今の投手の球速、2つの側面があるハズ。

スピードガン、数字をテレビに出し始めたのは、巨人江川卓入団前後だったと思う。で、江川卓の入団当時のストレート、135キロも出てなかった。完投間近の終盤に140キロ前後出ていたくらい。2年目、試合終盤に150キロ前後出ていた。中日小松辰雄の出し方と対照的だった。3・4年目は終速も出るようになった。江川のストレートで初速145キロくらいでも、終速125キロくらいだった。むしろ、小松辰雄や巨人槙原寛己は終速135キロくらい。江川のストレートは、空気抵抗の受け方が(上や前への)変化球並なのだと解釈した。今は、終速表示はない。この時期、ロス五輪で台湾チーム郭泰源が160キロ出したと言ってたし、西武に入団して日ハム戦にノーヒットノーランやった時に158キロ出していたハズ。

ワタシがモノゴコロついた頃、既に国鉄⇒巨人金田正一はロッテの監督をしていた。巨人堀内恒夫高橋一三の末期しか知らない。以後、江川卓小松辰雄以外には阪急山口高志や中日郭源治くらいだ。

別に、ロッテ佐々木朗希に限った話ではない。この5~10年くらいのスピードガン、やたら出過ぎに感じる。

生涯150キロ出なかった巨人桑田真澄と同じ背格好で、華奢なオリ山岡で155キロ出ている。桑田と同期で似た体格の横浜⇒中日中山は150キロ出ていた。横浜大魔神佐々木でも150キロギリギリだった。

楽天マー君楽天出る前152キロくらい、去年今年で154キロ出ている。

そう考えると、真っ先に感じるコトは2点。

1つは、スピードガンの出過ぎを感じる。

5~10キロくらいだ。スピードガンのメーカーがキチンと情報開示するかどうか、NPBのボール不正のように、スピードガンの表示不正もあり得る。

もう1つは、トレーニング方法や投げ方の変遷に依ると思う。

金田正一の頃、"ひたすら持久力"だったと思う。金田自身190センチ近くだったが、昔の映像見てもバックスイングを大きく回して、速く大きくステップし、キレイな軸回転してるのは見て取れた。しかし、年平均で20勝、国鉄年間勝利の大部分を占めていた金田は、それだけの試合数登板しており、それほど全力投球しなかったろうと思う。

桑田はPL高時代から予選から甲子園までを投げ抜く持久力、山岡はひたすら瞬発力を磨いた違いがある。

恐らく、トレーニングの違いで5~10キロくらいは違いが出ると思う。山岡は既に肩ヒジの手術も受けている。(腱ではないらしいが。)

佐々木朗希も、大船渡高時代からアメリカに被れた筑波大の運痴学者達の組んだトレーニングに依る。運痴学者達、高校野球、予選から甲子園までを勝ち抜く観念はなく、ひたすら単に160キロ出せば良い、瞬発力ばかりを追求した。

そのツケは、今、瞬発力を落とさず持久力を上げるバランス取りに(ロッテが、監督コーチ陣が)苦しんでいる。

*******************************

佐々木朗希は金田正一25歳を超えうるか? “自称180キロ左腕”の全盛期を見た作家「打者を威圧していた」「岡島秀樹にやや似ている」
4/27(水) 11:06 Yahoo!ニュース
佐々木朗希は、令和の時代に突如出現した“日本プロ野球史上最高の投手”なのか? photograph by Junichi Haruuchi
プロ野球史上No.1投手を探る旅 第1回「金田正一

 ロッテ・佐々木朗希の歴史的な完全投球に野球ファンがざわついている。佐々木は、令和の時代に突如出現した“日本プロ野球史上最高の投手”なのか? いま、われわれは歴史の目撃者になっているのだろうか? 

