではクラス分けでメジャーな排気量となっていたため、必然的に1.6リッター車は高性能なモデルが多くなったということです。

 過去には各メーカーがラインナップしており、隆盛を極めていた1.6リッター車ですが、そのほとんどは自然吸気エンジンで高回転、高出力を競い合っていました。

 一方で、極めて数少ない存在だったのが1.6リッターの過給機付きエンジン車で、とくに国産車ではレアなモデルです。

 そこで、実は数少ない歴代の1.6ターボの高性能モデルのなかから、3車種ピックアップして紹介します。

マツダ「ファミリア GT-X」

 ターボエンジンの普及が始まったのは1980年代からで、国産車の高性能化が一気に加速し、メーカー間のパワー競争にまで発展しました。

 そして、自社の高性能車をアピールするために各メーカーともモータースポーツへの参戦を積極的に進め、とくに欧州で高い人気を誇っていた世界ラリー選手権WRC)に参戦することは、グローバルでイメージアップに繋がるとともに、ベース車の販売にも影響を与えました。

 1970年代の排出ガス規制強化に対応するため、国産メーカーでは一時的に下火になっていたWRCへの参戦でしたが、1980年代の終わりには次々と復活。

 そして誕生したのが高性能なDOHCターボエンジン+フルタイム4WDのハイスペックモデルたちで、その先駆けとなったのが、1985年に発売されたマツダ「ファミリア GT-X」です。

 ファミリア GT-Xは6代目ファミリアの高性能グレードで、国産車では初となるフルタイム4WD車という記念すべきモデルでした。

 搭載されたエンジンは最高出力140馬力を誇る1.6リッター直列4気筒DOHCターボで、駆動方式はプラネタリーギア方式のセンターデフを用いたフルタイム4WDシステムを採用。トランスミッションは5速MTのみです。

 ハイパワーなエンジンと4WDの組み合わせによって、加速性能は2WDの2リッターターボ車を上まわるほどと評され、たちまち若者たちを虜にしました。

 あらゆる路面で高い走行性能を誇ったファミリア GT-Xは、国内外のラリーでの活躍もあり、ブランドイメージの向上にも貢献を果たし、他メーカーも同様な高性能4WD車を発売して追従しました。

●日産「ジューク」

 現在のSUVブームが盛り上がりをみせようとしていた2010年に、日産は生粋のクロスオーバーSUVとして「ジューク」を発売。

 アグレッシブなデザインのフロントフェイスや、張りのある曲面で構成されたグラマラスなボディが、大いに話題となりました。

 ボディサイズは全長4135mm×全幅1765mm×全高1565mmとコンパクトで、内装も色使いや各部の造形が外装に負けないほどポップな印象です。

 グレードは最高出力114馬力の1.5リッター直列4自然吸気エンジンを搭載した「15RX」系と、最高出力190馬力とパワフルな1.6リッター直列4気筒ターボエンジンを搭載した「16GT」系の大きく2タイプに分けられていました。

 また駆動方式は2WD(FF)が基本で、トップグレードの「16GT FOUR」のみが4WDとなっており、トランスミッションは全車CVTです。

 2013年には、この16GT系をベースに最高出力200馬力までチューンナップされた「ジューク NISMO」が登場し、さらに2014年にはジューク NISMOをベースに、最高出力214馬力にまで高められた「ジューク NISMO RS」が発売されるなど、よりスポーティなモデルをラインナップしました。

 ジュークは一定の人気を獲得し、ロングセラーとなって2019年に生産を終了。現在も欧州では2代目が販売されていますが日本への導入はなく、2020年に発売された「キックス」が実質的な後継車です。

トヨタ「GRヤリス」

 2020年9月に発売された「GRヤリス」は、トヨタWRCで培った技術を惜しみなく投入した4WDスポーツカーで、車名こそヤリスを冠していますがほぼすべての部分が専用設計とされた別モノのマシンです。

 ボディはヤリスに近いシルエットながら専用の3ドアハッチバックで、トレッドの拡大から前後ワイドフェンダーとし、迫力あるエクステリアを演出しています。

 ほかにもカーボン製ルーフパネルの採用や、ボンネットとドアパネルはアルミ製とするなど軽量化が図られ、車重は1280kgを実現。

 内装ではデザインはヤリスに準じていますが、メーターやステアリング、シートはGRヤリス専用で、4名乗車となっています。

「RZ」グレードに搭載されるエンジンは、最高出力272馬力・最大トルク370Nmを誇る1.6リッター直列3気筒ターボで、組み合わされるトランスミッションはブリッピング機能がある6速MT(iMT)のみです。

 この大パワーは新開発の駆動力可変型フルタイム4WDによって路面に伝えられ、運動性能と加速性能はまさにラリーマシンレプリカといえるでしょう。

 なお、外観は4WDモデルと同様ながら、1.5リッター自然吸気エンジンにCVTを組み合わせた2WD(FF)の「RS」と、快適装備の一部を排除してRZから30kg軽量化したモータースポーツベース車の、「RC」がラインナップされています。

