奈良の朝廷、堺の古墳、大阪には・・・

奈良に大和朝廷があったと言われる。また、堺には仁徳天皇陵他、古墳がいっぱい、世界遺産にもなっている。

大阪市にも、前方後円墳はあった。しかし、生野区勝山の前方後円墳を、勝山通りで真っ二つにしてしまった。まあ、堺のモノと比べたら、規模や周囲のデキも違うというか、ショボかった。アソコに道が通るか、迂回させられるかでも日本第3位の都会の交通は全く変わる。

歴史や史跡は奈良や堺に任せて、大阪は徹底的に今を栄える方向に注力すれば良くない?

でも、ソレは決して、大阪都構想やカジノの先にはないと思う。

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卑弥呼仁徳天皇陵飛鳥美人…古墳からたどる日本国家の源流
5/2(月) 8:30 Yahoo!ニュース
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国内最大の仁徳天皇陵古墳(手前)。左は国内3番目の履中天皇陵古墳(365メートル)。大阪湾(奥)を望むように築かれた=堺市(本社ヘリから)
日本の国はいつ誕生したのか。古代史最大の謎は「七五三論争」といわれ、研究者の間で議論が分かれる。邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)が登場した「3世紀」、仁徳天皇陵古墳(墳丘長486メートル、堺市)など巨大前方後円墳が築かれた「5世紀」、法治国家ができた「7世紀」-。この謎を解く鍵が、奈良や大阪に集中する天皇陵クラスの古墳。大きさや形の変遷から、国の姿が浮かび上がる。古墳の新緑もみずみずしい季節。鳥居の設けられた天皇陵を仰ぎ見ると、厳粛な気持ちにさせられる。

【写真でみる】「卑弥呼の宮殿か」と話題を集めた箸墓古墳

■「3世紀」 箸墓古墳

邪馬台国の有力地、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)にあり、卑弥呼の墓ともいわれるのが箸墓古墳(同約280メートル)。3世紀中頃~後半の築造で、卑弥呼が死んだとされる248年とも矛盾しない。同遺跡で発掘された大型建物跡は「卑弥呼の宮殿か」と話題を集め、邪馬台国ロマンが広がった。

■「5世紀」 仁徳天皇陵古墳

令和元年に世界文化遺産に登録されたのが仁徳天皇陵古墳。地上からでは前方後円の形が全く分からないほど巨大で、箸墓古墳との差は歴然。約200年の間に国家権力が強大化したことが実感できる。

■「7世紀」 高松塚古墳、天武・持統天皇

飛鳥時代の宮殿跡や天皇陵が集中する奈良県明日香村。飛鳥美人壁画で知られる高松塚古墳(直径23メートル)は昭和47年3月に発見され、今年はちょうど50年。空前の古代史ブームを懐かしむ歴史ファンは多い。

同古墳の北にある天武・持統天皇陵(八角形、対辺長37メートル)など飛鳥時代の古墳は急に規模が小さくなる。646年に薄葬(はくそう)令が出され、巨大古墳の築造が禁じられた。政治体制が安定し、古墳の大きさで権力を誇示する必要がなくなったためだ。天皇を頂点とする中央集権国家が確立されたという。(小畑三秋)

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