いいのか?ワタシなら選ばないけど。

トヨタ2000GTが1億?巡航速度の記録や007にも出たクルマだが、個人的には池沢さとしのマンガ「サーキットの狼」主人公風吹裕矢の敵役隼人ピーターソンのクルマで、イメージが悪い。007で使われたクルマは、現実に存在しないカブリオレだし。

トヨタ2000GTやKPGCのスカイラインGT-Rに大枚はたくくらいなら、S30Zの432Rを選ぶ。

R32GT-R、個人的には好きではない。グループAに勝つためとはいえ、負けるハズのない材料を詰め込み過ぎ、結局、グループAをシラケさせ終わらせてしまったようなモノだ。せめて、第1弾はFRにして置いて後でアテーサE-TSを投入するとか、最初はアテーサE-TS+RB20DETT出して様子を見るとか、すれば良かった。R31GTS-Rの方が緊張感あった。

 

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トヨタ2000GT」が1億円! 輝きを増す日本の名車たち
4/16(金) 12:11 Yahoo!ニュース
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価格が高騰中? トヨタ2000GT」などの国産ヘリテージカーを見てきた
このところ中古車の価格が上昇中だと聞くが、国産ヘリテージカーの価値も相変わらず高いようだ。名車の祭典「AUTOMOBILE COUNCIL 2021」(オートモビル カウンシル)でトヨタ自動車2000GT」など輝くばかりの名車を目の当たりにし、その衰えない魅力を実感した。

【写真】1970年製造の最終型「2000GT」。トヨタの頭文字「T」をあしらったフロントグリルが美しい

最良の「2000GT」は1億円也

国産ヘリテージカーの中で最も人気の高いクルマは、トヨタヤマハの共同開発によって生まれた日本初の本格スポーツカー「トヨタ2000GT」なのではないだろうか。デビューしたのは1967年で、2年後には内外装をマイナーチェンジした後期型が登場。生産は1970年まで行われ、337台が販売された。

野崎喩氏による流麗な2ドアクーペボディは、全長4,175mm、全幅1,600mm、全高1,160mmととてもコンパクト。その半分近くを占める長いフロントフードの中には、トヨタ「クラウン」のM型エンジンにヤマハ発動機が開発したDOHCヘッドを取り付けた2.0リッター直列6気筒の「3M」型を搭載している。キャブレターは三国工業製の3連ソレックスツインで、最高出力は150PS。5速MTにより0-400m加速15.9秒、最高速度220km/hというクラス最強のパフォーマンスを発揮した。

エクステリアでは、後期型の特徴である小型化されたフォグランプを装着したフロント部が特徴的。純正のボディカラーであるソーラーレッドが珍しい。純正マグネシウム製ホイールや逆三角形の七宝焼エンブレムなど、どこを見ても状態がよさそうだ。

インテリアについても、ヤマハ製の細いウッドステアリング、ずらりと並ぶ7連メーターがカッコいいインストルメントパネル、5MTのシフトノブ、引き出し式のハンドブレーキレバー、ブラックのレザーシートなどがとても良好な状態を保っている。取り付けられたままのカーナビやETC車載器は、この個体が現役車両としてきちんと走ることを証明しているようでもある。

2000GTの新車販売価格は238万円。当時のサラリーマンの初任給が2.6万円だったというから、現代に換算すると2,000万円級のスーパーカーである。誕生から50年の時を経て、最良の状態で販売されているこの個体の価格はジャスト1億円! 1台いかがでしょうか。

スバル360」の“デメキン”は550万円也

お次のクルマは、日本で“モータリゼーション”や“マイカー”という言葉が生まれるきっかけを作ったともいえる名車「スバル360」だ。全長2,995mm、全幅1,295mm、全高1,335mmのコンパクトなボディに大人4名の乗車が可能で、開発の模範とされたフォルクスワーゲン「ビートル」(カブトムシ)に対して、スバル360には「てんとう虫」のニックネームが付けられた。展示販売されていた1962年製の初期型モデルは、丸いヘッドライトがフェンダーから飛び出ていることから「デメキン」の愛称で呼ばれた希少種である。

佐々木達三氏のデザインによるエクステリアは1本ワイパーや前開きの2ドア、スライド式ドアガラス、10インチの細いタイヤが特徴で、日本初のフルモノコックボディを採用している。展示車のインテリアはレッドに張り替えた4座のシートと細い2本スポークのステアリング、100km/hまで表示する小さな丸型メーターがあるだけで、とてもシンプルだ。