※ ※ ※

 国内メーカーで、今回紹介した3車種以外に1.6リッターの過給機付きエンジンを搭載したモデルというと、三菱が2代目・3代目「ミラージュ」と「コルディア/トレディア」、いすゞが2代目・3代目「ジェミニ」、直近ではスバルが初代「レヴォーグ」に1.6リッターターボを搭載していました。

 また、トヨタは初代「MR2」と「AE92型」カローラレビン/スプリンタートレノにスーパーチャージャー付きの1.6リッターエンジンを搭載した実績があります。

 しかし、特殊なモデルであるGRヤリス以外は、国内メーカーではすべて淘汰されてしまいました。

 1.5リッター以下の過給機付きエンジンならば経済的なメリットがありますが、重量増も避けられない1.6リッターの過給機付きエンジンは、今となっては必然性が見いだせないということなのでしょう。

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セリカXX、スープラ、正統派スポーツカー?

この記事を書いてるヒト、ちゃんとわかって書いてるのか?正統派スポーツカーって、意味わかって書いてるのか?

スポーツカーって、コルベット的に直進安定主体のアメリカンスポーツカーと、フェラーリ的に直進も旋回ハンドリングも重視するヨーロピアンスポーツカーと、種類が違うのだ。

元々、セリカが分派して、アメリカン系のXXとヨーロピアン系のセリカに分かれた。XXがオンナを意味する誤解を受けるから、スーパーの意味するスープラに変えた。スープラはロングノーズショートデッキ的構成でグループAのベース、セリカはFF/4WDでWRCのベースになった。

70スープラまでは、グループAレースでも直6を使用したが、レース用の80スープラでは前後バランス配慮で直4ターボに積み換えたり、レギュレーション対応でV8に積み換えたりした。

以後、国内GTレギュレーションの変更により、GT500では直4ターボを使用している。市販モデルでは直6ターボと直4ターボを使用している。

ただ、BMWと車体を共同開発した割には、アメリカンスポーツ系に行くのか、ヨーロピアンスポーツ系に行くのか、ハッキリしてないように見える。

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「リトラ」「直6」「ロングノーズ」! 実は「正統派スポーツカー」だった「70スープラ」を振り返る
2021/10/17 23:32 Auto Messe Web1

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日本では初代だが北米では3代目となるA70スープラを振り返る

 最近、与党総裁選に出馬した女性国会議員の元愛車として、また愛猫の難病手術のために大切にしていた愛車を売却したことから始まる感動秘話など、なにかとワイドショーを賑わせたトヨタスープラ

原型不明なほどのカスタムも! 「セリカXX」から最新の「GR」までスープラぞろぞろ350台のミーティングが強烈

 近年ではBMWと共同開発された通称A90スープラが復活したが、じつは日本では初代となるA70型(以下、A70スープラ)や2代目のA80型(以下、A80スープラ)よりも以前に、日本ではセリカXXとしてお馴染みのA40/50型(1978~1981年生産)や、A60型(1981~1986年生産)が、北米ではスープラの名で販売されていた。 こうしたことからクルマのキャラクターやイメージがちょっと紆余曲折しているようにも思えるのだが、北米向けでは3代目、日本では初代モデルとなるA70スープラを振り返りたい。

意外な理由から北米では「スープラ」のネーミングに!

 まずA70スープラが日本と北米で車名が分かれたのには意外な理由にあった。英語圏では「X」というアルファベットが当時の成人映画を表す記号として使われていたため、車名にXが入るというのはバツが悪いと考え、北米ではスープラのネーミングで販売されていた。 また、日本ではセリカの上級モデルというポジションを素早く定着させるためにセリカXXの名が与えられたが、コロナの派生モデルとしてコロナ・マークIIがコロナと上級版のマークIIに分かれたように考えると分かりやすいだろう。

 そして3代目モデルのA70スープラではセリカXXの名を継続するのではなく、海外の情報が自然と入るようになったバブル期であったこともあり、日本でも北米にならってスープラを名乗り、晴れて世界のスープラとなった。スープララテン語で「超えて」や「上に」といった意味があり、日本同様に直6エンジンを積んだセリカの上級モデルであることをアピールしながら、差別化が図られたというわけだ。

ライバルのフェアレディZがGT路線へと進むなかスープラも追従

 初代セリカXXとスープラ(A40/A50型)は、当時6気筒エンジンを積んだスペシャルなスポーツクーペとして北米で成功を収めていた、日産フェアレディZ(Z31型)に対抗できるクルマが欲しいという声で誕生した。 当初、初代フェアレディZ(S30型)はピュアスポーツカーポルシェ911を仮想敵としていたが、フェアレディZがZ31型で高性能スポーツGTへと路線変更。A70スープラも、スポーツGTのマーケットを北米で開拓していくことになる。 結果的にA70スープラはGT路線を歩んでいくのだが、筆者個人の意見ではあるがスープラはサーキットでポルシェと対峙できるライバルを目指してほしかったといまでも思う。 しかし、それは仕方ないことだったのだろう。バブル真っ盛りの1985年に4代目セリカ(ST16系)が登場すると、女性人気が高いセクレタリーカーとして大ヒット。2ドアでオシャレなスポーティカーとして人気を集めていたことから、セリカにスポーツ性を強めればライバルのフェアレディZに近づけると考えてもおかしな話ではなかったからだ。

トヨタ3000GT」のキャッチコピーでA70型がデビュー!

