野手で"1人で日本一"はあり得ない!

モノの言い方、というか、記事見出しの問題か?そんなヒーローとして、1、稲尾和久 2、王貞治 3、イチロー 4、マー君 5、大谷翔平と、5人挙げている。

しかし、ホントか?

確かに、稲尾は7試合全部投げたんじゃなかった?(相手の藤田元司も6試合投げたハズ。)試合の6・7割を占めると言われる投手なら・・・特に、稲尾は神がかっていた。

王やイチローや打者大谷、そんなに打ったか?王は三冠王獲ったし、イチロー首位打者獲ったが、打者大谷はソコまで打ってない。プレーボールホームランなど、目立つトコで打ったが。元々、打者は勝敗をそんなに握っていない。

マー君の24勝0敗は驚異だが、その年に開幕他を務め14勝上げた則本の方が効いたし、日本シリーズは貴重な1敗を寺内に食った。美馬と則本が効いていた。

投手大谷は、このシーズンはソコまで効いていなかった。

神様仏様稲尾様に、他の4人が近いとは思わない。

 

 

 

 

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ゲームバランス崩壊…“一人で”日本一に導いた伝説の5人(1)日本S「0勝3敗」から4連続勝利投手に
4/17(日) 7:50 Yahoo!ニュース
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“一人で”日本一に導いた伝説の5人を振り返る。【産経新聞社提供】
一人でチームを優勝させられる選手がいる。無論、野球はチームスポーツであり、一人で試合に勝利することはできない。ましてや日本一ともなればなおさらである。それでも一人の選手の存在がチームの士気を高め、チームに日本一をもたらした例はいくつもある。今回はそんな伝説の5人を紹介する。

【表】パ・リーグ最強打者ランキングトップ10の移り変わり

日本S「0勝3敗」から4連続勝利投手に
 
西鉄稲尾和久。【産経新聞社提供】
稲尾和久(1958年の西鉄ライオンズ

 一人でチームを日本一へ導いたといえば、西鉄ライオンズの剛腕・稲尾和久による1958年の活躍が印象的だ。シーズン成績だけでいえば、78試合(404回)を投げて、プロ野球タイ記録の42勝を挙げた61年がキャリアハイと言えるだろう。だが、一人で日本一へ導いたとなれば58年になる。

 稲尾は、ルーキーイヤーに262回1/3を投げて、21勝6敗、防御率1.06と圧巻の成績で新人王を獲得。2年目の57年はその数字をさらに伸ばし、68試合(373回2/3)の登板で、35勝6敗、防御率1.37を記録。2年連続日本一を経験した。

 そして58年、33勝10敗でリーグ優勝に貢献。一人で稼いだ貯金は23を数えた。2位・南海ホークスとのゲーム差は1.0、3位・阪急ブレーブスとも4.5と詰まっており、稲尾の活躍無くして優勝はなかった。

 さらに稲尾を伝説にしたのが、宿敵・読売ジャイアンツとの日本シリーズだ。稲尾は第1戦に敗戦投手になると、第3戦では9回1失点で完投するもここでも黒星。3試合中2試合に先発したものの「0勝3敗」と絶体絶命の状況に追い込まれる。

 しかしここから、稲尾は奇跡を起こす。第4戦で9回4失点の完投勝利を果たすと、翌日の第5戦では4回からロングリリーフで7イニングを投げ無失点。延長10回にサヨナラ本塁打を放ち、自らのバットで勝利を手繰り寄せた。第6戦は9回完封、第7戦も9回1失点完投。崖っぷちから4試合連続の勝利投手となり、大逆転の日本一を掴み取った。

 稲尾は日本シリーズ7試合中6試合に登板し(うち4試合完投)、西鉄の4勝すべてを挙げた。この活躍で「神様、仏様、稲尾様」は流行語となり、今なお語り継がれる伝説となっている。
ベースボールチャンネル編集部

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