【この記事の写真】“スゴすぎた”金田正一25歳・ルーキー長嶋茂雄から4三振の名シーン、楽しそうに談笑する金田・王・長嶋、シーズン42勝!稲尾和久の貴重写真など一気に見る

 佐々木がプロ入りした当時、「金田正一のような投手になってほしい」という声は、特に古いプロ野球ファンの間で高かった。

「生涯成績」で史上最高投手は金田の一択
 金田正一といえば、1950~69年、国鉄スワローズと巨人で活躍した、日本プロ野球史上唯一の400勝投手である。

 2021年に日本プロ野球で最も勝った投手は、オリックスの山本由伸で18勝。この投球を23年続けなければ金田に並べない。

 金田は通算奪三振も4490個というとてつもない日本記録を持っており、2位米田哲也(阪急ほか)の3388個に1000個以上の差をつけている。21年の奪三振王も山本由伸だが、その数は206個だから、このレベルの快投を22年続けなければ金田を抜くことはできない。

 加えて、金田は通算投球回5526回2/3、連続イニング無失点64回1/3という日本記録も保持している。生涯成績で日本プロ野球史上最高投手を決めるとすれば金田以外にはあり得ないし、今とは投球回数がまったく違うので、将来これらの記録を全て塗り替える投手が現れることはないだろう。

 では、佐々木は金田に及ばないのかと問われれば、そうとも言えない。例えば、佐々木が4月10日に達成した13連続奪三振は、金田の最高記録7をはるかに上回っている。

 金田が7連続奪三振を記録した54年6月8日の洋松ロビンスとの試合で、金田自身が「捕るな!」と叫んだという8番目の打者のファウルフライを捕っていなければ10まではいっただろうとは金田本人の弁だが、自身の球速を「180キロ」と称していた金田でさえ13連続は想像外の数字だったのである。また、1試合の最多奪三振は16個で、こちらも19個の佐々木が上回る。

もし、金田が中6日で登板したら…?
 しかし、これをもって「瞬間的な出力は佐々木が上」と断じたら、今度は金田サイドから待ったがかかるだろう。なにせ、投手として置かれている環境が金田と佐々木ではまったく違うからだ。

 金田の時代、エースは3連戦の初戦に先発完投。その上で、第2戦、第3戦でも勝機が見えたらリリーフに立つのが当たり前だった。それもショートリリーフではない。4回、5回と長いイニングを投げるのである。

 対して、佐々木は現状週1度の登板。つまり中6日の休養と調整期間を与えられており、かつ球数が100球を超えたら基本お役御免である。もし、若き日の金田が中6日、100球限定で先発したら、いったいどのような投球をしただろうか。

 それを推察できるケースが2つある。

 ひとつは24歳の金田が完全試合を達成した57年8月21日の中日戦。この試合、完全試合目前の9回一死で、打者のハーフスイングの判定を巡って中日が猛抗議して43分間という長い中断があった。普通ならリズムを崩す場面だが、金田は再開後に対戦した2人の打者を共に3球三振に打ち取り、6球で完全試合を達成してみせたのである。

 もうひとつのケースが、有名なミスタープロ野球長嶋茂雄のデビュー戦だ。58年4月5日、六大学のスーパースターとして鳴り物入りで巨人に入団した長嶋と開幕戦で対戦したその年25歳の金田は、長嶋をわずか19球で4打席4三振に切って取ったのである。

 この二つのケースから分かるのは、全盛期の金田は三振を取ろうと思えばいつでも三振が取れたということだ。完全試合まであと二人となった打者は、必死に球に食らいつこうとしただろう。そして、長嶋は新人とはいえ、この年に本塁打、打点の2冠を獲得し、打率もリーグ2位という抜きんでた好打者だった。これらの打者を全て三振に抑えたことは、ここぞの場面で全力を出した全盛期の金田の力量が、打者を完全に凌駕していたことを示すものだ。

“基準”は金田正一25歳の成績?
 このように、通算成績で比較するのは現代の投手に対してフェアではない。かといって、短期間の成績で比較するのは昭和中期までの投手に対してフェアではない。

