エース、バカな日本プロ野球マスコミが濫用する言葉だ!

本来、各チームに於いて、エースという言葉は積み上げた実績から自然と呼称されるモノである。

実際、セ・リーグV9川上巨人のエースは、背番号18堀内だけだ。特に阪神江夏との投げ合いは、3連戦初戦だけでなく、2戦目や3戦目の勝負処中継や抑えでも投げ合った。中日星野や大洋平松や広島外木場や国鉄⇒ヤクルト松岡らは、同様に登板していた。パ・リーグでも、阪急山田や近鉄鈴木や日ハム高橋直西鉄⇒太平洋東尾やロッテ村田や南海山内など、もちろん各チーム中継や抑えいても、肝心な場面を抑えに行く起用では、"真のエース"が登板した。

80年代以降、巨人藤田監督や中日近藤貞雄監督や権藤サンや稲尾サンが監督やコーチを引き受けた球団、投手陣立て直しと併せて、中継や抑えの分業専業や先発の登板間隔を週イチ化した。ソコから、先発候補は4人プラスお試し2人という球団がフツ~になった。

この記事書いたヒト、ちゃんと広島を見て来たヒト?長谷川の次は外木場じゃない?それから、北別府や山根(短かったけど)や大野はどのポジションでも投げていた。佐々岡は、山本監督時代はフル回転したが。黒田や前田は頑張っても勝てないチームの中、自分の責任範囲だけ頑張るスタイルだった。今で言う、オリックスの山本由に近い。

大瀬良、適性的に中継や抑え向いてないのに、CSで抑えやらされ負けたりした。基本は、九里や床田や森下ら同様、先発の柱の1人と言うだけだ。

エースって何なのさ?ソレは、ちょっと勝つとエースの称号を与える、バカな日本プロ野球マスコミに向けるべき言葉だ。巨人の戸郷やヤクルト原や高橋らは、まだ積み上げ段階だろうし。

 

 

 

 

 

************************************

広島・大瀬良大地の一軍復帰で考える“結局エースってなんなのさ”問題
9/6(火) 11:12 Yahoo!ニュース
  78 
大瀬良大地
 久々に「イーッ」の顔を見たような気がする。

 9月2日の対DeNA戦、3週間ぶりに一軍復帰登板した大瀬良大地のことである。大瀬良はこの日、たびたびランナーを出してピンチを背負うものの、要所を締めて7回を無失点に抑えた。ピンチを凌いでベンチに戻る際、大瀬良は口を横に広げて「イーッ」という表情をする。この試合で大瀬良は「イーッ」を連発していた。

【写真】この記事の写真を見る(3枚)

 ちなみに大瀬良がよく見せる表情には、ほっぺたを膨らませる「プクー」というのもあり、これは思うような投球ができなかった時などによく見られる(最も印象に残るのはカープがCS進出を逃した2015年の最終試合、打たれて交代を告げられた大瀬良はプクーであった)。「プクー」はわかりやすいが、ピンチを凌いだならば笑顔の一つも見せてもいいはずなのに、なぜ大瀬良はそこで「イーッ」とするのだろう。そこには「エースとしての重圧」が関わっているように思う。

エースとはそんなに絶対的な存在なのだろうか
 エースとは、その球団で最高の先発投手と考えられている。現在「カープのエースは誰か」と聞かれれば、多くの人は迷わず大瀬良の名を挙げるだろう。大瀬良の投げる試合は勝って当たり前、とファンは思ってしまう。だから裏切られた場合の失望も大きくなる。

 今シーズン、二軍降格前の大瀬良は6戦連続で勝ち星がなく、特に降格直前の8月12日対巨人戦では3回5失点と打ち込まれた。この状態に辛辣だったのが地元メディアで、中国新聞のコラム「球炎」には「今の広島に、もはやエースはいなくなった」と書かれ(※注1)、RCC中国放送では横山雄二アナが「大瀬良はエースなんですかね?」(※注2)と疑問を呈した。大瀬良自身も冒頭の試合後に「さんざん迷惑をかけた」と繰り返し語っていたように、「エースとしての期待」に応えられないというもどかしさがあったに違いない。その気持ちが「イーッ」に表れていたのではないだろうか。

