山本昌、ミウラからディノに買い替えてた!

元中日山本昌、以前おぎやはぎの「愛車遍歴」に、山崎武と相次いで出演した。山崎武の時は確か、ランボルギーニアヴェンタドールなどが出たが、山本昌の時はランボルギーニミウラが出て来て、驚いた。

しかし、山本昌ランボルギーニミウラをフェラーリディノに買い替えたのネ。確か、黄色のミウラだったと思う。ランボルギーニとしては、というかイタリア車の準イメージカラーたる黄色のミウラを、青のディノ?赤ならわかるけど。エンジンはV12⇒V6、同じウェーバーキャブレター、ミウラの方が倍着いてるだけ、同じ2座ミドシップだ。

何で、買い替えたのだろう?ワタシは、ショップからV12エンジン他の修理部品がないと言われ、アルピナB12-5.0BMWBMW Z3に買い替えたが、そういう理由?

山本昌なら、おカネも出せるから、両方持てるだろうに。

最近、おぎやはぎ「愛車遍歴」、ロクなゲストもクルマも出て来ない。こういうヒトを出して欲しいのに。

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野球解説者の山本昌さんの愛車は「ディーノ246GT」 初めて買ったフェラーリテスタロッサランボルギーニミウラも所有した愛車遍歴とは?
8/26(土) 6:10 Yahoo!ニュース
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サーキットの狼』世代ですからね、あのとき一番好きだったミウラを買いました!
 
山本昌さんと愛車のフェラーリ・ディーノ246GT
クルマ好きのゲストを迎え、「これまでに出会ったクルマの中で、人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台」を聞くシリーズ。今回は、中日ドラゴンズの左腕投手として輝かしい記録を打ち立てた山本 昌さん。1993年に初めて買ったフェラーリテスタロッサから、3年前に手に入れたディーノ246GTまで、愛車遍歴も眩いばかりです。

【写真6枚】まるで新車! 野球解説者の山本昌さんの愛車のフェラーリ・ディーノ246GTがすごい!

スーパーカー世代ど真ん中

ブルーのディーノがクォーン! という快音を響かせながら待ち合わせの駐車場に入ってきた。降り立ったのは元・中日ドラゴンズのピッチャー、山本 昌さんだ。50代でマウンドに立ち、「中年の星」と呼ばれた山本さん。引退してからもう8年になるけれど、ガッチリとした体躯は衰えていない。小振りのディーノがさらに小さく見える。

それにしても、なんて美しいディーノなんだろう! 綺麗ですね、というレベルではなく、まるで新車だ。

「3年前に購入した246GTのティーポLです。フルレストアした個体になります。エンジンはバラして組み直し、シャシーはサビ止めを塗り直し、足回りも新しくしました。インテリアは使えるものは使っていますが、ダッシュボードは新品を貼ってます。ボディは黄色から水色に全塗装しました」

センターロックのホイールはインチアップしたレプリカだという。

「純正はマグネシウムなので腐るといけないから保管してあります。それと、このほうがタイヤの選択肢が広くなるんです」

ディーノの社外品パーツは意外とあるそうだ。

「これはLなんですけど、ほかにティーポMとティーポEがあって、Eは台数が結構あるんです。アメリカでは特にGTSに人気があったので、パーツはあるみたいです」

目を細めて愛車の説明をする山本さんは本当に嬉しそうだ。身体を張って勝負の世界で生きてきたとは思えないほど、穏やかな人である。

「いやあ、本当にカッコイイなあ」

愛車を見ながら何度も呟く山本さんは、自らを“スーパーカー世代ど真ん中”と言う。

「小学校4年生ぐらいのときにブームが始まって、6年生ぐらいがマックスだったかなあ。当時は横浜に住んでいたので、カメラを持って“シーサイド・モーターズ”にスーパーカーの写真を撮りに行きました。スーパーカー消しゴムをボクシー・ボールペンではじくレースを考えたのは、その小学校では僕でした(笑)」

◆日産シルビア

小学校3年生で始めた野球も頭角を現し、日大藤沢高校3年生のときに中日ドラゴンズに投手としてドラフト指名された。

「免許を取ったのは23歳のときです。最初に買ったのは淡いグリーンの日産シルビア(S13)です。オートマでしたけど、運転が面白くて“クルマっていいなあ”と心底思いました。あのクルマ欲しくていま探しているんですけど、あのグリーンの個体がなかなかなくて」

日産シルビアで運転の喜びを知った山本さん、子供の頃の思いに火がついたのだろうか、“1億円プレイヤーになったらフェラーリを買おう!”と決心する。

「念願叶って1993年27歳のとき、コーンズに行きました。当時は512TRがフェラーリのフラッグシップ・モデル。512TRは大人気で何年もかかるけど、テスタロッサならキャンセルの新車があると。僕はテスタロッサの方が好きだったので、すごくラッキーでした」

初めての左ハンドルMT車ということもあって、事前にいろいろ勉強して納車日に臨んだという。

「暖気運転するとか、リバース・ギアに入れるときは完全停止するとか、そういうのを雑誌でいろいろ読んだんです。でも、そんなこと全部忘れるぐらいテスタロッサは凄かったですね。高速に入ったとき、やっぱりフェラーリは凄いと思いました」