 私は、時代の異なる投手の力量を比較するのに、“その投手の最高の1シーズンの成績”を比較するのが、完全とは言えないまでも、比較的フェアなのではないかと考えている。

 具体的に、全投手の目標になりそうな金田の“最高の一年”を見てみよう。

 金田は、沢村賞を3度受賞した4人の投手(ほかに杉下茂村山実斎藤雅樹)のうちの一人だが、3年連続で受賞したのは金田一人だけだ。この3年間が金田の全盛期と言えるが、その中でも一番成績が良かったのが3年目に当たる58年で、金田25歳だった。

 この年の成績は以下の通りで、セリーグ最多勝、最多完封、最多奪三振最優秀防御率沢村賞を獲得している。

【登板56試合(先発31、救援25)、完投22、完封11、31勝14敗 勝率.689、投球回332回1/3 、奪三振311 、防御率1.30 WHIP0.83】

 金田の20年の実働期間の中で、31勝、防御率1.30、完封11は生涯ベストの数字であり、新人長嶋を4連続三振に切って捨てたのも、64回1/3という連続イニング無失点の日本記録を樹立したのもこの年だ。

国鉄で「シーズン31勝」のスゴみ
 西鉄ライオンズ稲尾和久が61年に日本記録タイとなるシーズン42勝を達成した時代に、31勝が自己ベストとは400勝投手にしては物足りなく感じるかもしれないが、全盛期の金田が所属していたのが、万年Bクラスの国鉄だったことを考慮する必要がある。

「打てば三振、守ればエラー」と揶揄された国鉄は、金田が入団する直前の50年1月に設立された球団。社会人の強豪だった各地の鉄道局野球部の選手を中心に編成され、プロ野球経験者は一人しかいないというアマチュア軍団だった。

 金田が巨人に移籍した65年に産経新聞に身売りして国鉄は消滅しており、金田と共に歩んだ15年間の通算成績は833勝1070敗41分(勝率.428)だから、金田の勝ち星が抜群の成績にならないのはやむを得まい。むしろ、この弱小チームにいた15年間で353勝267敗という成績を残した金田は、やはり傑出した投手だったと言えるのではないか。

圧巻の全盛期…「フォームは岡島秀樹にやや似ている」
 私は、金田が投げているのをテレビで見たことがある。テレビの普及率が50%を超えたのは61年。私が小学生の時で、その頃わが家にもテレビが来たのだが、投球練習の時に、マウンドよりだいぶ後ろ、セカンドベース方向に下がった位置から速い球を投げ込んで打者を威圧していたのが印象的だった。

 フォームは、ボールを持った左手を後方に引き、大きく左肩を下げた沈み込んだ姿勢から一気に上体をスイングさせて腕を振り下ろす。今の投手はもっとスムーズに体重移動させて投げるので似た投手は見当たらないが、巨人、レッドソックスなどで投げた岡島秀樹にやや似ているだろうか。

 球種は、本人の自称180キロ、オールスターで対戦した南海ホークス野村克也によれば「160キロは出ていた」というストレートと、2階から落ちてくると賞された高速カーブの2種類だった。

 この「1シーズンの成績」で比較して、金田を上回る投手が果たしているだろうか。

 冒頭に挙げた佐々木は、まだシーズンを完走したことがないので残念ながら現時点では比較対象にならない。もし今年、佐々木が沢村賞を取るような活躍をしてくれれば、勝利数、奪三振、勝率、防御率、WHIP、投球回などを手掛かりに全盛期の金田との比較ができるだろう。

 58年の金田のように、シーズンを通して打者を圧倒し続けた投手は、歴史上少数だが存在する。例えば、シーズン24勝無敗という神がかり的な数字を残した2013年の東北楽天ゴールデンイーグルス田中将大のように。

 次回は、この年の田中の成績と58年の金田の成績を比較してみよう。
(「プロ野球PRESS」太田俊明 = 文)

*******************************