 あらためてA70スープラの生い立ちを振り返ると、セリカXXのイメージと同様にスポーツカーというよりは、スペシャリティカーやデートカーの上級版といった方が適切と思われる。

 1986年、日本名でもスープラに統一されたA70型は、わかりやすいキャッチコピーに切り替える。それは「トヨタ3000GT」で、当時最強のデートカーであったソアラと同様の基本性能としたグランドツーリングカーとしてデビューした。 特徴は低い位置に備わるリトラクタブルヘッドライトとA60型の途中から採用されたドアミラーの効果も手伝い、直線基調ながら適度に丸味を持たせたスタイリングは、セリカとは一線を画すスタイリングを実現した。さらにインテリアも一段と進化し、6連メーターやデジタルメーター、パワーシートなどといったGTマシンらしい長距離走行を得意とする装備が奢られた。

全車直6エンジンを採用! ラスボスとして「2.5GTツインターボ」を追加

 エンジンはすべてのモデルに直6を採用。ラインアップは2L自然吸気SOHCの1G-EU型(最高出力105ps/最大トルク16.0kg-m、※M/C後に同135ps/同18.0kg-mに改良)、2L自然吸気DOHCの1G-GEU型(同140ps/同16.5kg-m、※1988年のM/C後に同150ps/同18.6kg-mへと改良)、2Lツインターボの1G-GTEU型(同185ps/同24.5kg-m、※1988年のM/Cで同210ps/同28.0kg-mに改良)、3Lターボの7M-GTEU型(同230ps/同33.0kg-m、1988年のM/Cで同240ps/同35.0kg-mに改良)を設定した。 サスペンションは前後に4輪ダブルウィッシュボーン式を採用し、進化したボディもあってGTカーらしい上質な走りを獲得していた。

 また、1990年の改良ではサスペンションなどに改良が図られ、それまで最上級であった3Lワイドボディの「3.0GTリミテッド」が廃止され、2.5Lツインターボの「1JZ-GTE型」を搭載した「2.5GTツインターボ」を新たに設定。最高出力280ps/6200rpm、最大トルク37.0kg-m/4800rpmのスペックを誇り、馬力自主規制値いっぱいのハイパワー化を達成させた。 またこのエンジン自体は、すでにマークIIなどでお馴染みだったが、トランスミッションにMTが組み合わされたのは初めてだった。ビルシュタイン製専用ダンパ―や大径タイヤの装着もあって、「2.5GTツインターボ」はスポーツ性を一段と高めた。

 ちなみに北米では3Lターボの「3.0GT」が引き続き発売されたことから「2.5GTツインターボ」の販売は日本国内専用モデルとなった。

後継モデルのA80スープラピュアスポーツカーへと進化

 A70スープラは、Z31型フェアレディZとのライバル関係もあってGTマシンとして進化したと記したが、「2.5GTツインターボ」はトヨタにおけるスポーツカーのフラッグシップというイメージが強く、アッという間にトヨタのスポーツカーを代表する存在となった。そのコンセプトはA80スープラにも継承され、車両開発の一端を担う評価ドライバーの育成にも長い間使われたほど、ハンドリングマシンとしてピュアスポーツカーとして高い完成度を誇っていた。

スープラ2.5GTツインターボ

〇全長×全幅×全高:4625mm×1745mm×1300mm

ホイールベース:2595mm

〇エンジン:1JZ-GTE型水冷直列6気筒DOHCツインターボ

〇最高出力:280ps/6200rpm

トランスミッション:5速MT

〇最大トルク:37.0kg-m/4800rpm

〇サスペンション:前後ダブルシュッシュボーン

〇ブレーキ:前後ベンチレーテッドディスク

〇タイヤサイズ:225/50R16

〇当時車両本体価格:264万3000円(標準ボディ)

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100巻超えのマンガ

複数編合わせたら、水島新司ドカベン高橋陽一キャプテン翼なども、100巻は超すのではない?

昔は、しげの秀一バリバリ伝説楠みちはるアイツとララバイや原哲夫北斗の拳らも100巻は行かなかったハズ。

週刊連載マンガとして、今の青山剛昌名探偵コナン不定期になっている。カレの健康問題取り沙汰や高山みなみとの離婚問題などもあった。

RUMの正体も判明した。後は、黒の組織首領たるベルモットらとの展開を決め切れてないのか?コナンや灰原や赤井や世良や羽柴のお母さんを元に戻すのか、その辺をどうするのか、話をどれくらい延ばすのかと関係しているのでは?

はじめの一歩は、現状引退してトレーナーになってる幕之内一歩をどのタイミングで復帰させるのか?元々、世界に行くハズだった一歩を今井と戦わせる?千堂対ゴンザレスとマルチネスをどう進める?

