90年まで、ホンダ二輪最盛期!

90年までは、ホンダ二輪の最盛期だった!

NSR、CBR、VFRなど、SPレースやF3を意識してか、250ccと400ccは毎年フルチェンジしていた。そんな中、日本国内最高峰の耐久レース、鈴鹿8耐のF1規定に合わせた750ccにも、優れたベースマシンを必要とした。ヤマハFZRSP、スズキGSX-Rに対抗して、ホンダはRC30VFRを限定市販した。当時はクイックリリースもまだだったため、リヤスイングアームの片持ちの効果は絶大だった。また、チタニウムコンロッドも、市販オートバイとしては初投入だった。ココまでは、キャブレターを使用していた。

PGM-FIはスーパーバイク規定に合わせた、RC45まで待たなくてはならなかった。

 

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「公道を走れるレーサー」夢のようなモデルが次々と誕生したバブル期
4/30(火) 12:03 Yahoo!ニュース
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丸形2灯ヘッドライトは、当時数多くのモデルに採用されたデザイン。耐久レーサーを彷彿させるルックスに、多くのライダーがあこがれた
【ホンダ VFR750R & ホンダ NR】

自動車メーカーの資金が潤沢で、新型車の開発にいくらでもつぎ込むことができたバブル期。これはバイクメーカーも同じで、現在では考えられない、夢のようなモデルが続々と発売された。

【画像20枚】FRP製カウルやアルミ製燃料タンクを採用し、400㏄クラスと同等の乾燥重量180㎏を実現。トリコロールカラーもレーサー譲りだ

1987年にデビューしたVFR750Rは、型式名からRC30と呼ばれ、今でも伝説的に扱われる1台だ。このRC30をひと言で表すと、「公道を走れるレーサー」。そう、レーシングマシンに保安部品を付けた、コンペティションモデルなのだ。

見た目は、丸形2灯のライトや角形2灯のテールランプなど、耐久レーサーそのもの。しかもデザインだけでなく、カウル類は一般的なABS樹脂ではなく、より軽量なFRPを用い、さらに燃料タンクもアルミ製とするなど、軽量化にも力が入れられている。

初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部

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