大谷翔平グラブ、ホントにカレの発案か?

マトモに考えるアタマあるヒトなら、思うんじゃないの?この右利き用×2、左利き用×1のグラブ寄付が、ホントに大谷翔平の考えなのか?

野球は、守備用グラブとミット合わせて9人分が必要だし、捕手用のレガース&プロテクター、金属バットまではフツ~に必要なコトをわかっているだろう。なのに、たったグラブ3つというショボい寄付をすると思う?どう考えても、大谷翔平の名前を使った、単にそれらしい金額の寄付をすればいいと思ってるヤツの安直な考えなんじゃないの?

フツ~に、小中高大体育の授業で、野球でなくてもソフトボールはやってるんじゃない?小中高大体育って、最低限サッカーとバレーとバスケとソフトボール/野球と卓球とバドミントンやれる施設と道具を、備えていないといけないんじゃなかった?つまり、体育館か運動場を持ってないと、認可されないんじゃない?つまり、教師がソフトボール/野球やってないなら、違反ではないの?代わりに、ハンド(手打ち)ベースやってるかも知れないけど。

だから、元々ソフトボール/野球やってないというのはおかしいのだ。

このショボい内容の寄付問題とは別に、違う問題はある。

 

 

 

 

 

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寄付された「大谷グローブ」が「転売・死蔵」で大騒ぎになったワケ…「規格外の善意」を受け止められない小学校現場と「野球」の相性
3/2(土) 7:43 Yahoo!ニュース
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手紙が転売サイトに出品
 
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 不世出の二刀流メジャーリーガー、大谷翔平選手による全国の小学校へのグローブ寄贈発表から3ヵ月余りが過ぎた。昨年末あたりから、各地の教育委員会にグローブが到着した報道がされ始め、大分県別府市では、小学校に届ける前に市役所で展示したことで騒ぎになった。贈られたグローブ(以下「大谷グローブ」とする)に付属していたタグや同封の手紙が転売サイトに出品されるなどの行為も報じられている。

【写真】親たちを悩ませる「PTAガチャ」という大問題

 こうした混乱や騒動は、前代未聞の「規格外の善意」があまりにも眩しすぎて、一部の大人たちが足を踏み外してしまった結果といえるかもしれない。それほどまでに善意の受け止めというのは難しい。

 今回、大谷選手は、日本中の子どもたちに野球を普及させたいという真摯な思いから、関係企業などと相談の上で、私財を投じて全国津々浦々の小学校に3個ずつグローブを配布するという前代未聞の方法を決断したのだろう。プロジェクトを実施する側からすれば効率的かつ効果的な選択であり、実際、全国各地で大きな話題となり、野球の普及に向けたきっかけづくりのプロジェクトとしては大成功を収めたと言って間違いない。

 その一方で、この善意を受け止める立場にある、学校側の対応について批判する声が一部で起きている。

 たとえば、いざ学校に届いた大谷グローブが傷んだり紛失したりするのを学校関係者が恐れて、ほとんど使われずに死蔵されてしまう(在校生にちょっとだけ使わせた後は厳重に保管・展示するだけ)といった学校に、ネット上で異論が上がった。

 あるいは、紛失・盗難・転売防止のために大谷グローブにペンで校名を書き込んだ学校を批判するコメントがネットに投稿され、同調する声が集まっているというニュースもあった。

 今回の寄贈プロジェクトが、野球の普及という観点で「一過性の打ち上げ花火」で終わらないよう、大谷グローブを継続的に役立ててほしいと思っている人は多い。学校への批判は、そういった思いから発せられるのだろう。

 大谷グローブの活用方法を巡り、こうした混乱が起きるのは残念なことだが、小学校という教育現場の現状を考えれば、無理からぬことだと筆者は感じている。

野球と学校教育の「相性」
 
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 その一因として、野球というスポーツ競技と、小学校という場の相性が、必ずしも良いとはいえないことが挙げられる。

 誤解のないように念を押しておくが、今回の大谷選手の「規格外の善意」の示し方に問題があったわけではない。ただただ残念なことは、教育現場の構造的な問題により、学校側が、せっかくの善意を受け止めて、十分活かせる環境・状況になっていないこと、有り体にいえば、現在の小学校の「キャパオーバー」が原因だ。

 今回の寄贈では上で触れたようなさまざまな問題が報じられたが、事情を理解することなしに文句を言うのは筋違いで、学校側を不必要に追い込むだけである。本稿ではそんな不幸な誤解の解消を願って、野球と学校を巡る事情を考えてみたい。

 小学生といえば、日々の生活の中に野球が溶け込んでいる――それが「日本の原風景」だったと思いを馳せる世代の人にとって、小学校と野球の相性がよくないというのは信じられないかもしれないが、冷静に考えてみてほしい。

 そもそも小学校には、中学校とは異なり部活動としての軟式野球部もなければ、体育の授業でソフトボールを行うことすらあまりない。

 小学校の教育課程を規定する学習指導要領にも、ベースボール型ゲーム(またはボール運動)という項目が載ってはいるが、文部科学省が示している解説によると「攻守を規則的に交代し合い,ボール操作とボールを持たないときの動きによって一定の回数内で得点を競い合う」タイプのものをいうとされ、野球という競技そのものには言及していない。

 実際、この項目に対応して小学校で行われるのは、ボールを素手で捕球可能で、ボール以外の用具がほとんど要らないもの(足でボールを蹴るキックベースや、柔らかいゴムボールを使いラケット等で打つ野球に似たゲーム)が想定され、野球そのものではない。