 

 

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名探偵コナンも100巻到達!実は100巻超えの名作漫画ランキング
10/18(月) 8:00 Yahoo! JAPAN


超大作!100巻超えの名作漫画ランキング
日本が世界に誇る文化である漫画。数多の名作漫画が存在しますが、その中でもコミックス100巻を超える超大作が多数発行されています。2021年は「ONE PIECE」と「名探偵コナン」がそろって100巻を突破する記念すべき年となり、今まさに100巻記念のプロジェクトをお祭りモードで楽しんでいるファンのみなさんもたくさんいらっしゃいますよね!

そこで今回は「100巻超えの漫画」をランキングで調査。少年漫画、少女漫画、グルメ漫画にハードボイルドの名作まで…誰もがタイトルを聞けば知ってる!読んでる!日本漫画、すごすぎる!!とテンションが上がる名作の数々、ランキングでご覧ください!

※2021年9月9日時点で発表されている巻数。

1位に輝いたのは…!

※記事中の人物・製品・サービスに関する情報等は、記事掲載当時のものです。


【超大作!100巻超えの名作漫画ランキング】
第1位 「名探偵コナン青山剛昌(最新刊:100巻)
第2位 「ONE PIECE尾田栄一郎(最新刊:100巻)
第3位 「こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治(全200巻)

(4位以下は『ランキングー!』サイトに掲載中)

調査方法:株式会社CMサイトがインターネットリサーチした結果を集計。
※有効回答者数:10~30代の男女(性別回答しないを含む)2630名

映画も毎回大ヒット!1位は10月18日に100巻が発売となった「名探偵コナン」!
<投票者のコメント>
「登場人物がかっこいいし、人間関係が面白くて引き込まれる」

「始まった時から好きな漫画(アニメ)だから」

「小学生から読んでる」

超大作!100巻超えの漫画ランキング第1位に輝いたのは小学館週刊少年サンデー」で1994年から連載されている「名探偵コナン」でした!高校生探偵・工藤新一が黒の組織によって子供に変えられ、江戸川コナンとして数々の難事件に立ち向かう推理漫画の金字塔!
2021年10月18日に、ついに100巻が発売!それを記念した100巻プロジェクトも大々的に発表。大人気キャラクター降谷零(安室透)達の警察学校時代を描いた「名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story」のアニメ化など、気になる内容が盛りだくさんです。


クライマックスに向けて、盛り上がりは最高潮!2位は「ONE PIECE」!
<投票者のコメント>
「世界中から見ても面白いマンガだと思います」

少年マンガの王道で面白い」

「なんと言っても面白いから!!」

第2位は「週刊少年ジャンプ」にて1997年より連載中の「ONE PIECE」!記念すべきコミックス100巻が2021年9月3日に発売されました。
ルフィ達麦わらの一味の冒険もどんどん熱を帯び、2019年には原作者の尾田さんが「あと5年で終わります」とコメントして大ニュースになりましたが…現在展開中の日本がモチーフになっている「ワノ国編」からも目が離せません!
100巻を記念した特設サイトで告知される数々の記念イベントや尾田さんからのメッセージ、必見です!


両さんは永遠です!3位は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」!
<投票者のコメント>
「時事ネタ含めてとてもおもしろい」

「再連載して欲しい!」

「子どものころから知っているのと、笑える内容が好き」

第3位は、集英社週刊少年ジャンプ」で1976年から2016年にかけて連載されていた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、略して「こち亀」!破天荒で多趣味で情に厚くお金が大好きな警察官、両津勘吉を主人公としたギャグ漫画です。
2016年9月17日発売のコミックス200巻で連載は完結していますが、なんと2021年10月4日に最新刊201巻が発売され話題に!201巻には連載終了後に開催された「こち亀展」で展示された新作が収録されるとのこと。
両さんたちの活躍がまた読めるなんて嬉しいですよね!


4位以下は「あさりちゃん」(全100巻)※完結や、「クッキングパパ」(最新刊:158巻)、「パタリロ!」(最新刊:103巻)などがランクイン!
ランキングー編集部

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90年代オートバイ、メーカーの自業自得

90年代、レーサーレプリカブームが終わり、二輪メーカーは既存モデルの安直な延命を図り、ちゃんとしたレプリカを出さなくなった。

ヤマハは91年型のV型2気筒TZRを出して以降、目先を変えるようなSPやSPRを出しただけだった。せっかく、原田哲也が世界GP250を獲り、TZMを出すチャンスだったのに、機を逃した。

ホンダは90年型を出して以降、93年までカラーチェンジで凌ぎ、94年型を史上最低のフルチェンジ。世界GP250のRSやNSRは右側片持ち右側チェーンなのに、VFRやRVF同様の左側片持ち左側チェーンで誰も頼みもしないカードエントリーなどを出した。また、M・ドゥーハンの連続チャンピオンイメージでウワサされたPGM-FIなどの投入もなかった。

スズキは、90度V型2気筒のRGV-Γを出し、96年に70度V型2気筒のSPを出した。世界GP250では、コシンスキーの離脱や若井や沼田の死などロクなコトはなかったが、レプリカ反映度は高く、また、90度V型2気筒輸出型エンジンをアプリリアに提供した。

結局、オートバイメーカーの首を絞めたのは、自らの要因だった。

 

 

 

 

 

 

