ピッチャー鹿取、今の投手達とは鍛え方が違う!

明大⇒巨人⇒西武鹿取義隆(67)、あの江川事件江川卓サイドがドラフト前日空白の1日に巨人との契約を発表したが、金子コミッショナーが即座に却下、巨人がドラフト会議をボイコットした。つまり、その年の巨人のドラフト入団はゼロ、鹿取義隆は実質ドラ1みたいなモノだった。本来は松沼兄弟も同期入団寸前まで行ってたが、西武がカネでひっくり返した。

第1期の長嶋茂雄に始まり、藤田元司王貞治⇒第2期藤田元司となる巨人からトレードされ黄金時代末期の西武に入団、ほぼ毎日のように投げた。角三男と鹿取義隆は中継抑えで巨人を支え、若手からベテランとしてマイナーチェンジしつつ、他球団へ移籍した。

あの当時の巨人、サイドスローは高橋善正がいて小林繁はトレードされ、捕手のリードも技巧派指向だった。角も鹿取も、山倉の攻撃的なリードで道を拓いたように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

****************************************

今ならブラック!?「サラリーマンのかがみ」と呼ばれ…流行語になるほど酷使された巨人軍レジェンド
4/24(水) 6:05 Yahoo!ニュース
  39
  

 創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第14回は鹿取義隆

 * * *

 80年代にサラリーマンのかがみと称賛されたのが、鹿取義隆だった。1957年3月10日、高知生まれのサイドスロー右腕。高知商から明大を経て、江川事件で巨人がドラフトをボイコットした78年に、ドラフト外で入団した。

 79年、開幕戦で中継ぎ起用されるなど1年目から38試合に登板し3勝。82、83年は中継ぎや抑えだったが、ローテーションの谷間には先発も務めた。

 鹿取の真骨頂は86年、ルイス・サンチェが加入し、角三男とともに強力なリリーフ陣を結成してからだ。87年には抑えの切り札としてリーグ最多の63試合に登板し、「鹿取大明神」とまで言われる大車輪の活躍。王監督が告げる「ピッチャー・鹿取」は流行語にもなるほどで、酷使と言われても文句も言わず黙々と投げ続ける姿はサラリーマンの心を打った。

 89年オフに西武にトレードされ、90年には最優秀救援投手に輝く。西武時代にも杉山、潮崎と救援トリオを結成し、大きく貢献した。

 西武時代には46勝17敗73セーブと巨人時代を上回る成績を残し、97年限りで引退。登板数は巨人では7番目の466試合、西武と合わせて755試合は歴代12位にランクインする。

 98~2000年、02~03年にコーチ、17年はGM兼編成本部長などを歴任した。
報知新聞社

 記事に関する報告

****************************************