リアに搭載する356ccの強制空冷2ストローク2気筒エンジンは後輪を駆動し、400キロを切る軽量ボディを無理なく加速させることが可能。マツダ「キャロル」や三菱自動車「ミニカ」が相次いで登場したこともあり、スバル360も後期型ではヘッドライト形状などを変更してモダンなスタイルにマイナーチェンジした。今でも街中で見かけることがあるスバル360は、ほとんどがこの後期型だ。そのため、数が少なく程度のいい初期モデルのデメキンは、新車販売価格38.8万円の14倍以上という550万円のプライスタグをつけることになったのだろう。

マツダらしさあふれる「R360クーペ」


前出のスバル360に少し遅れた1960年に、マツダ(当時は東洋工業)からデビューした2+2の軽クーペが「R360クーペ」だ。ボディサイズは全長2,980mm、全幅1,290mm、全高1,290mmでスバル360より少しだけ小さい。ボディには徹底した軽量化を施し、アルミやマグネシウム、プラスチックなどを優先して使用している。

グラスエリアの広いキャビンは航空機のそれのような形状で、ガラスの代わりにアクリルを採用することでこちらも軽量に作られている。室内自体はクーペの名の通り狭く、後席は子供サイズだ。

リアに搭載する356ccの強制空冷V型2気筒4ストロークエンジンで、スバルより5キロ軽い380キロのボディを加速させる。当時からマツダはエンジンへのこだわりが強かったようで、ブロックを軽量なアルミ製としたほか、オイルの潤滑方法もスポーツカーなどが用いるドライサンプ方式を採用している。

これほど凝った作りにもかかわらず、スバル360よりはるかに安い33万円で販売したことで、最初は好調な売れ行きを示したというR360クーペだが、大人4人がフル乗車できるライバルに次第に差をつけられ、ジリ貧となってしまったのは残念なところだ。マツダではこれに対抗するため、4ドア4座の「キャロル」をすぐに開発している。

展示車の1963年式R360クーペは純正の淡い水色のボディだが、ルーフだけ当時の2トーンカラーとして設定があった茶色に塗り替えてある。シートも当時のモケットから、水色と白の2トーン合皮に張り替えられている。搭載するトランスミッションはスタンダードな4速MTではなく、「H」(ハイ)、「L」(ロー)、「R」(後進)のプッシュボタン式レバーを備えた前進2速の豪華版トルコンAT仕様なので、愛らしいスタイルに惚れ込んだAT限定免許保持者でも運転しやすいはず。

給油方法は、フロントのボンネット内にある18Lタンクのキャップを開けて行うというもの。そのキャップにはガソリンの残量をみるための「16」と「8」の数字が刻まれた紙製のメモリが取り付けられている。万一ガス欠になったらリザーブタンクに切り替えて、ガソリンスタンドにたどり着けばいいというオートバイのようなシステムが面白い。価格は320万円也だ。

ダットサン・フェアレディ」とピカピカの「GT-R

日産自動車からは2台だ。最初に紹介するのは、ボンネットの「DATSUN」エンブレムも勇ましい1968年製のSR311型「フェアレディ2000」である。

搭載するのは最高出力145PSの2.0リッター直4OHCエンジン。フルシンクロの5速トランスミッションを組み合わせ、国産初の最高速度200km/hオーバーカー(205km/hを公称)となったのはご存知の通りだ。高性能の証として、富士スピードウェイ船橋サーキットで開催された当時のレース映像に、このタイプのフェアレディが頻繁に登場している。クリーム色のボディにブラックのソフトトップ、同じくブラックのワタナベホイールを装着したレストア・OH済みの展示車は、715万円のプライスタグをつけていた。

最後に登場するのは、今や超人気となったR-32型「スカイラインGT-R」の“奇跡の1台”。なぜ奇跡かというと、走行距離わずか1,800kmという最終1995年登録のデッドストックものだからだ。

キズやくすみのないピカピカのガンメタのボディをはじめ、280PSを発生するRB26DETT型2.6リッター直6ツインターボエンジン、新車当時のPOTENZA RE71を装着した純正ホイール、ステアリングなど全てがフルオリジナルの状態で、スペアキー、取説、保証書までそろっているという。確かに、これは奇跡だ。新車価格は当時500万円前後だったが、ほぼ“新車”といえる今回のGT-Rは2,200万円(!)まで急騰。いかがでしょうか。


原アキラ

はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。
原アキラ

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