テスタロッサが来ると山本さんは絶好調。1993年最優秀防御率最多勝、1994年最多勝、1997年最多奪三振最多勝投手に輝く。

テスタロッサに7年ほど乗った山本さんが次に手にしたのはF40だ。

「いまでも世界で一番カッコいいクルマだと思っています。でもあまりにも速くて。これ、死ぬなと思った(笑)。背中の方からタービンのシューンという音が聞こえてきた瞬間、とんでもないスピードになる。やっぱり身体が資本だから、これはちょっと危ないかも? と思いました」

ランボルギーニミウ

それでもF40には3年乗った。そして2002年、山本さんは1971年式のランボルギーニミウラP400SVを購入する。

「本当はフェラーリ288GTOを買うつもりでコレクターの元を訪ねたんです。そうしたら、ミウラがあった。エンジンかかるんですか? と聞いたら一発で始動。おお! 凄いなあと思っていたら、コレクターの方が“こっちでもいいよ”と。僕、『サーキットの狼』世代ですからね、あのとき一番好きだったミウラを買いました」

今日乗ってきたディーノはミウラからの乗り換えだ。山本さんはミウラに20年乗ってきた。その間、ミウラを持ちながらフェラーリ575Mマラネロ、F355、F512Mと乗り継いでいる。

どれかひとつ選ばなければならないとしたらどれですか? と聞いた。

「う~ん。どうですかね。本当に乗りやすかったのはF355ですね。ちょっとコンビニに行くときも気軽に乗れました。ディーノのようにエンジンをかけるときの儀式もないですしね」

それぞれのクルマとの思い出を頭に浮かべたのだろうか。続いて山本さんは言った。

「僕がすごく恵まれていると思うのは、いまのディーノを含めてそれらがまったく故障しなかったことです。ミウラなんて車検以外、タイヤ交換とオイル交換しかしていません。知り合いに腕のいいメカニックがいるので本当に助かっています。憧れのクルマが欲しいなら、まずいいショップを探すことではないでしょうか? そこでいろいろ相談することがクルマ探しのスタートだと思います。欲しいと思っているなら是非頑張って所有して欲しいです。こういうクルマがあるだけで気持ちが豊かになりますから」

フェラーリに一日の長

山本さんがスーパーカーに乗るのは、現役時代もいまも休日だ。

「1993年から今日まで30年間、ずっと左ハンドルのMT車が手元にあります。休日の朝にちょっとフラッと運転します。名古屋はちょっと走れば信号も交通量も少ない道がありますからね。昔、星野仙一監督に“あいつは球が遅いから速いクルマが好きなんだ”と言われたことがありましたけど、もうスピードはいいかなあ。シフトレバーをガチャガチャしながら走るだけで楽しいです」

そういえば目の前のディーノもミウラと同じ1971年型だ。両車の違いを聞いた。

「ディーノは初めて乗った1992年型のテスタロッサと同じ感覚です。トランスミッションもブレーキもテスタロッサと変わらない。フェラーリって1971年型でこれなんだと思いました。同い年のミウラと比べるとフェラーリに一日の長があると思いますね」

ポルシェにはいかないんですか?

「僕、911に乗ったことがないんですよ。普段使いのクルマがメルセデス・ベンツBMWだったので、遊びのクルマはやや危うい感じのクルマになっちゃうのかもしれません。ミウラもディーノも女性っぽい柔らかいボディ・ラインで、それが好きなんでしょうね。ディーノと同じエンジンのランチアストラトスも大好きです」

山本さんにとってクルマとはなんですか?

「現役時代は頑張るための要素でしたね。勝てばいいクルマに乗れるというのがすごくありました。いまは、手元にある喜びかなあ。ミウラもディーノも文化遺産を預かっている感じです。次の方に手渡せるように大事に乗っていきたいです」

219勝を誇る先発投手は、名車の中継ぎ役を担っているのかもしれない。

文=荒井寿彦(ENGINE編集部) 写真=筒井義昭

山本昌
1965年生まれ。「球界のレジェンド」の異名を持ち数々の大記録を達成してきた名投手で、現役32年を中日ドラゴンズ一筋で活躍してきたフランチャイズプレイヤー。1984年に日本大学藤沢高校からドラフト5位で入団。入団5年目のアメリカ留学を機に才能が開花。シーズン途中に帰国するとすぐさま1軍に定着し無傷の5連勝でリーグ優勝に貢献する。その後はチームのエースに成長。3度の最多勝に輝き、1994年には投手最高の栄誉である沢村賞を受賞。2006年には史上最年長41歳でのノーヒットノーランも達成し、以降も数々の歴代最年長記録を樹立してきた。2008年には通算200勝を歴代最年長の42歳で達成。2015年に史上初の50歳での登板を最後に惜しまれつつも現役を引退した。引退後は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、自らの経験を基に講演会の講師としても活躍中。また現役時代からの趣味であるラジコンや競馬、昆虫採集など様々な分野の特技と持ち前の明るいキャラクターを活かし活躍中。

(ENGINE2023年8月号)
ENGINE編集部
 
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