江川卓の最初の2年、球運などではない!

江川卓、特に最初の2年、王貞治を筆頭に反江川(王でさえ、反長嶋を唱えられない)として、江川卓登板試合を打撃守備頑張らない日にした。

もうV9から4年、リーグ優勝こそ2度あったが日本一を忘れ、実力面でもヤクルトや広島に競り負け始めていた。その程度の実力で、ローテ先発する投手を毎度無気力試合にするコトが、どんなに悪影響を及ぼしたか。ソレは、今の田中マー君の登板日を無気力試合にした楽天のこの2年ちょいを見たらわかる。

案の定、3年優勝デキなかった責任を取り、長嶋茂雄は監督を辞任した。

藤田元司監督の3年は日本一⇒1勝差のリーグ2位⇒日本シリーズ西武に負けた。そして、王貞治助監督にバトンタッチ。

ソコからは立場が逆転した。王貞治にされたコトを、江川卓が仕返す番になった。肝心な試合、アテにならないエースを演じた。王貞治が持っていた連続試合本塁打の記録は、バースに打たれて消した。水野雄仁に荷物持ちさせるカバンを駅のホームにフッキングし、右肩の脱臼を負わせた。王貞治との溝は益々深まった。

王貞治は、長嶋&藤田で育成した最強戦力がありながらV9後枯渇戦力を負わされた長嶋茂雄同様、2度リーグ優勝しただけで終わった。

確か、王貞治が辞める1年前に江川卓は引退したハズ。

**********************************

小林繁伝 球運に見放された巨人・江川の苦悩
7/6(木) 15:00 Yahoo!ニュース
  2
  
孤立無援で2敗目を喫し、ベンチからグラウンドを見つめる巨人の江川投手=昭和54年、後楽園球場
【虎番疾風録其の四(259)】 「あんな騒動の末に入団したのだから当然の報いさ」

江川にはこんな陰口や視線がついて回ったという。ファンではなく巨人球団内部のお話である。

「小林さんがいい人だったからよけい…。1年目は本当にキツかった」

後年、江川がこう振り返ったほどである。言葉通り江川は苦しんだ。

6月17日の広島戦で〝鼻血V〟のプロ初勝利を挙げたものの、それ以降はことごとく勝利から見放された。

【6月】対戦 スコア 回 安本三球自

2日●神(後)4―5 8 73545

9日 中(ナ)5―3 5 60121

17日〇広(後)5―1 7⅓40510

21日 洋(横)2―2 4 10600

26日 ヤ(神)8―5 3⅔52413

【7月】

1日 洋(後)3―3 7 51633

7日 神(後)4―3 6⅔52732

14日 中(ナ)4―6 6⅓70524

19日●ヤ(後)0―1 8 50721

7月14日の中日戦では七回まで4―1。走者を出しながらも要所を締めて勝ちムード。

◇7月14日 ナゴヤ球場

巨人 010 110 100=4

中日 000 010 50×=6

(勝)高橋1勝1敗1S 〔敗〕鹿取2勝2敗2S (S)鈴木1勝7S

(本)中畑⑥(藤沢)大島⑮(鹿取)

だが七回、突然崩れた。先頭のギャレットに四球を与えると、代打・谷木、藤波に連続安打され失点。巨人ベンチは慌てて鹿取を送ったが、1死一、三塁から高木に左前タイムリー。2死後、大島に逆転3ランを浴びて、江川の2勝目は露と消えた。

「う~ん、六回の三者凡退で立ち直ったと思ったんだが…。これでいけるかな―とベンチに思わせといて、突然、乱れる。どうも使いにくいタイプだ」と杉下コーチも頭を抱えた。

試合後、担当記者たちに囲まれた江川は平然とした表情でこう答えた。

「七回ですか? 別に力んだわけでも、疲れたわけでもありません。結果ですよ」

江川の評判がまた落ちた。

そして19日のヤクルト戦(後楽園)では8回5安打、7奪三振、2四死球自責点1の好投。だが、今度は味方打線の援護がなく0―1で2敗目。

「大事な試合に負けて申し訳ないです」。江川のつぶやきがむなしく聞こえた。(敬称略)

 記事に関する報告

**********************************