ソアラの白やS30ZのマルーンやNSXの白やスイフトの黄にイメージカラーという印象はサラサラない。三浦一義のソアラはワインレッドだったし。
R32~R34GT-Rに、そんなイメージカラーあったか?あの当時はグループAやGTのスポンサーカラーのイメージじゃなかった?星野カルソニックの青、長谷見の白だったり、影山弟ペンゾイルの黄、R34は紫じゃなかった?
むしろ、S13シルビアのグリーンメタリックじゃない?86レビン/トレノだと、白/黒パンダかな?秋山/拓海イメージ?
S12シルビアか86レビン/トレノにグリーン/シルバーツートンなかった?
マツダロードスター、初代はユーノスロードスターだったが、ブリティッシュグリーンと幌はタンじゃなかった?コレぞ、オープンカーだと思った。
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名車の証は「色」に!?ボディカラーで記憶に残る名国産スポーツ車 6選
6/13(日) 9:00 Yahoo!ニュース
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ベストカーWeb
スポーツモデルは特別なクルマのため、専用のボディカラーが設定される場合もあり、「ボディカラーで印象に残っている」というモデルも少なくない。
【画像ギャラリー】本稿で紹介した名国産スポーツ車 6台等のボディカラーをみる
ここでは"記憶に残る日本車名スポーツモデルとボディカラー"と銘打ち、特に印象的な組み合わせをピックアップ。
性能で注目されやすいスポーツカーながら、その象徴的な「色」でも自動車史を彩り、人々の脳裏に刻まれている。
文/永田恵一 写真/HONDA、TOYOTA、NISSAN、SUBARU、SUZUKI
初代ソアラの「スーパーホワイト」
(販売期間:1981年~1986年)
1981年に登場した初代ソアラはトヨタのイメージリーダーとして開発されたモデルである。それだけに、当時最強の2.8L直6ツインカムエンジンの搭載やデジタルメーターをはじめとした多数の新技術の採用など、クルマに対する夢のようなものがギッシリ詰まったモデルだった。
初代ソアラのイメージカラーは、ベージュとブラックの2トーンカラーとなる「ホリゾンタルトーニング」だったが、実際の販売で大人気となったのが初代ソアラで開発された「スーパーホワイト」である。
スーパーホワイトは、明度を上げ、高級感と優雅さを強調したホワイトで、関西ペイントが提案したもの。初代ソアラのあと、クラウンやマークII三兄弟(編注:同車にチェイサー、クレスタを加えた3モデル)などにも設定され、当時のハイソカーの定番色に成長し、スーパーホワイトIVまで進化した。
同時にトヨタ車では昭和の終わりあたりからパールホワイトも登場し、パールホワイトは今では「ちょっと贅沢なボディカラー」として、トヨタ車というより日本車の定番となっている。なお、スーパーホワイトは今もスーパーホワイトIIがチラホラと設定されている。
初代フェアレディZ 240Z-G「グランプリマルーン」
」(販売期間:1969年~1978年)
1969年に登場した初代フェアレディZは「手軽なスポーツカー」というコンセプトのもと、開発された。
そのためごく普通のL型6気筒エンジンを搭載し、エアコンなどの快適装備も充実しているという乗用車的な部分も強かったが、このことを大きな理由に特にアメリカで大ヒットし、日本車では珍しい外国車に影響を与えた1台となった。
フェアレディZは、登場後初代スカイラインGT-Rのエンジンを搭載した432系を追加するなどバリエーションを拡充していったが、その1つが240Z系である。
1971年に追加された240Z系は、輸出仕様の2.4L直6エンジンを搭載したモデルで、標準の240Z、ラグジュアリーな240Z-L、ヘッドライトのカバーやGノーズと呼ばれる延長されたフロントノーズなどを持つスポーティな240Z-Gが設定され、240Z-Gには専用色のグランプリマルーンも設定された。
「グランプリマルーン」は、ソリッドカラーで上級の限定グレードであることをアピールするためマルーンが候補に挙がり、赤系の顔料の耐久性が向上したことで実用化できたボディカラーだったという。
R34スカイラインGT-R「ベイサイドブルー」
(販売期間:1998年~2002年 ※GT-R販売開始:1999年)
