81年、王貞治が引退してなかったら・・・

81年、王貞治が引退してなかったら、巨人は日本一どころかリーグ優勝していたろうか?

長嶋茂雄のラスト2年、チームのリーダーとして「江川卓の登板日は無気力試合!」をやり通した。エースとしての役割を期待された江川は、この時期から西本や新浦らとローテーションで週1・2回登板していた。巨人というチームの中で、江川の日にそんな勝つ気がない試合をして、翌日以降キチンと切替できるワケではない。次の日も、また次の日も負けたりした。長嶋巨人は広岡ヤクルトに競り負けたシーズンから3年優勝デキなかった責任を取って退任した。

それは、この2年田中将大の登板日と翌日以降の楽天を考えたらわかるだろう。田中将大の日は言うに及ばず、悪い流れは涌井でも則本でも岸でも止まらない時があり、せっかくソフトバンクがダメなシーズン、楽天というチーム自体もダメだった。

王、当初は選手として契約更改していた。しかし、勝つ気ない自己のホームランだけを追う2シーズンを過ごして来たカレ、長嶋⇒藤田と監督交替しても、相変わらず江川がいて、高田や土井らが引退、張本が放出された中で、勝つ守備も含めた野球、勝つバッティングをデキるか描けなくなり、山籠りから降りると季節ハズレの引退記者会見をした。

反江川旗手としての王がいたら、4番一塁手は塞がっていた。横浜から松原誠が来るコトはなかったろうし、新入団の原辰徳を起用するに当たり、三塁手中畑清二塁手篠塚和典と3者の誰かは腐っていたろう。選手の中にイヤな派閥領袖が残っていたろう。

王が現役でなく助監督に消えていたから、藤田監督の3シーズンはリーグ優勝&日本一、1勝差の2位、リーグ優勝だった。しかし、その後、王貞治が監督になると、江川卓西本聖中畑清を筆頭に勝つ気のないチームになり、長嶋茂雄にしたコトを仕返しされた。在任中、2度しかリーグ優勝なく、日本シリーズも勝てなかった。第1次長嶋茂雄より遥かに戦力あったのに、ダメ監督の烙印がついた。

 

 

 

 

 

 

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巨人8年ぶりの日本一、1981年の打線に「王貞治のバッティング」ができる王がいたら?【プロ野球もしもオーダー】
2/7(火) 11:00 Yahoo!ニュース
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「四番・一塁」の王貞治
 
1980年限りで現役を引退した王
 週刊ベースボール誌上、あるいは関連のムック本などの読者にはおなじみの、各チーム年度ごとのベストオーダー。これは便宜上「ベスト」という表現になっているが、「もっとも結果を出した先発オーダー」を編集部が選定したということではなく、そのチームの、そのシーズンで、もっとも多かった打順と守備位置から導き出したものだ。もちろん一部に例外はあるものの、データ重視が原則であり、独断と偏見、えこひいきなどが入り込む余地は、ほとんどない。よって、実はオートマチックな作業がゆえに「これがベストオーダーか?」というようなラインアップになってしまうこともあったりするし、実際そのとおりのオーダーだったケースは全試合の半数に満たないなどということもある。そのシーズンにおける“最大公約数”的なオーダーと思ってもらえれば、ほぼ間違いないだろう。

【選手データ】王貞治 プロフィール・通算成績

 さて迎えた2023年、いよいよWBCが開催される。第1回、第2回と連覇したのが我らが侍ジャパンだ(この愛称は第2回から)。第1回のチームを率いていたのが王貞治監督。選手としては巨人で通算868本塁打を残した“世界の王”だ。1980年が現役ラストイヤーだが、このときもシーズン30本塁打。それでも「王貞治のバッティングができなくなった」とバットを置いた、ニッポンが誇る長距離砲だった。

 そのまま王は助監督となり、藤田元司監督、牧野茂ヘッドコーチとの“トロイカ体制”で翌81年、巨人を4年ぶりリーグ優勝、V9以来となる日本一に導いているのだが、その81年を迎えるにあたり、原辰徳の入団という明るいニュースもあったとはいえ、長嶋茂雄監督が退任したこともあって、王が現役を引退する寂しさに覆われてしまったというファンも多かっただろう。もし王が「王貞治のバッティングができなくなった」と思わず、現役を続けていたら。結果的には、いい意味で裏切られて優勝、日本一となったものの、そう思った向きも少なくなかったはずだ。

 そこで、WBCのドリームチームよろしく、王が81年の打線に並んでいたら、という「もしも」を考察してみる。歴史にifはナンセンスなのは百も承知。だが、それでも「もしも」に思いを馳せ、夢の世界にたたずんでしまうのも人情だ。夢のチームである侍ジャパンにちなみ、プロ野球の歴史で夢を紡いでみたい。81年の巨人で王が現役だったとして、80年と同じ打順と守備位置、つまり「四番・一塁」で自動的に81年のベストオーダーに入れて、重複する選手を自動的に外してみると、以下のようなオーダーになる。

1(遊)河埜和正
2(左)淡口憲治
3(二)篠塚利夫
4(一)王貞治
5(中)ロイ・ホワイト
6(三)原辰徳
7(右)ゲーリー・トマソン
8(捕)山倉和博
9(投)江川卓

実際のベストオーダーは?
 
1981年、実際に巨人の四番を多く務めたのは中畑だった
 実際のベストオーダーから王に弾かれた形になったのは中畑清。この81年の巨人は、原の入団で内野陣のレギュラー争いが加熱したシーズンで、三塁手の原は最初は二塁手でデビュー、二塁手篠塚利夫が控えに回り、遊撃手の河埜和正が唯一、“聖域”といえる存在だった。だが、三塁手の中畑の故障で原が三塁に回り、二塁に戻った篠塚が好調で、復帰した中畑が一塁に入ったことで軌道に乗った。

 あこがれていた長嶋のトレードマーク「四番サード」でスタートした中畑だったが、結果的に打順と守備位置ともに80年の王と同じとなり、今回の作業では自動的にラインアップから消えてしまった。とはいえ中畑の不在も寂しい。「絶好調!」の中畑がベンチに控えているのも敵チームには脅威かもしれないが、ベテランとなって外野もこなした原を早くも外野に回してトマソンあたりを外すか……などなど、続きはファンの皆様の夢の中で。

(巨人1981年のベストオーダー)
1(遊)河埜和正
2(左)淡口憲治
3(二)篠塚利夫
4(一)中畑清
5(中)ロイ・ホワイト
6(三)原辰徳
7(右)ゲーリー・トマソン
8(捕)山倉和博
9(投)江川卓

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール

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