教えられる人がいない
 
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 また、多くの小学校には、キャッチボール程度ならともかく、野球の試合はおろか守備練習(ノック)や打撃練習ができる施設が整っているとは限らない。また、小学校は、野球部がある中学校・高校と異なり、野球の実技を指導(紹介)できる教員がかなり少ないという現実もあるのだ。

 ゆえに通常、現代の小学生が野球に触れる場は、まず親子や友達同士のキャッチボールが入口となり、本格的に野球に取り組むとなれば、地元の硬式・軟式野球のチームに入って行うことになる。

 いずれにせよ、それらは基本的に学校外の活動である(野球チームの練習を学校の校庭で行っている場合も、あくまで場所借りであって、学校の活動ではない)。

 ところが、今回のプロジェクトはそうした現状を飛び越え、日本中のすべての小学校で、小学生たちにわずかでも野球に触れてもらい、興味を持たせるきっかけを作ろう(=野球に触れるハードルを極限まで下げよう)という壮大な試みだったのである。

 「規格外の善意」の眩しさの前で私たちは忘れがちだが、この件は通常なら学校現場では起こり得ないようなたいへん変則的な事案だったのだ。

 実際、通学先の小学校で大谷グローブに触れる機会を得た児童の反応は様々だ。帰宅後に、家族にその体験を話す程度で終わる子もいれば、この体験をきっかけに野球をやることに興味を持つ児童も当然出てくるはずである。

 そうした一部の児童に対し、周囲はどんな環境や機会を提供すればよいのだろうか。届いた大谷グローブを全校児童に一回ずつ触らせた後、厳重に保管するのではなく、ボロボロになるまでずっと児童に使わせてあげられないのかという一見もっともな意見は、野球に親しむ環境や機会の提供について、できる限り学校で面倒をみてほしいという考えに依拠している。

 しかし、学校の置かれた状況を鑑みると、それは現場に過大な期待と負担をかけることになる。

数と公平性の問題
 
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 せいぜいキャッチボールくらい、ではないのだ。平日の休み時間や放課後に、児童が大谷グローブを使って(正確には、大谷グローブでなくても)、校庭でキャッチボールをすることは、帰宅後に近所の空き地に集まった児童が行ったり、土日に小学校の校庭を借りて指導者の監督下で少年野球チームが行ったりするのとは違う。

 グローブの紛失・盗難、暴投による児童の怪我やガラスの破損事故をどのように防止するか、それでも発生してしまったときの教員や学童保育スタッフの管理責任まで、学校や学童保育運営者側が考えなければならないからだ。

 そうなると、ただでさえ忙しく、何かと責任問題になる現代の学校・学童保育の現場では、そうした負担増を避けたい→グローブは使わせないようにしよう、となるのは自然な流れである。

 また、仮にその点がクリアできたとしても、あと1つ問題がある。大谷グローブに触れて、もっと野球をやりたいと思った子どもたちに、学校はどこまで関与すべきなのかという話だ。

 そもそも野球は、様々な子どもの遊びのうちの1つ、あるいはスポーツ分野における習いごとの1つと位置づけることができる。もっとやりたいと思った子どもは、保護者に用具を買ってもらい、保護者や近所の友達と学校外で「野球遊び」を楽しむか、少年野球チームに参加して本格的に始めればいいという考え方もある。

 一部の子どもに学校内で継続的に大谷グローブを使わせることは、様々な公平性を求められる公教育の場で微妙な問題を生みかねないのではないだろうか。

もし「匿名で」グローブが届いたら
 
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 ここで、野暮だということは承知の上で、ひとつの思考実験をしてみたい。今回、仮に大谷選手が自分の名前を完全に伏せ、匿名の篤志家として巨額の私財を投じて全国の小学校にグローブを配りたいと文部科学省や全国の教育委員会に打診していたら、いったいどんな結果になっていただろうか。

 当然、これほどの話題にはならなかったはずで、グローブは見世物にも、取り合いにも、もったいないからと死蔵されることもなかっただろう。しかし、もしかすると全く逆の結果、すなわち教育現場の側から受け取り辞退(事実上の拒否)にあったかもしれないと筆者には思えてならないのだ。

 なぜそう考えるのか。仮に、全校生徒が数百人もいる各地の小学校に、「ぜひ児童たちに使ってほしい」と、3個の「無名の」グローブが届けられる事態を想像してほしい。これまでに説明した状況を考えれば、せっかくグローブが届いても小学校ではカリキュラムの内外を問わず活用のしようがなく(活用方法を考えるのが面倒で)、現場では取扱いに苦慮することは想像に難くない。教育委員会が各校に打診した結果、「活用しようがないので要りません」となりかねないのだ。

 その意味で、今回の寄贈プロジェクトが成功した最大のポイントは、大谷選手が名前を出して行ったことに尽きるのではないか。大きな話題性を帯びることはもちろん、もしかしたら及び腰だったかもしれない日本中の教育委員会や学校現場に「大谷選手の思いを受けて、やらないわけにはいかない」という機運を醸成し、野球に触れる機会づくりの実効性を担保する効果もあったからだ。

 今回、日本中の小学校で、大谷グローブを全校児童にひととおり触れさせ、後は保管・展示するくらいの対応に落ち着いてしまうことについて、残念に思う人たちがいることはわかる。

 しかし、野球と小学校の置かれた状況を考えれば、様々な制約のある中で、多くの小学校は大谷選手の付託に応えつつ、できる限りのことをした「いい塩梅」だったといえるのではないだろうか。

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 筆者連載<親たちを悩ませる「PTAガチャ」という大問題…学校ごとに「PTAの負担」がここまで違う理由>も続けてお読みください。
大原 みはる(行政評論家)
 
 記事に関する報告

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