元巨人桑田、PL時代の鍛練の意味をわかってなかったの?

元巨人桑田真澄や元西武他松坂大輔や元阪神藤浪晋太郎らは、高校時代までの鍛練がプロでの活躍の下地になった代表だと思っている。都道府県予選から甲子園の連戦を勝ち抜くため、端的には、瞬発力と持久力のバランスだろう。瞬発力は球威、持久力は連戦連投での安定度や耐久性。

桑田はPL時代の鍛練を、先輩からのイビりやシゴキの一環としか思っていなかったのか?松坂は渡辺監督からのトレーニング指令を、サボるコトばかり考えイヤイヤやってたのが西武入団後の怠惰に変わったらしい。藤浪は西谷監督からも阪神でも、言われたコトしかやらなかっただけだ。

桑田は、東大大学院で(佐々木朗希を形成した筑波大運痴学者達と同じ)アメリカ式バカ理論に取り込まれ、今ではタマ数制限論者になった。松坂は、横浜高での鍛練の貯金をトレーニングが日本一ユルい西武と怠惰なレッドソックス数年で使い果たし、第2回WBC後に転落した。藤浪は、ダルや田中将や大谷らと体重バカ増ししたカラダを、投げて使い方を修正しなかったため、カネモト&矢野の7年を招いた。

投げ込みや走り込み。確かに、アマでもプロでもおかしな罰則的ルールの意図があったかも知れない。だが、投げるカラダ、足腰や肩ヒジを作り、内外高低緩急を使うコントロールとスキルを磨く上で、必要な練習だったのではないの?

プロとしての取組方考え方に、切替が必要だったのではないの?

桑田は、あのダイビングがなければトミー・ジョン手術なくプロ生活を全うどころか、あの借金次第では野茂や伊良部に次いでMLBに行けたかも知れない。松坂は、ちゃんとトレーニングを続けていれば、日テレ柴田に引っ掛かるコトもなく、西武やレッドソックスでもっと素晴らしい成果を残し全うして、ソフトバンク12億詐欺を働かず、おばちゃんに肩を触られたと中日キャンプ離脱もやらずに済んだろう。藤浪は、キチンと投げ込んでいれば、体重バカ増しで重くなったカラダの使い方をフツ~に補正でき、もっとマシな7年があったろう。

桑田真澄と言わず、高校時代の鍛練でせっかく甲子園で最高な成果を挙げたのに、その意義を正確に把握せず以後を過ごしたせいで、もっと高い成果を挙げずに終わったのが情けない。

 

 

 

 

 

 

 

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「桑田は凄かった」 投げ込む時代にノースロー…沢村賞3度の斎藤雅樹氏が語る“伝説”
インタビュー
2020.04.01
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 1990年代の巨人をともに支えた2人の右腕
 通算180勝、最多勝利5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、MVP1回、そして史上4人目となる沢村賞3度という輝かしい実績を誇る、元巨人の斎藤雅樹氏。1990年代に槙原寛己桑田真澄とともに先発3本柱として大活躍した元右腕は、古巣での投手コーチ、2軍監督を経て、現在は解説者を務める。

 
 1982年ドラフト1位で入団以来、走り続けた19年の現役生活を振り返る時、際立った個性を持つチームメートの話は避けて通れない。それが、3歳年下の後輩、桑田真澄氏だ。桑田氏は1985年ドラフト1位でPL学園から巨人に入団。ルーキーとして迎えた春キャンプから、他とは一線を画していたという。

「やっぱり桑田はすごかったですよ。選手が自分で考えるとか勉強するとか、巨人にそういう概念を持ってきた。まず、入団して最初のキャンプで『今日はノースローにします』って言ったのは、アイツが初めて。今ではコーチが『今日ピッチングする人?』って聞くくらいだけど、僕たちの時代は『今日は投げません』なんてコーチに言えませんよ(笑)。それでも桑田は『今日はノースローでお願いします』って。僕なんか『そんな制度あるの?』と思ったくらい(笑)。当時から投げ過ぎないように、メリハリをつける練習を率先してやっていました」

 

 


 1980年代後半と言えば、まだ球数を投げ込んで肩肘を鍛えようという考えが主流だった時代だ。投げられるだけ投げるのが当たり前という風潮の中、桑田氏は動じることなく自分の意見を主張し、チームに新たな考え方を伝えていったという。

「当時は、とりあえず投げろ、という考え。桑田がノースローを始めて、僕も始めてみました。その他にも食事やトレーニングに関しても、彼は自分で考えてやっていましたね。どうやらプロで1年やってみて、このままじゃいけないって、いろいろ勉強したらしいんだけど、それを実践したのがすごい。新しいことを始めると、いろいろ言う人がいるけれど、彼は自分を貫き通した。本当にすごいと思います」

 現役時代、斎藤氏も桑田氏からトレーニング方法についてアドバイスをもらうこともあったそうだ。

「ベテランになってきた頃、ウエートトレーニングをしていたら『斎藤さん、いまさら機械でするよりも、自分の体重を使ってトレーニングした方がいいですよ』ってアドバイスをもらいました。僕は全然分からないから『あ、そうなんだ。ありがとう』って(笑)。

 あと、昔はこの距離を何秒で走ってこいっていうランニングメニューがあって、春キャンプの宮崎でよく300メートルトラックを走ったんですよ。それで、不思議なことに桑田には体内時計があるんでしょうね。言われた秒数でほぼ狂わずに戻ってくるペース配分ができる。だから『真澄、お前についていくぞ』って言うと、『はい、ついてきてください』って早くもなく遅くもなく、ちょうどいいペースで走ってくれる。もう、いつも桑田について走っていました(笑)。本当に何でもすごかったですね。抜けているものがありました」

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