M・ジョーダン、やはりラストダンス!

M・ジョーダンのシカゴ・ブルズで一番印象深いシーズンを挙げるなら、ワタシ的には、ラストダンスになった最終98シーズンだ!

毎年のように、J・クラウスGMとF・ジャクソンやS・ピッペンのイザコザ、D・ロッドマンのプロレス遊び、T・クーコッチはディフェンス練習してない、ジョーダンの周りは全然、連覇を続けるチームとは思えない、騒々しいモノだった。むしろ、J・ストックトンとK・マローンを中心に、どっしり構えて挑戦態勢を作っていたのはWESTのユタ・ジャズだった。ブルズがEASTなら、ファイナルにも出れたかどうか。

シーズン、ブルズメンバーがフルにベストコンディションで揃わなかった。挙げ句に、スパーズのT・ダンカンのシュートブロックを受け、右手薬指を脱臼、ダブルオーバータイムで勝ったが、以後シュートタッチに苦しんだ。

ポストシーズン、東カンファレンスの勝ち上がりも、薄氷だった。インディアナペイサーズに土俵際まで追い詰められたが、R・ミラーらを何とか抑え、最終戦を勝った。

リピート3ピートかかったファイナル、何とか3勝1敗まで漕ぎ着けたが、第5戦はジョーダンの出来が全然、クーコッチの3ポイントで食らい付いたが落とし、3勝2敗。

第6戦、ジョーダンはエアジョーダン13とは異なる配色のブルズカラーを履いて出た。たった1戦だけ履いた、エアジョーダン14のプロトだ。2年連続、第6戦で決める、ソレだけの意気込みで履いたモノとは思えなかった。

残り1分近く、ブルズのシュートが落ち、マローンがリバウンド奪取、ジャズの攻撃で終わる?ヤバい?と思ったら、マローンの後ろからジョーダンがボールを叩き、奪った。ジョーダンが左手ドリブルして左サイドへ、センターラインを跨いで右手にクロスオーバー。ディフェンスのケツを軽く押して向こうにやり、フリースローレーン側にドリブルしジャンプショットしてゴール!着地しても、右手をリリース状態で止めていた。

もう、残り数秒、ストックトンの3ポイントはハズれ、リピート3ピート達成された。

全ゆる悪条件を克服して達成した、最後のNBA制覇だった。

 

 

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ジョーダンが“史上最高の選手”となったのはいつ?優勝未経験も個人として栄華を極めた1987-88シーズンとアリナスは主張<DUNKSHOOT>
2/4(日) 6:00 Yahoo!ニュース
  
キャリア4年目のジョーダンは優勝にこそ届かずも、個人タイトルを総なめに。この点を考慮してアリナスはジョーダンが“史上最高の選手になったシーズン”として挙げた。(C)Getty Images
 シカゴ・ブルズで2度の3連覇を果たしたマイケル・ジョーダンは“バスケットボールの神様”の異名を取り、NBA史における「史上最高の選手(GOAT)」として推す声も強い。輝かしいキャリアは言うまでもないが、元NBA選手のギルバート・アリナスはジョーダンがキャリア4年目の1987-88シーズンには史上最高の選手になっていたと持論を述べている。

【動画】個人としてベスト?ジョーダンの1987-88シーズンハイライト

 1984年のドラフト全体3位指名でブルズ入りしたジョーダン。加入初年度からエースの座に就くと、瞬く間にスターダムをのし上がる。1986年4月にはプレーオフでラリー・バード擁するボストン・セルティックス相手に1試合63得点を記録。1986-87シーズンからは7年連続得点王、それもすべて平均30点以上を叩き出し、1991~93年にはスコッティ・ピッペンとの強力デュオで3連覇を成し遂げた。

 最初の現役引退を経て、1995年3月に電撃復帰。1996~98年にはピッペンデニス・ロッドマンとの三銃士で再び3連覇を達成し、ブルズの黄金期を支えた。その後、2001~03年には2度目の現役復帰を果たしたワシントン・ウィザーズで2年間プレーし、NBAでは通算1072試合に出場して歴代5位の通算3万2292得点をマークしている。

 ジョーダンを語る上では、6回出場したNBAファイナルで全勝(すべてタイトル獲得)したことが評価されるが、元NBA選手のアリナスはロサンゼルス・クリッパーズのポール・ジョージがホスト役を務めるポッドキャスト番組『Podcast P with Paul George』に出演した際、1987-88シーズンのプレーが史上最高の選手の座を確固たるものにしたと主張した。

「それまではジュリアス・アービングやジョージ・ガービンのような選手がいたが、ジョーダンがNBA入りして、ファンが目にしたのはまったく別次元のものだった。動きも、話し方も、ゲームへのアプローチも違った。驚異的で、俺たちが今まで見たなかでベストのものだった。視力検査みたいなものだ」

 ジョーダンはNBA4年目の1987-88シーズン、全82試合に出場して平均40.4分間コートに立ち、35.0点、5.5リバウンド、5.9アシスト、3.2スティール、1.6ブロック、フィールドゴール成功率53.5%をマーク。得点王、スティール王、シーズンMVP、最優秀守備選手賞、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームのほか、オールスターMVP、ダンクコンテスト2連覇達成を果たし、MVPと最優秀守備選手賞の同時受賞は史上初だった。

「1987-88シーズン、彼は(ジャンプマンの)ロゴを手にした。世間は彼が1988年に(ジャンプマンの)ロゴを手にしたことに気づいていない。みんなジョーダンのシグネチャーシューズを手に入れたと言っていた。誰も経験したことがない個人として最高の1年だと考えられている。あの時、彼は史上最高の選手になったんだ。

 当時、(優勝)リングは持っていない。リングは(引退した)今使えるものなんだ。まさに彼だけのやり方だった。スタッツを伴った1人での“プレーモード”にステータスで勝つのは難しい。レブロン(ジェームズ/現ロサンゼルス・レイカーズ)はリングを6個獲得できるかもしれないが(現在は4個)、世間はレブロンに同じ評価は与えない。系譜の継承者たちには、一番の称号は与えられない。基本的には誰もが(ジョーダンに次ぐ)2位を争っていることになる」

 アリナスの意見を受け、現役選手のジョージは「彼(ジョーダン)こそがGOATだ」と同調。また、「ジョーダンのファン」だと言うアリナスは、史上最多の優勝11回を誇るレジェンドのビル・ラッセルに関して、リスペクトしつつも「彼はハッスルプレーヤー。チームメイトたちは積極的にパスをしたわけではなく、基本的にはゴール下でリバウンドを取ってのもの。決してオフェンシブな選手じゃない。他の黒人選手で平均30得点以上あげた選手はいるが、彼はブロックやリバウンドで名を馳せた」と、史上最高の選手を巡る議論とはまた別の話だと説いていた。

構成●ダンクシュート編集部

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