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90年代バイクの価格暴騰が止まらない! 青春を共に過ごした「ゼファー」「RGV-Γ」「NSR
10/17(日) 14:00 Yahoo!ニュース
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バイク人気が再燃し中古価格が上昇中
 
1999年にヤマハがヨーロッパに500台限定で販売したYZF-R7、価格は約400万円だったが、いまや…。
 コロナ禍によって、他人と密にならずに楽しめる趣味や迅速に移動できる手段として、ふたたび脚光を浴びることとなっているオートバイ。しかし、いざ新車を買おうと思ってもそのコロナの影響や半導体不足で、世界中の生産工場はストップ状態と納車はいつになることやら。

【画像】大人気「ゼファー」から、520万円で限定発売された「NR」まで、じっくりと見る

 では中古へ……と思うと、これまた欲しいバイクのタマがない。それもそのはず。昔親しんだバイクたちは相次ぐ排ガス規制のおかげでその多くが絶版となり、今や高嶺の存在に。そこに加えて今回またたくさんの人が殺到するものだから、中古車価格は暴騰の一途へ。60~70年代のいわゆる「旧車枠」はもとより、最近では90年代のマシンまでその余波が及んでいます。今回は、そんな「特に高騰ぶりが目立つ90年代マシン」の国産4メーカー代表を紹介いたしましょう。

カワサキ・ゼファーシリーズ(1989~2007)
当時新車価格:52万9000円(400)/65万9000円(750)/84万9000円(1100)
現在中古相場:80~170万円(400)/140~270万円(750)/150~290万円(1100)

 今、90年代中古バイクの相場で一番アツいことになっているマシンと言ったら、やっぱりカワサキ。90年代ネイキッドブームの火つけ役となったのが、ご存じカワサキのゼファーシリーズです。

 往年のZ1・Z2をオマージュした王道ネイキッドスタイルに、エンジンももちろん空冷4気筒で、1989年に400から始まり、1990年には750、1992年には1100が登場。2000年代終わりまで約20年間に渡ったその生産時期は、じつはZ1・Z2よりも長いというものになりました。このバイクとともに青春を過ごしたというライダーも数多いことでしょう。

 10年ほど前までは400だとタダ同然で手に入ったこともできたゼファーでしたが、登場からすでに30年あまりということで今では立派な「旧車枠」。Z1・2、Z400FXたちがもう手の届かない中古相場になってしまったこともあって、気が付けばあれよあれよという間にこちらも高騰。400でも今や100万円以上するのはちっとも珍しくないという状態に。1100や750だと200万円以上で取引されている場合が多いです。

 そんなゼファーシリーズのなかでも、一目置かれるのが1996年から追加されたワイヤースポークホイールを履き、よりオリジナルZに近いイメージとなった1100RS&750RSの2台。

 カラーリングも火の玉やタイガー、玉虫などZで人気だったものが揃っています。もっともホイール形状から来る制約のために、スタンダードと比べてチューブタイヤであったり、フロントブレーキはダブル装着ではあるものの片押し2ポットキャリパーになってしまっていたり。ついでに車重も増えていたりと性能面ではちょっと劣っていたりするのですが、そこはスタイルの前には許されてしまう部分でしょう。

 スタンダードより販売歴も短く個体数も多くないので、今後はどんどん希少度が高まっていくと思われます。また、ワイヤースポークはキャストスポークと比べて圧倒的にサビやすいので、オーナーになったら小まめな洗車は忘れずに!

カワサキ・ゼファー400(1989モデル)

 1989年に登場したシリーズ第1弾。初期型はメーターハウジングがフラット形状だったが、のちに砲弾形状に変わって、よりZっぽくなった。1996年からは4バルブとなり53psにパワーアップしたゼファーχ(カイ)も登場。現存個体はその多くがマフラーやハンドル、シートを中心に何らかのカスタムを受けており、完全ノーマルの極上車はかなり希少だ。

SPEC■全長2100mm 全幅755mm 全高1095mm シート高770mm■空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブ 399cc 最高出力46ps/11000rpm 最大トルク3.1kg-m/10500rpm 乾燥重量177kg

カワサキ・ゼファー750(1990モデル)

 1990年に登場したシリーズ次兄。当時は400と1100の販売数に勝てなかったが、じつはオリジナルのZにもっとも近い雰囲気のスタイルを持っていたのがこの750。1100とともに400より2年早い2007年に火の玉カラーのファイナルエディションをもって生産終了となった。

SPEC■全長2105mm 全幅770mm 全高1095mm シート高780mm■空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブ 738cc 最高出力68ps/9500rpm 最大トルク5.5kg-m/7500rpm 乾燥重量200kg

カワサキ・ゼファー1100RS(1996モデル)

 満を持して1991年に送り込まれたシリーズ最高峰で、1100ccの大排気量空冷4気筒が醸し出すのはまさに王者の風格。写真と諸元はワイヤースポークホイールのRS。1996年に登場し2003年までの7年間にSTDと併売されていた。

SPEC■全長2165mm 全幅780mm 全高1115mm シート高795mm■空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブ 1062cc 最高出力93ps/8000rpm 最大トルク9.1kg-m/7000rpm 乾燥重量249kg

