野田、阪神にいたかったの?逆じゃん?

セ・リーグパ・リーグになるトレードに伴う移籍をすると活躍するヒトが多い。昔は交流戦なかったし、他リーグ選手のスカウティングはしてなかったのだろう。巨人⇒阪急永本、西武⇒中日杉本や小野、この阪神オリックス野田も、移籍したおかげで最多勝など大活躍できた。

野田、阪神にいたかったのか?阪神にいた頃、マトモに扱われていると思わなかった。独特な投げ方も、あのシュート回転も、アマチュア時代からのモノで、ヘタな矯正するくらいなら獲るべきでもなかった。なのに、獲ってサイドスローにしようともした。扱いデタラメだった。

オリックスに行って、ただただ場を与えられ、ただただ投げた。そしたら、三振バッタバッタ取って最多勝を取った。

阪神、今でもそうだが、去るべきチームなのだ。

********************************

「どうすれば阪神に残れますか?」 禁断の“トレード拒否”を模索…思い知った現実
12/24(土) 6:50 Yahoo!ニュース
  8
 
移籍先で頭に浮かんだ巨人…実際はオリ松永とのトレード通告
 
阪神オリックスでプレーした野田浩司【写真:共同通信社
 阪神野田浩司投手とオリックス松永浩美内野手の電撃トレードは1992年の年の瀬に成立した。1987年ドラフト1位で入団して1991年には開幕投手も務めたプロ5年目の有望右腕とサイクル安打や日本人初の左右打席本塁打などを記録した最強スイッチヒッターの交換だけに、大きな話題になったが、そこにたどり着くまでにはいろいろ……。当事者の一人である野田氏は通告を受けた後、まず最初に断る方法を模索したという。

【映像】スカートお構いなし…女子アナの頭より高い“超豪快足上げ”始球式

 野田氏は芦屋市内のホテルで阪神・三好一彦球団社長から松永とのトレードを通告された。覚悟はしていた。「嫁さんと旅行に行って、帰ってきたら球団からの留守番電話が何件も入っていた。最初は(中村勝広)監督と会ってくれだったんで、来年は抑えの腹づもりで自主トレをやってくれって話かなと思っていたんですが、監督に電話したら『会う人が社長に変わったから』と言われて、うわっ、トレードやって思ったんです」。

 そこからいろいろ考えた。行き先として頭に浮かんだのは巨人だった。「どこだったかは忘れましたが、阪神が(巨人内野手の)岡崎(郁)さんを獲りに動いているって報道があったんです。打線強化のためにね。相手が僕とは書いてなかったですけど、そういうこともあるのかなってね」。芦屋市内のホテルまでの道中でも、そのことが頭にあったという。「ホテルには嫁さんも行くわって一緒に車で行った。社長と会っている時、嫁さんは車で待っていましたけどね」。

“予想”は外れてトレード先はオリックス。「ショックな半面、頭の隅っこには同じ関西圏で良かったというホッとした部分はありました。でも、その時は行くつもりなどありませんでした。まずは断ることしか考えていなかった。正直、断れるんじゃないかとも思っていた」。通告後、西宮市内の自宅に戻って、中村監督と電話で話した。「監督からも社長と同じ感じの話でした。申し訳ないけど、今年は打線が弱かったので、みたいな」。

当時、労組プロ野球選手会会長だった岡田彰布氏に相談した
 だが、そこでも返事はしなかった。「中村監督は僕を開幕投手に起用してくれたし、一番、期待をかけてくれた人ですし、感謝しています。でもその時に結論は出せなかった」。何とか阪神に残れないか、トレードを断ることはできないか。それだけを考え、野田氏はブルペン捕手の西口裕治氏に相談した。「むちゃくちゃかわいがってもらっていて、家も近くていつも球場に一緒に行っていた人。まず最初に話を聞いてもらおうと思ったんです」。

 結果、当時のチームの“顔”である岡田彰布氏(現監督)の自宅に向かった。「西口さんが連れていってくれた。『そういう話なら、岡田さんに相談するのが一番やろ』ってね」。岡田氏は当時、労働組合日本プロ野球選手会会長を務めていた。野田氏は、通告されたオリックスへのトレードを拒否する方法がないか、問い合わせた。「断るとペナルティがあることを教えてもらった。3か月か半年の出場停止とか、減俸などは覚悟しなければいけないとか……」。

 岡田氏はそれこそ、親身になって考えてくれた。だが、トレード拒否の選択は難しかった。すでに現場レベルでは成立しているトレードだけに「無理矢理(阪神に)残ってもやりにくいだろうとか、そういうアドバイスももらいました」。複雑な思いを抱えながら野田氏は自宅に戻った。「岡田さんにいろいろ聞いて、もう(オリックスに)行くしかないんかと思って寝たのは覚えています」。それでも、できれば、夢であってほしいと願った。

「翌朝、起きてほっぺたを叩いてみたら痛かったんで『ああ、やっぱり本当だったんだな』って思ったのをものすごく覚えています」。野球人生の一大転機。もう一度真剣に考えて答えを出そう。だが、そう思う間もなかった。「朝8時頃から、ピンポンピンポンでした」。まだ阪神に返事もしていない段階で、家には報道陣が押し寄せてきた。そして、忘れられない出来事が……。
山口真司 / Shinji Yamaguchi

********************************