フェラーリディノとは、単に引っ張り出されただけ!

296で、スタイリングやスペックにガッカリ感が出たから、ムリヤリにディノ以来のV6とコジ付けている。あの当時のフェラーリV6、息子アルフレッドが横置ミドシップを父親エンツオに主張したと言う。実際、当時のF2でV6横置を走らせた。そんな時期に、若くしてアルフレッドは亡くなった。

そして、市販でもディノ206GTを出し、より量産性を改善したディノ246GTを追加した。ピニンファリーナのフィオラバンテの素晴らしい仕事だ。

296?V6?レース?ディノ?全く関係ない。今のランボルギーニがシアン皮替をカウンタック命名し、商売にしているのと同じだ。フェラーリが安直に昔の名前を使わないだけだ。

エンツオ死後のフェラーリを、昔のフェラーリと同列に論じるコト自体がナンセンスだ。

カネもらって、祭り上げ記事を書くにも浅薄さが出る。

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フェラーリを名乗らない伝説のフェラーリ! 最初はエンジンの名称だった「ディーノ」とは
7/22(金) 17:30 Yahoo!ニュース
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モータースポーツ直系エンジンを搭載するコンパクトスポーツカー
 
ディーノ206GTは、フェラーリのラインアップでは少し特殊なV型6気筒エンジンを搭載するモデルだ。それ故に非常にコンパクトなクルマに仕上がっている。
 フェラーリのラインアップに、新たにV型6気筒ターボエンジンに、ハイブリッドシステムを組み合わせた296GTB/GTSが誕生したことで、再びその存在がクローズアップされているのが、1960年代終盤に誕生したディーノ206GTと、その後継車である246GT/GTSの各モデルだ。

【画像】ディーノ206SPのフロントスタイリング!

 リヤフェンダーやそこに設けられるエアインテークからは、往年の250LMの姿さえ彷彿させる296シリーズのスタイルはやはり美しく、仮にフェラーリがここでディーノのブランドを復活させたとしても、それに異論を唱えるカスタマーは少なかったに違いない。

 そもそもフェラーリの歴史をさかのぼれば、のちに「ディーノ」とネーミングされるV型6気筒エンジンの開発は、じつに1956年にまで時間を巻き戻すことができる。翌1957年、世界選手権の懸るF2のレギュレーションが1.5リッター規定となったことを機に、新たなパワーユニットの開発が必要とされたのである。

 設計部門を率いたのはビットリオ・ヤーノ。生前エンツォ・フェラーリが残した言葉によれば、そのためにV型6気筒エンジンの採用を提案したのは、息子であるアルフレ・ディーノ・フェラーリであるというが、それはあくまでも初期のコンセプトに関してのことであろう。実際に彼が開発の現場に携わった事実はなく、また若くしてこの世を去ってしまったのだから。だが、ディーノの名はV型6気筒エンジンの名として、それからも長く親しまれていくのである。

 1957年に誕生した156F2に始まる、ディーノV6ユニットは、ここから急速に進化していく。まず、1957年中には早くも排気量を2リッター、そして2.4リッターへと拡大。1958年にはバンク角を65度から60度に変更し、ここからも排気量を設定した派生型のエンジンが登場する。そして、この65度V型6気筒エンジンは、F1が120度V型6気筒とされるなかで、ディーノ106P/206Pに始まるスポーツカーレースへと新たな用途を見出すこととなり、206SP、206Sへと進化を続けた。

 スポーツカーレースでの活躍を見て、新しいロードカーへの興味を抱いたのはピニンファリーナだった。1965年のパリサロンで、彼らは206Sのシャシーに流麗な3シーターセンターハンドルの365SPスペチアーレを出品し、ロードカーのミッドシップ化を提案。エンンツォ・フェラーリは、すでにフィアットとの間で、ディーノV型6気筒エンジンをロード用に改良したモデルの委託生産計画に合意しており、その結果、フィアット・ディーノ・クーペと同スパイダーが誕生していた。

 ならば同様にディーノV6を用いたよりコンパクトなフェラーリを生産してもよいのではないかというのが、ピニンファリーナの考えであり、またそれを具現化したのが、1966年のトリノショーに出品されたディーノ・ベルリネッタ・コンペティツィオーネGTであり、ピニンファリーナに入社して間もないレオナルド・フィオラバンティを中心とするチームによって製作された3作目のプロトタイプ、ディーノGTだったのだ。ここに至ってようやくフェラーリは、ディーノの生産化を1968年に開始することを宣言する。

現代に続く世にも美しきスモールフェラーリの始祖
 
246GTは206GTの後継モデルとして登場したスモールフェラーリだ。同車の生産が終わってからはV6のフェラーリというのがしばらくラインアップしてなかったが、最近登場した296GTB/GTSがV6エンジンを搭載したことにより、V6のフェラーリが復活した。
 もっとも初期型のディーノGT、すなわちディーノ206GTは、1967年のトリノショーで発表された。

 それまでのプロトタイプと大きく異なっていたのは、そのパワートレインのレイアウトで、エンジンは縦置きから横置きに搭載方向が変更され、2リッターの排気量から公称値で185馬力の最高出力を発揮した。ホイールベースが2880mmと、より高い回頭性を実現する数値にまで短縮することができたのも、このV6エンジンを始めとするパワートレイン配置の恩恵だ。

 ボディにアルミニウムを用い、900kgと軽量な206GTは、しかしながらその生産工程にコストがかかりすぎる等々の問題から、2年間に生産された台数はわずかに152台とされている。

 この206GTの後継車として1969年のジュネーブショーで発表されたのが、246GTだ。シャシーは新型となり、ホイールベースも60mmが延長されている。

 それはおもにキャビンの居住性向上のために使用されているといった印象だ。アウターパネルの素材も、より効率的に大量生産が可能なスチール製に変わった。公称値ではアルミ製の206GTに対して180kgの増加という結果になっている。

 搭載されるV6エンジンのブロックもアルミニウムから鋳鉄となり、それによって排気量を2.4リッターへとさらに拡大することが可能になった。最高出力は195馬力、最高速は235km/hと発表されたが、実際にはこの数字にかなり近い領域にまで加速が可能だったという。

 ディーノ246GTには、生産時期によって3タイプの仕様がある。1969年から1970年まで生産されたティーポL、1971年のみ生産されたティーポM、そして1971年から生産が終了する1974年まで作られたティーポEの3タイプがそれだ。ちなみにアメリカ市場を中心に人気のタルガトップを持つオープン仕様の246GTSは、基本的にはティーポEがベースとなる。

 246GT/GTSの生産が1974年に中止されて以降、長年フェラーリのラインアップに復活を遂げることはなかったV6モデル。だがようやく、ディーノの名は与えられなかったものの、新たに296GTB/GTSとして、今度は120度のバンク角を設定したV型6気筒ターボにハイブリッドシステムを組み合わせた、最新世代のV6モデルが現代に復活することになった。

 その圧倒的なパフォーマンスと美しさに裏づけされた人気は、フェラーリの予想したとおり上々の様子だ。
山崎元

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