スズキRGV-Γ250SP(1996~1999)
当時新車価格:77万7000円
現在中古相場:200~300万円

 絶版となって久しい2ストレプリカにも人気が集まっていることは、もう皆さんご存じのはず。なかでも一番人気はレプリカブーム当時から最強と言われたホンダのNSR250R。1986年に登場した1型はともかく、1988年の2型からは中古相場で結構なプレミア価格となり、スイングアームが片持ちプロアームでカード式のメインキーといった装備も特徴的な最終型、それも上級版のSPでレプソルカラーだと250万円は下らないという結構な高騰ぶりとなって驚きです。

 しかし、今回ここで紹介したいのはそのNSRではなく、真の最強ながら不遇の2ストレプリカと言われる1996年に登場したスズキのRGV-Γ250SP(VJ23)です。

 このマシンが発売された当時は、すでにレプリカ人気は衰えて世間はすっかりネイキッドブーム。スズキ社内でも賛否両論があったそうですが、あえてコストのかかる完全新設計の車体とエンジンが与えられてRGV-Γ250SP(VJ23)は誕生したのでした。それと言うのも当時はワークスΓのXR95が全日本250でチャンピオンを獲得し、WGP250での活躍も期待されていたことが背景にあったからかもしれません。

 VJ23はこのXR95から多くのフィードバックを受けている。アッパーカウルにはレース用のラムエアシステムが組み込められていたり、タンデムシートを外すと空力にこだわったワークスマシン譲りのテールカウル形状が現れてSP250レースではその真価を発揮できるなど、レプリカ復権の熱意が込められたアツいモデルでした。

 しかしながら、レプリカブームの再燃ならずVJ23は短命に。生産台数も2300台あまりだったと言われています。そんなマシンだけに現在での希少価値はバツグンで中古相場も超強気。ワークスマシンもまとっていたラッキーストライク・スズキの車体色はとくに高騰ぶりが目立ちます。

◆スズキRGV-Γ250SP (1996モデル) 

 国産最後の2スト250レプリカにふさわしい戦闘力が与えられていたVJ23。国産2ストレプリカとしては一番最後に設計されたマシンであるため、これこそ真の最強と呼んでいるスズキファンも数知れません。

SPEC■全長1965mm 全幅695mm 全高1095mm シート高765mm■水冷2ストV型2気筒クランクケースリードバルブ 249cc 最高出力40ps/9500rpm 最大トルク3.5kg-m/8000rpm 乾燥重量134kg

ヤマハR1-Z(1990~1999)
当時新車価格:48万9000円
現在中古相場:50~120万円

 ヤマハで最近の価格高騰が著しいモデルと言ったら、なんといってもこの9月限りで生産終了となったばかりのSR400。しかし、SRは43年の歴史が続いた、いわば80年代から続いてきたマシン……ということで、ここで紹介するのはもうひとつの注目株。それが2ストネイキッドのR1-Z、ちなみに正しい読み方は“アールワンズィー”です。

 1990年の初夏に、R1-Zは80年代に活躍したRZ250の後継車として登場しました。本来なら“RZ-1”と名乗りたかったところでしょうが、その商標はひと足早く日産自動車によって使われてしまっており、国道1号をイメージするR1を車名に……などといったもっともらしい説明がなされていた記憶があります。

 ともあれ、R1-ZはRZを引き継ぐにふさわしい鋭さを持ったマシンでした。そのエンジンは初代TZR250(1KT)の2ストパラレルツインをベースに、ミッションの見直しなどで加速感や低中速域を重視したセッティングが与えられ、R1-Z用に専用設計された独特なクロス形状の鋼管ダブルクレードルフレームに搭載。チャンバーマフラーも右2本出しの専用設計で、カーボン巻きのサイレンサーがレーシーなスタイリングを誇っていました。

 TZR譲りのエンジンは開発陣の予想を超えるパフォーマンスを備えていたのでしょう。R1-Zは登場翌年の1991年には、早くもマイナーチェンジを受けてスイングアームピボットの剛性を強化。さらにまた翌年の1992年には馬力自主規制に合わせて、出力を5ps下げたにも関わらずエンジンマウントを強化しています。同時にタイヤもラジアルとなって、アツい走りに一層応えられるようになっていたのでした。

 しかしながら、90年代のネイキッドブームにおいてはゼファーを代表するリヤ2本サスの4スト直4に人気が集中。R1-Zはコアなライダーたちからは支持されたものの、1999年には排ガス規制によって生産終了となってしまいます。パンチの効いた2ストを持つR1-Zの魅力に多くの人々が気付いたのは、それがなくなった後になってからでした。最近の中古相場では100万円超えも目立つようになってきています。

ヤマハR1-Z (1990モデル)

 750キラーと呼ばれたRZ250の後継にふさわしいスポーティな性能が光っていたR1-Z。セパハン&モノサスの車体は2ストならではの軽さも相まって、峠では鋭い走りを見せてくれたのでした。

SPEC■全長2005mm 全幅700mm 全高1040mm シート高775mm■水冷2スト並列2気筒クランクケースリードバルブ 249cc 最高出力45ps/9500rpm 最大トルク3.7kg-m/8500rpm 乾燥重量134kg