 しかし、エースとはそんなに絶対的な存在なのだろうか。どんなにすごい投手であっても、シーズンを通して無敗ということはまずあり得ない。更に、必ずしも「最も良い成績の投手=エース」という訳でもない。現に昨シーズンのカープの投手成績を見てみれば、勝利数では九里亜蓮が13勝で大瀬良の10勝を上回り、防御率では森下暢仁が2.98で大瀬良の3.07を上回っている。それでも九里や森下をエースと呼ばず、大瀬良をエースと呼ぶのには、成績以外の何かが影響していると考えざるを得ない。

 過去にカープで「エース」と呼ばれた投手を思い出してみれば、北別府学大野豊川口和久佐々岡真司黒田博樹前田健太……といった名前が挙がる。「この投手の名前が入っていないじゃないか」と思われる人もいるかも知れない。また、先日読んだ本(※注3)には「初代エース長谷川良平」「カープが誇る4代目エース佐々岡真司」と書かれており、「では2代目、3代目は誰なんだろう……」としばし頭を悩ませたものである。つまり、「誰をもってエースと呼ぶか」という基準は、結構主観的で曖昧なものであることがわかる。

エースの称号は却って害になりかねない
 そうは言っても、ある投手を「エース」と呼ぶ場合、そう呼びたくなる何かを備えているはずだ。「エース」と呼ばれた当の本人は、その要素をどう自覚しているのか。たとえば黒田博樹はその要素を「安心感と信頼感」とし、「今日の試合、こいつが投げるっていう時に、チームやファンが安心感を持てる。それが信頼感になると思うし、そういうのを与えられるピッチャーこそがエースだと思う」(※注4)と語っている。大野豊はエースの条件を「1.最低でも15勝を挙げていること 2.勝負をあきらめず、投球で士気を挙げられること 3.継続的に結果を残していること」(※注5)としている。もちろん成績も重要だろうが、共通するのは「チームを勝たせようとする精神」が感じられることではないだろうか。

 前田健太というエースが抜けた2016年以降、大瀬良は次世代のエースと評されるようになった。しかし2015年シーズンの大半は大瀬良は中継ぎとして登板していたわけで、なぜ「エースの引継ぎ」がスムーズに行われたのか。それは前述の2015年の最終試合、ベンチで号泣する大瀬良を前田が慰める姿が、多くの人の心に強烈な印象を残したからではなかっただろうか。「マエケンの精神の後継者は大瀬良」と、あの時誰もが思ったはずだ。

 大瀬良は、そうした「エースの自覚」を常に抱きながら振舞ってきたように思う。それが良いパフォーマンスに繋がるのであれば理想的だが、その重圧がプレッシャーになったり本人を苦しめたりするのであれば、エースの称号は却って害になりかねない。

 こうなったら、その「エース」の重圧を分散させてはどうだろうか。思えば私がカープファンになった1990年も、チームには北別府、大野、川口、佐々岡の他にも長冨浩志金石昭人など、「エースが複数いる状態」であった。「かわいいエース・森下」「左腕エース・床田」、「頑丈エース・九里」といったように、いろんなエースがいることで、大瀬良の負担が軽減されるのではないか。投手王国にはエースが何人いてもいいと思うのだ。

※注1:中国新聞(2022年8月13日)
※注2:「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」(2022年9月2日放送)
※注3:『広島東洋カープ カープ投手王国の系譜』(B.B.MOOK 1034・ベースボール・マガジン社・2014)
※注4:『Number』659号(2006年)
※注5:『広島アスリートマガジン』(2020年6月号)

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2022」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/56973 でHITボタンを押してください。
オギリマ サホ

************************************