第二世代のスカイラインGT-Rにおいて、R33とR34共通のものとしては「ミッドナイトパープル」(R34では初期モデルで2回に渡り台数と期間の限定)、R34では後期Mスペック専用でシャンパンゴールド的な「シリカブレス」、1000台の最終限定車のMスペックニュルとVスペックIIニュル専用の「ミレニアムシェイド」(グリーン掛かったシルバー)と、印象的なボディカラーは多いが、ここではR34の「ベイサイドブルー」を紹介したい。
ベイサイドブルーは、第二世代のスカイラインGT-Rでは、1996年のル・マン24時間レース参戦を記念したR33の期間限定車「LMリミテッド」の専用色だったチャンピオンブルーに続くブルーである。
R34スカイラインGT-Rのイメージカラーでもあったが、特にVスペックは前後のディフューザーなどにより日本車ではボディ下面でダウンフォースを発生させた先駆けで、「人に翼を」というキャッチコピーにも何となくつながるところもあるボディカラーだった。
なお、現行型R35 GT-Rには2020年モデルからベイサイドブルーをオマージュした「ワンガンブルー」も加わっている。
ホンダ・タイプR「チャンピオンシップホワイト」
(販売期間:1990年~2005年 ※NSX-R販売開始:1992年)
1992年に登場した初代NSX-Rのイメージカラーだったのがチャンピオンシップホワイト。ホンダF1第一期で1965年のメキシコGPでホンダの初優勝を遂げたRA272のアイボリーホワイトに由来する。
当時のF1はロータスのブリティッシュグリーン、フェラーリのイタリアンレッド、フレンチブルー、ドイツのシルバーといったナショナルカラーに塗られていた。
このとき日本はナショナルカラーがなく、本田宗一郎氏が推したゴールドは南アフリカ共和国が使っておりNG、日の丸をイメージした赤と白もダメで、アイボリーホワイト+日の丸に落ち着いたといわれている。
チャンピオンシップホワイトは初代NSX-Rのあとも、初代インテグラタイプRから早期完売となった現行シビックタイプRまですべてのタイプRのイメージカラーに使われ、タイプRは赤いホンダのエンブレムが付くのも伝統になっている。
初代インプレッサWRX STi「ソニックブルー」
(販売期間:1992年~2000年)
スバルのイメージカラーがブルーなのは、スバルの前身が中島飛行機だったことにちなみ青い空のブルーに由来しているという説もある。
そのためWRC(世界ラリー選手権)に1993年から参戦し、大活躍した初代インプレッサもブルーで、1995年にはカタログモデルのインプレッサとは異なる「スポーツブルー」と呼ばれるWRCを走るインプレッサと同じブルーに塗られ、スポンサーだった555カラーにラッピングされた限定車も設定された。
WRCに参戦する初代インプレッサは、WRカー規定となった1997年から同じブルーでも明るいソニックブルーとなり、市販車ではそれぞれ1998年に400台限定だったあの22Bと、1000台限定か期間限定で設定された特別仕様車のWRX Limited3モデルが採用した。
その後2000年登場のインプレッサでは「WRブルーマイカ」が、WRX以外のモデルにも設定され、以来スバルのイメージカラーに根付き、2014年登場でインプレッサから完全に独立した4ドアセダンのWRX STIとWRX S4ではWRブルーパールとなった。
現在もWRブルーパールはレヴォーグ、インプレッサスポーツSTI(次期BRZにも確実に)に設定されており、足りないのはスバルのWRC復帰だけだ。
スイフトスポーツ「チャンピオンイエロー」
(販売期間:2005年~2010年)
2002年から当時のWRCにおいて若手ドライバーの登竜門的カテゴリーとしてあったJWRCに、軽自動車を拡大したイメージの初代スイフトで参戦していたスズキの参戦車両のカラーはイエローだった。
2003年にはJWRC参戦車両のイメージを持つ市販車として1.5Lエンジンを搭載した初代スイフトスポーツが登場し、そのイメージカラーも「ブリリアントイエロー」と呼ばれるイエローだった。
以来スイフトスポーツのイメージカラーは、1.6Lエンジン搭載の2代目がチャンピオンイエロー、同様の3代目でなぜか「チャンピオンイエロー4」となり、1.4Lターボ搭載の現行型4代目も「チャンピオンイエロー4」と黄色が続き、伝統のようなものも感じるようになっている。
また、スイフトスポーツのイエローは、ソリッドカラーのためなのか、歴代追加料金のないスタンダードカラーとなっている。これも良き伝統だ。
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