ホンダNSR50(1987~1999)
当時新車価格:21万9000円
現在中古相場:50~100万円

 最近のバイク人気による中古車価格の高騰は、原付クラスにも及んでいるから驚き。使い倒されて朽ちかけた古いスーパーカブでも、アニメで若い子たちに見つかった影響か20万円以上となっているような状態。

 そんな原付クラスで極上車だとザラに80万円とか目を疑う中古相場になっているのが、90年代の原チャリ小僧たちから絶大な支持を集めていたNSR50です。

 リミッターカットを行えばノーマルでも90km/h近くの最高速を叩き出すそのパフォーマンスは、お財布が中型バイクに届かない少年たちをガッチリと鷲掴み。全国各地の峠では膝に空き缶やカマボコ板をガムテープで巻きつけてヒザスリで攻めまくる光景が繰り広げられたのでした。中型バイクが買えないんだから、革ツナギなんてもっと手が出なかったんですよ。

 そんな90年代である意味もっとも身近な青春バイクだったうえに、絶版2スト人気も現在の価格高騰に拍車をかけることに。やっぱり原付でもNSR人気は一番ですね。最終型となるレプソルカラーで美車ともなると100万円以下ではもう買えない勢いです。

 しかも今では現存車両の多くがレーサーに改造されてしまっており、公道走行が可能な程度のいい車両は意外と少ないのもネックになっています。保安部品を付けて、いわゆる「公道戻し」をしようと思っても、まず部品が揃わない。純正パーツの多くはすでに供給が途絶え、サイドスタンドひとつとってもネットオークションでボロボロに錆びたものを7000円くらいで入手するか、他機種のものを加工して無理やり取り付けるしかないといった感じなのです。従って今後も値上がりしそう。レーサー用の改造パーツは、まだ豊富なのですが……。原付二種クラスとなる兄弟車のNSR80は、もともとの数の少なさも相まってさらにすごい値段となっています。

◆ホンダNSR50

 初代は3本スポークにダウンチャンバー。中期から5本スポークにアップチャンバー、新形状アッパーカウルにあらためられました。さらに後期でトップブリッジとフロントフォークまわり、テールカウルも変更。熟成が重ねられたエンジンも含めて、ミニバイクレース界ではこれら年代ごとに分かれたどのパーツが一番速くなるかの情報が知れまわり、一見するとノーマルの公道仕様でもチャンポンパーツのレース仕様からレストアされた車両も多数あるので注意が必要です。

SPEC■全長1580mm 全幅625mm 全高910mm シート高665mm■水冷2スト単気筒ピストンケースリードバルブ 49cc 最高出力7.2ps/10000rpm 最大トルク0.65kg-m/7500rpm 乾燥重量76kg

ホンダNR(1992)&ヤマハYZF-R7(1999)
当時新車価格:520万円(NR)/ 約400万円(YZF-R7)
現在中古相場:ASK!!!!

 こうして見てくると、高騰している90年代バイクではその多くが2ストであることがひとつの特徴になっています。それは排ガス規制により、1999年限りでそのほとんどが消えてしまったからにほかならないからでしょう。そんな90年代において、今につながるもうひとつの流れも誕生しました。それが当時新車価格から500万円以上のプライスタグを付けた超絶プレミアムバイクたちです。

 最近でこそホンダが2190万円でMotoGPマシンの公道版であるRC213V-Sを出したり、ドゥカティも同様に1195万円のスーパーレッジェーラV4といったマシンを発売。BMWなどもそれに続いているような状況ですが、その驚きを国産車で初めてもたらしたのが1992年のホンダNRでした。すでにホンダは1987年にレース用ホモロゲーションモデルとして限定のVFR750R(RC30)を発売し、その価格で世間を驚かせていましたが、それでも今ではごく普通の148万円。

 しかしNRは常識のはるか上を行っていました。そのお値段、じつに520万円! WGPレーサーからフィードバックされた、通常ピストン2個を1個につなげたような楕円ピストンで実質V8の性能を持つV4エンジンを心臓に、外装も当時では珍しいカーボン製となっていた、まさに夢の結晶のようなバイクでした。

 今ではよく見られるバックミラー内蔵のウインカーも当時としては新鮮。当時すでに楕円ピストンはレースで使えなくなっていたため純公道マシンであったのですが、2輪でもランボルギーニカウンタックのようなスーパーカージャンルが現れたといった捉え方をされていました。

 アクセサリーとして同時発売されたカーボンヘルメットも20万円以上。どこのお金持ちが買えるんだろうとバイク雑誌を見ながら羨ましく思ったものです。

 一方、RC30の成功を見たヤマハも、高価なレース用ホモロゲーションマシンのリリースを開始します。1989年に200万円でOW-01ことFZR750Rを、ホモロゲ登録可能な限定500台で国内でも発売。そして90年代最後を締めくくる99年にその後継となるYZF-R7(OW-02)を誕生させます。

 しかし、やはり限定500台となるOW-02は日本では売られず、おもにヨーロッパ向けの海外販売のみということに。それはOW-01よりも倍となった約400万円というその価格にあったのでしょう。どうしても欲しい人たちには逆輸入という手が用意されていました。

 かくして90年代に発売されたこの2台の超絶プレミアバイクは、その限られた台数もあってレア度に拍車がかかり、今では中古相場がつかない状態に。まず出物がありません。あったとしても、おそらく1000万円クラスは下らないことでしょう。

◆ホンダNR

 ホンダが持てる技術のすべてを投入した究極マシンとして登場。バブルがもたらした最後の残り香が、520万円という破格のマシンの市販化を許してくれた。じつはそのバブル後の不景気に新古車が250~300万円くらいで入手できた時期があり、今ではそれを逃したことが大きく悔やまれることに。

 厳密には生産性の関係から、ワークスレーサーとまったく同じ長円形状の楕円ピストンというわけにはいかず「正規楕円包絡線形状」だったりしますが、それでも唯一無二のエンジン。できることならオーナーになってみたいものです。

SPEC■全長2085mm 全幅890mm 全高1090mm シート高780mm■水冷4ストV型4気筒DOHC8バルブ 747cc 最高出力77ps/11500rpm 最大トルク5.4kg-m/9000rpm 乾燥重量223kg

ヤマハYZF-R7

 スーパーバイクレーサーとして使用することを前提としていたYZF-R7(OW-02)。そのため公道走行可能な、ノーマルなままの現存個体数はわずか。1998年に登場したYZF-R1シリーズに連なるスタイリングが与えられたR7ですが、スーパーバイクレースは間もなく2003年に750から1000ccに移行し、レースそのものもR1に譲ることとなってわずか4年で消えたのでした。今年春に海外で発表された同名車種とは、まったくの別物です。

SPEC■全長2060mm 全幅720mm 全高1125mm シート高840mm■水冷4スト並列4気筒DOHC5バルブ 49cc 最高出力106.0ps/11000rpm 最大トルク7.4kg-m/9000rpm 乾燥重量176kg
宮田健一

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My Little Loverの好きな曲

My Little Lover、元々、国公立でない国立音大にナンパに行った小林武史が、ソロデビューをエサに喰ったのが、AKKOこと赤松亜希子。

元々、2人のTKとして並び称され「光栄でも名誉でもない」と噴いたプロデューサー小林武史だが、個人的には優れたプロデューサーだと感じたコトは一度もない。サザンやミスチルなどでも、作曲するワケでもなく、アレンジャー。小室哲哉TMネットワーク渡辺美里への提供や、つなぎ曲と言われながらも自分で作曲していた。小室哲哉はキララ⇒吉田麻美⇒KEIKO、小林武史AKKO一青窈とプロデュース先で調達してるのは一緒みたい。

ハローアゲインは、My Little Lover小林武史が一緒に出る前ではなかった?瀬戸朝香のドラマ「君といた夏」主題歌。

他に、田中美里竹野内豊のドラマ「WITH LOVE」の主題歌destinyも好きだった。

 

 

 

 

今、小林武史一青窈とくっ付いて、My Little Loverからも離れた。

ハローアゲインは、JUJUなども歌っていた。

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マイラバ】「My Little Lover」のシングル曲で一番好きなのは?
10/17(日) 18:45 Yahoo!ニュース
画像はAmazonより
 1995年のデビュー以来、「Man & Woman」をはじめとする数々の人気曲を発表しているMy Little Loverakkoさんの透明感ある佇まいと歌声は今も健在で、デビュー25周年となった2020年には記念公演「My Little Lover ☆ acoakko live, Happy 25th Anniversary」を開催しました。

【画像:ランキング28位~1位を見る】

 今回は、My Little Loverのシングル曲の中からオリコン売上TOP3を紹介します。

●Man & Woman
 My Little Loverのデビューシングルとなった「Man & Woman」。同じA面には「My Painting」も収録されており、2曲とも作詞・作曲をakkoさんを見出した小林武史さんが手がけています。

 聴く人を飽きさせない作り込まれたサウンドakkoさんの歌声が人気を呼び、デビューからヒットとなった「Man & Woman」は、現在もリスナーから愛されている一曲です。

●Hello, Again ~昔からある場所~
 「Hello, Again ~昔からある場所~」は、デビュー後わずか3カ月の間に発表されたMy Little Loverを代表する曲の一つ。小林武史さんとギターの藤井謙二さんが共作したという3枚目のシングルは、My Little Loverのシングル売上のトップに輝いています。

 NTV系ドラマ「終わらない夏」のオープニングとしても知られていますが、2021年にはRPG「テイルズ オブ アライズ」の劇中歌に歌手の絢香さんによるカバーで起用され、再び注目を浴びている一曲です。

●ALICE
 デビュー2年目、1996年に発売されたシングル「ALICE」もまた、高い人気を誇る作品です。プロデューサーの小林武史さんがメンバーとしても参加し、作詞を小林武史さんとakkoさん、作曲を小林武史さんが手がけています。森永製菓の「ICE BOX」のCMソングとしても知られていますね。

 冒頭の逆再生された音声や、森の中に迷い込んだような不思議でポップなサウンドが魅力的な一曲です。
ねとらぼ調査隊

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